↓ 更に登ると、南側(写真左手下に道に沿った平場が現れる!)藪の中で写りが悪い。
↓ 更に登ると、右手の平場は道路と同じ高さになる。 車道に平場を加えると、古代駅路の道幅??
↓ 本来の広い道幅を3m幅に作り替えた? 等と思えるロケーションです。
↓ 明治時代のこの地方で一番整備されていただろう、、と想像できる郡道の痕跡です。
↓ 来た道を振り返るとご覧の通り、幅広の道と思われる道跡が!
すると、、この堀切道は、栃窪のZ字型の道路と同じように、鎌倉以後800年の雨水でエグラレタ道路なのか?
鎌倉道の定番の道幅とも思えるし、、、 根拠が無い 憶測の話ですが、幅広の痕跡は有る。
この道幅は、古代東海道を考えられます。
此れより下の道は雨水でエグラレたのか? 鎌倉時代や江戸時代に作り替えられたのか?考慮する情報は無い。
しかし 状況証拠としては下大槻から足柄峠の途中にある合理的な考えに値する東海道痕跡と考えます。
そして、更にこの峰には面白い場所が、、、
古代道は何回も作り変えられる事が有りますが、、、この道の他に疑える地形が在ります。