鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

鎌倉城破壊の軌跡 その4の画像に赤点を加えました。

2016年08月27日 | 大鎌倉城
MS explorerでも、MS Edgeでもツールで拡大縮小して画像を小さくし、両目の幅より狭くすると見えます。
焦点合わせで赤丸の目印を付ければ良かったのですが、手を抜きました。
鎌倉城破壊の軌跡 その4の画像に赤丸を入れたので、試してください。
赤丸の目印の幅を、両目の幅より狭くすると、谷が峰では無く、チャンと凹んで見えます。
早い話がトリックアートの世界ですから、、、自分の自由意志で出たり、凹んだり出来る世界です。
水路は、了解しました。
高野の切通より、真西に一直線に伸びる谷に流れ込んでいたようですね!

鎌倉城破壊の軌跡 その4の画像です。
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鎌倉城破壊の軌跡その4のコメントより、

2016年08月26日 | 大鎌倉城
〉うにゅー
〉2016-08-24 19:22:56
〉なかなか迫力のある3D画像ですが、地形改変によるものか、
〉あるいは特異な地形によるものなのか、現在の地形との対比
〉が今ひとつわからないのです。
〉左下の斜めのラインが横須賀線、左上斜めのラインが現在の
〉鎌倉街道、右中央の山が六国見山、中央やや左上に高野切通、
〉上部中央の台地がへっこんでる部分の右側に大船切通がある
〉という解釈でよろしいでしょうか?

私の手抜き記事をマトモに指摘されてしまいました。
新旧の対比写真を載せるべきと、思いつつ、、、手を抜きました。
うにゅーさんに限らず、他の人は更に判りにくかったと思います。
心を入れ替えて、チャンと記事を作ります。

大船高校は1983年開校とあります。

上の写真は、1970年代の大船高校建設以前の写真です。


上の写真は、1980年代の大船高校建設途中の写真でず。
○1は、大船の切通で、脇に熊野神社が有ります。
○2は、建設着手の大船高校です。
○3は、高野の切通しです。
○4は、長窪の谷戸です。
○5は、北鎌倉駅です。
○6は、横須賀線の線路です。
○7は、鎌倉街道です。
○8は、大船高校や長窪野谷戸に車で行くには、この道意外は入れない。


上の写真は、1990年代の大船高校開校後の写真です。

不明な点と、間違えは遠慮なくコメントをして下さい。

映像は、国土地理院の空中写真を使用。


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鎌倉城破壊の軌跡 その4

2016年08月23日 | 大鎌倉城

 上は、国土地理院の空中写真で、時代は1970年代の大船高校の出来る前です。
下の細長いのは、長窪の谷戸で、
其処へ行く道は、高野の切通し以外は、自転車、荷車リアカーの類は通る道が無い時代です。
その位に長窪の谷戸は奇妙な平地で在った訳です。
そして大船の切通の入口がオープンな状態と、高野の切通の隠された砦と対照的な場所です。
 大船高校の敷地の有る場所が、台峰の砦構造と共通なモノを整地して学校を建てた訳です。
台峰だけが特殊な砦構造では無いと言う訳です。
この六国見山周囲の砦遺構だけでも、優にそこらの山城より大きい訳です。
挙句は、新田義貞の鎌倉攻めでも使われた様子が無い!
当時の天下分け目の大戦争でも、此処を守る人手が足りなかったという訳です。
鎌倉幕府軍と新田軍の兵士を集めてやっと守れる巨大さです。
其処で起きる疑問が、、、
「誰と戦うのだ!」  と言う事です。

何処もかしこも、鎌倉の山中は人手の入った砦構造をしている訳です。
「鎌倉は要害である」と吾妻鏡の常胤が頼朝の使いの盛長に言った言葉で、
鎌倉に入る前の話です。
その古い文献に尾ヒレがついて、「三方が山に囲まれ南は海の天然の要害」となった。
実際は人手の入った要塞で、自然の山を多数登った経験があれば、鎌倉周囲の山を見れば人工的な山であると区別ができる。
間違えが風評ならよいが、書籍でばら撒かれて、定説に成ったのです。
一応は、考古学や歴史の学問の問題で書籍を出した研究者の思考能力の低さと現地を観察せずに結論を出した調査不足の問題です。
何が風評で、ガサネタか? その判断は、自身で鎌倉を散策して情報を蓄積する必要が有る。
単なる知識ではなく、自分で見て考える事が必要です。
知識はWebにイクラでも転がっています。
単なる知識は小中学、や高校レベルで得られる能力ですが、、
知識の上で、独自なモノの見方や考え方を身に付けるのは大学で要求される能力です。
 私の出身大学? 当時大学紛争と言うのが有りましたが、金を出して行く価値は無かった。

コメント (1)
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