鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

陰陽師 安倍晴明

2024年05月23日 | 鎌倉時代の人物

陰陽師と鎌倉
「鎌倉に城は無かった!なんてね、1~8」(2016/02/24)に纏めた中の5番目の記事です。  下の写真は晴明石です。

 5番目の記事に安倍晴明の呪術の痕跡が在る事を記載しました。
何故陰陽師が鎌倉幕府に関わったのか? それが不明でした。
モッパラ、武人は精神面を南宋の僧侶から学び、特に建長寺は禅を主体に自身を作り上げる臨済宗です。
更に南宋の僧侶から、モンゴル帝国である元の侵略情報を得てモンゴル侵略の対応を真剣に考えて居た様です。

武力で事を解決する鎌倉武士に 何故陰陽師が関わったのか?
ドチラかと言えば、武力を持たない宮人が 呪術で事を解決するのが陰陽師の役目と考えるのですが、、、
実際は、鎌倉に結界を張り、防御した安倍晴明の痕跡として、北鎌倉駅近くの鎌倉街道に晴明石がある。

北鎌倉駅前を通る鎌倉街道の西側130mに「十王堂橋」が在り、その際に晴明石が街道の真ん中に在ったが、鎌倉街道改修工事で邪魔になり、八雲神社移されたのは、戦後の話です。
現在は、鎌倉街道の横須賀線踏切際に、「陰陽師 安倍晴明大神」の石碑がある。

画面右端の小さい石碑が、鎌倉街道の横須賀線踏切際に、「陰陽師 安倍晴明大神」の石碑で、石碑上部に横須賀線の架線が写っています。本来は鎌倉街道「十王堂橋」脇に晴明石が在りその橋の脇に在るべき石碑ですが、、500m八幡様よりの踏切を越した場所に有ります。

次回の話は、、、大江広元との関連です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする