最近の幼い子どもについて思うことがあります。
それは電車などの公共交通機関に乗っていて、泣く子が少なくなったということです。
何10年か前なら、電車の中で大きな声で泣いている子はたくさんいました。
車内が駄々をこねたりして「ワーワー」と泣く子で賑やかだったのを思い出します。
いっしょに乗っている親は、叱りつけたり、機嫌をとったり、赤ちゃんならあやしたりしていました。
それでも、泣きやまない子もいました。
周りの乗客も寛容で、「ああ、泣いてるな」という受け取り方でした。
でも、いまはほとんど泣いている子を見ることはありません。
ほとんどの子が「いい子ちゃん」になり、おとなしく座っています。
そんな状況の中で、もし大声で泣き、泣きやまないようなら、親は周りの目を気にします。
ここ数10年で、公共の乗り物では「人に迷惑をかけない」というルールが浸透したようです。
そして、子どもが泣くのをうるさがる習慣ができてきたとも思えます。
だから、もし電車の中で、わが子が泣くようなものなら、親はなんとか泣きやませようとします。
そのため気がせいて、オロオロしながら、抱っこしてあやしたりします。
あれこれしても泣きやまない、自分はダメな親だと周りから責められているような視線を感じる。
なす術なく、やっと車外に出てホッとしたかと思えば、今度はいつまでも泣きやまないわが子に苛立ち、怒りが湧いてくる。
いまの児童虐待は、このようなきっかけで起こるのではないかとも思います。
昭和の時代には、人びとは他者に対してもっと寛容で、許容範囲が広かったように思うのは私だけでしょうか。
さて、教育的にみて、子どもが泣くことは、大切な感情表現です。
たとえば、親と散歩していた子が,けつまずき地面にこけました。
大泣きをします。
これは安心が脅かされたときの子どもの感情表現です。
大泣きをして、スッキリするという成長上の効果があります。
だから、大人は「ああ、痛かったな、痛かったな〜、よし、よし・・・」とあやすのです。
こんな時に、「こけたくらいで、泣くのはやめなさい」などと言えば、子どもはスッキリできないままです。
泣く子は弱いのではありません。泣きたいときに泣ける子がたくましく、強くなるのです。
「泣く子は育つ」。昔の人は核心をつく言葉を残していると,つくづく思います。
人間関係が複雑になっている今日、本人がスッキリすることが大切なのではないでしょうか。
中学生といって個人差はあります。
わたしの教え子で40歳をすぎている人たちは、中学生のときの個人差を感じさせないほど、みんな大人になっています。
中学生と言えども、まだ成長途上だと思います。
頻繁ではありませんが。本人曰く『スッキリする』そうです😄
私自身はあまり泣かない子供だったので
不思議ですが、翌日には本当に表情もスッキリしてるので、こういう子なんだろうなと思ってきました。
でも、まさか、中3まで続くとは😓