箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

うるさい蜂にならない

2020年07月10日 08時06分00秒 | 教育・子育てあれこれ

私の家には、時々蜂が巣を作ることがあります。

2年前にはスズメバチが巣を作り始めていました。

家のまわりを蜂がとびまわり、危ないので、蜂を駆除するため、ハチキラーのスプレー式殺虫剤を噴霧して、撃退しました。

私は、小さい頃から何度か蜂に刺されたりしたことはあります。

小学生のときは、友だちが耳の上の側頭部をスズメバチに刺されました。
先生が毒を絞り出していました。

中学生の秋の遠足では、クラスが蜂の集団に追いかけられ、多くの友だちと先生が刺されました。

今でなら、安全対策はどうなっていたかなど、大騒ぎになるでしょうが、あの当時の学校は社会も世間も、もっとおおらかでした。

「災難でしたね」で済んだ時代でした。

ともかく、そのような経験を積んでいますので、私は、蜂の習性をだいたいわかっています。

そんな私でも、巣を作っている蜂を退治するのは、相当の覚悟がいります。

失敗すれば、相手も巣を守るために必死です。総攻撃を仕掛けてきますから。

その蜂駆除の状況を、うまく比喩した言葉があります。

「中傷は、
うるさい蜂のようなものである。
これを鎮圧する確信がないならば、
手を出しては、いけない。
さもないと、前よりもいっそう
はげしい突撃を繰り返す。」

(フランスの評論家ニコラス・シャンフォール『格言と反省』から)

SNSでの中傷や非難がたくさん集中的に個人に向けられる書き込みは、まさに蜂がブンブン頭上を飛んでいるようなものです。

だからといって、反論すると前よりさらにひどくなり、総攻撃とも言える「炎上」になります。

シャンフォールは、相手をギャフンと言わせる確信がないなら、手を出すなと言っています。

彼によれば、確信がないなら放っておけ、となりますが、言われる側は、ひどく傷ついています。「泣き寝入り」は酷です。

場合によっては、言われる側は自らいのちを絶つこともあります。

誹謗中傷は言われる側ではなく、やはり、言う側の問題として捉えるべきなのです。

言葉は、人を勇気づけたり、励ましたり、喜びを与えることもあります。

でも、人を深く傷つける、ときには、いのちさえも奪う「凶器」にもなることがあるのです。

私自身も心がけたいのですが、人を刺すうるさい蜂にはならない感覚をもっていたいと思います。




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