鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

大鎌倉城 隠された切通し編 6

2013年04月01日 | 切通し
  隠された大切通しの巻 終り
北鎌女学園のグランド立体視の画像です。
立体視が不明な方は、国土交通省のHPへ、
http://www.teikokushoin.co.jp/journals/geography/pdf/200604/geography200604-01-04.pdf
立体視が出来た方は、この谷戸の全体が理解できるでしょう。
過去に鎌倉の歴史を興味深く探索した人も、現地を見て全体が掴めない地形で、、、
地図からも伝わらず、航空写真でも難解で、誰にも問題にされなかった場所です。
空から立体的に見て 初めて特異な人工構造の全体像が理解できる場所です。
巨大過ぎて全体像が掴めず、話題にも上がらない遺構です。
特にグランド右の谷戸は、地図から想像できない直線的な道と人工的な壁面が立体画像から確認できるでしょ?
何が人工的なのか?
一、谷戸の底が極端に平らで等幅の道路の様な平面。
二、谷戸の壁は、斜面の角度が上から下まで一定角度で切って落とした様な壁。
三、土橋の有る壁も一定の角度の急激な斜面。

グランド左の砦構造は、真ん中から登ってくる敵を、三方から囲んで弓矢で射ると考えます。
グランドは、アーチ型の土砂止めをした物と考えられるでしょうが、それは不正解です。
初めからアーチ型の構造の砦です。その後に盛り土をして今のグランドが出来上がった。土地の取得に関連した問題でしょうね、、、、

この大きな遺構ですら、、鎌倉城のホンの一部です。
この立体写真から見えるものは、非常に人工的な地形である事。
それを理解するには、切通しを隠して迎撃用の砦にしたと考えれば説明できる。
その考えの根拠に海蔵寺裏の大堀切があります。

更に話を掘り下げれば、グランドの無い1940年代の空中写真があり、オリジナルな遺構が確認できます。
詳細は、国土交通省「国土変遷アーカイブ空中写真」の画像で立体視と確認をおねがいします。
歴史を逆登る光景が見られます。
当然、、そんな空中写真を立体視して、この場所は砦構造ですと書き込んでいます。

隠された切通しは、海蔵寺裏大堀切だけではなく、、他にも有ったと言う事です。
このパターンはコレだけ?そんな事は無い!!
この他にも隠された切通しを想定できる場所がある。

それも、、、
これらの隠された切通しは、朝比奈切通しを上回るであろう規模の切通しです。
海蔵寺裏の大堀切を参考に、その規模を想像して下さい。
「大鎌倉城 ** 隠された切通し」へ続くのでした.
※空中写真は「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」より引用しました。
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2 コメント

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Unknown (みたに)
2021-09-25 00:31:56
山崎の三谷です。右の写真のグランドのわきの道は、何度も十ていますが、驚きです!
確かに怪しいと思っていたのは、台側からグランドを通り、ごランドを越えてすぐ辺りがものすごく狭く左側(山之内側)が崖で、右側が高台になっています。
子の高台から道に向かって弓矢を放たれたら、ひとたまりもないなと思っていました。
間違えなく防衛するために作られた地形ということが確信できました!
今度、台の長老に話をしてみます!
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立体視出来ると台峰の全容が浮かび上がる。 (ぼ輔)
2021-09-25 11:43:23
台峰のグランド脇から葛原ヶ岡へ歩くとトテモ狭い山道ですがそれでもグランド近くで発掘調査をした事が有ったそうです。
結果は、2〜3m幅の道路が存在したそうです。
峰通しの道は幅が有っても風雨で削り取られた状態かもしれません。
その資料が見たいのですが、、未だ見つけられない。
一応鎌倉城の大手口ですから、立派であろうと考える人が多いのですが、
七口の道幅は、
あの化粧坂でも、3m幅の道に作り替えた痕跡が在ります。
それ程広い道は防御に不可と考えられていたようです。
台峰は、砦の寄せ集めの様な多くの遺構が残って居ます。
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