子育ての極意としてよく、親に語られる言葉があります。
・乳児からは肌を離すな
・幼児からは肌を離し、手を離すな
・小学生からは手を離し、目を離すな
・中学生からは目を離し、心を離すな
年齢が上がるにつれ、子どもの養育には「見守る」ことが必要になってきます。
この「見守る」ということは、教職経験からも感じますが、けっこう難しいものです。
思春期の中学生には、あまり「これはしないように」とか「こうしなさい、ああしなさい」と干渉しすぎず、見守るべきです。
このように、私も言います。
では、具体的に考えます。
たとえば、校外学習でクラスレクを芝生の上でやっている自分のクラスの子を、学級担任の先生が「見守って」います。
①このとき、事故がないように、またクラスのみんなが楽しみ、仲間関係を深めることができることを願っている担任。
②誰かがちょっかいを出して、友だちを困らせていないか、またクラスを抜け出してさぼらないかと心配している担任。
もちろん、両方の場合もあるでしょうが、 ちがいを明確にするため、①と②の両極端で考えます。
① の場合を「見守っている」、②の場合を「監視している」というのかもしれません。
では、両者は何がちがうのでしょうか。
これは、端的に言うと、子どもを信頼しているか、いないかのちがいです。
「あの生徒たちなら、大丈夫。仲間を大事にして楽しんでくれる。任せておける」
「あの生徒たちはさぼって抜け出し、よからぬ問題を起こすかもしれない。よくみておかないと」
この「見守り」と「監視」は、親御さんの子育てにも当てはまります。思春期の子どもを育てる極意は、「監視」ではなく、「見守る」ことが肝要です。
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