上の図は「鎌倉に城は無かった!12」の拡大図です。
> 由比ヶ浜関谷線 (うにゅー)
> 図面は、鎌倉市のサイトからpdfをダウンロードし、ビューワーで
> 適当に400パーセントぐらいまで拡大してみてみました。今バソコンの
> ない環境にいますので明確なアドレスは示せませんが、「由比ヶ浜関
> 谷線」か、文書のタイトルで検索できるかと思います。
> 地元民ではないのであまり厳密ではないかもしれませんが、源氏山
> 葛原岡では、扇谷側の斜面を(あれ?化粧坂は?)通過?、瓜が谷のや
> ぐらのある田んぼの西側で既存の瓜が谷の道路と交差するのでしようか。
> (私の地図の解釈が間違ってたらすみません)
(うにゅー)サンの書かれた通過点と同様に考えています。
この周辺は、鎌倉城の大手に当たる場所で、、、
堰水橋、中の道、化粧坂へ続く鎌倉城のメイン道路で、新田義貞が鎌倉攻めで主力部隊を投入し多地点であり、攻めたが落とせなかった場所です。
それを寸断し、景観を大幅に変える道路です。
鎌倉城の存在を認めたら、この道路計画は反故になる。
北鎌倉の緑洞門の規模と比べ様が無く大きい話です。
反対するにも半端なポリシーと市民の結束程度では、対抗できないでしょうね。市民の車社会に貢献し、便利になる事で市民の結束を分断するでしょうから、政治に押し切られるのは目に見えます。
これにて「由比ヶ浜関谷線」の話は終わり!