鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

鎌倉時代の波打ち際 25

2021年11月16日 | 鎌倉時代の波打ち際

google地図に依る 現在の逗子海岸です。

海岸際に国道134号線の崖が延々と続いている。

この崖の成り立ちは、、道路を作ったから??

同じ様な写真ですが、、下の写真を見てください。

同じアングルの絵はがきの写真で、海岸道路が無い時代のモノです。山の位置からほゞ同じ場所からの映像と考えます。

道路が無くても、崖が在った訳です。

Google地図の写した道路は昔は海の上! 由比ヶ浜と同様に、国道によりこの元寇防塁と思われる崖は隠されてしまった。

次は、七里ガ浜です。

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鎌倉時代の波打ち際 24

2021年11月13日 | 鎌倉時代の波打ち際

国道134号線脇の元寇防塁の現状です。
当然の如く、鎌倉石は風化に弱く800年は持ちません!
しかし石垣の基壇は地中ですから発掘すれば証明できるでしょうが、、、
現状は
関東大震災で崩れたモノを修復した石垣が現状と考えます。

以下はgoogle地図から引用します。

前回の道より国道134号に出た場所で、コンビニエンスストアが有ります。

コンビニエンスストアの脇に石垣が有ります。

 

国道に車で出る為に色々細工をしています。

 

坂ノ下の交差点です。

 

この場所には、稲荷神社が有ります。

この神社は、関東大震災後に造られたモノでしょうが、、
神社脇の道に特徴が有りその道の細さは現代では考えられない細さです。
鎌倉の道の細さは特筆ものでして、この坂の下の町の古い路地はこのレベルの細さです。
以前紹介した銭洗い弁天の古い参道も、路地道では無いのに細い道です。

この国道路面の標高は3.8mです。更にこの石垣の高さ約2mを加えると、5.8mです。
関東大震災で海面が1mせり上がっていますから昔は4.8mで、砂浜1.8mと石垣3mと考えています。
鎌倉の元寇防塁は3m程であったという計算です。

 

道路の先に有る信号交差点が稲瀬川の脇の交差点です。

鎌倉に元寇防塁が存在し、由比ヶ浜一帯に造られていたと考えられる訳です。

当然の如く、それは逗子の海岸にも同様な妨提が考えられる訳で、七里ガ浜も同様です。

それを探ってみましょう。

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鎌倉時代の波打ち際 23

2021年11月09日 | 鎌倉時代の波打ち際

元寇防塁の現代の姿は、自前の写真が在りますが、
Googleマップの方が良く写っている!
先ずは霊仙山 の下より国道134号に出あう間 のストリート写真です。

此れより下はgoogle地図の画像です。  先ずは霊仙山を斜めに横切る白いガードレールの道です。


新田義貞が鎌倉に攻め込んだ時の潮が引き出現した岩礁!
関東大震災で浮き上がった岩礁を埋め立てた時に使った道です。道の先は現在住宅地であり、その山を削って岩礁を埋め立てた訳です。


其処から東向きに元寇妨塁を見ると、下の写真です。

下の写真 道路の左側の石垣がその防塁です。

 

 

 

下図は、国道134号線が先に見えます。

 

下図は、国道134号線の出会いです。

上図の白い建物は、コンビニのローソンで、その先に石垣が有ります。

次回は、国道134号線脇の防塁です。

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鎌倉時代の波打ち際 22

2021年11月05日 | 鎌倉時代の波打ち際

下図は「鎌倉時代の波打ち際21」の元画像で、関東震災以前(明治、大正時代)の絵葉書です。

この山の岩崩(いわくえ、崖)ですが、萬葉集の防人に行く男が謳ったモノで

かまくらの みこしのさきの いわくえの きみがくゆべき こころはもたじ

この岩崩(いわくえ)の事で、由比ガ浜から見た時に絵に成る場所で、新田義貞鎌倉攻めで黄金の太刀を投げ込んだ海、潮が引き奇跡を起こし海蝕棚が水面から現れた! その海蝕棚上を歩いて攻め込んだ、、この故事に絡む古跡と成ります。

その様な訳で由比ヶ浜から防塁を写す様な写真は、震災の崩壊の凄さを表した報道写真の時だけが興味の対象で、他には探しても無い!

この写真は、稲村ケ崎に続く霊仙山を写した写真の脇にタマタマ写った物です。

場所が判れば、写りは悪くても判別が付けられると考えたのが 下の写真です。

更にもう一枚

以上の防塁が崩壊前の写真となります。
崩壊しても基部はシッカリ残って居るハズですから、、発掘したら痕跡が在るハズです。
現在、鎌倉石は風化に弱く、震災の被害もあり 現代風に他所の石を使って作り直されてる。
元寇防塁のハズが、住宅の波浪避け、高潮除けの必需品と成って生活に溶け込んで現在に至ります。

浜辺より一段高い石垣を組んだ景色は 明治時代では珍しく、観光用鳥観図に描かれた事から、書き手の興味を引いた様子が窺えます。

更に、現状の報告も有りますね、、、

 

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鎌倉時代の波打ち際 21

2021年11月01日 | 鎌倉時代の波打ち際

1923年(大正12年)関東大震災があり、強震度と津波に鎌倉は襲われ、元寇防塁の石積は一部崩壊し写真にも写し取られていたのが「鎌倉時代の波打ち際20」でした。
それならば、ヒョッとしたら震災前の鎌倉元寇防塁が写真に有るかも??


その結果が下の写真です。

二つの桃色の矢印の間なのですが、、、

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