生徒にとっての教師は、やはり最大の「教育環境」です。生徒が困難なことに直面したとき、教師は生徒から相談を受けます。
その相談によって、子どもの学校生活の過ごし方が大きく変化することがあります。
その相談によって、子どもの学校生活の過ごし方が大きく変化することがあります。
その点で、「教育相談」は大きな意義をもっています。
中学校では、非行やいじめが起こったり、生徒が不登校になったりする課題があります。
中学校では、非行やいじめが起こったり、生徒が不登校になったりする課題があります。
それは生徒指導上の問題ではあります。
ただし、問題が起きることが問題ではなく、その問題が継続することこそが問題なのです。
問題が継続するのは、なんらかの悪循環が働いています。
ただし、問題が起きることが問題ではなく、その問題が継続することこそが問題なのです。
問題が継続するのは、なんらかの悪循環が働いています。
その悪循環という流れを止め、生徒が自分の力で適切な方向に向いていけるように、教師がかかわり支援することを、中学校では「生徒指導」と呼んでいます。
実際にあった例を示します。
不登校の生徒Sから教師Tが話を聴きます。
T:「家では、いまどんなことをしているの?」
実際にあった例を示します。
不登校の生徒Sから教師Tが話を聴きます。
T:「家では、いまどんなことをしているの?」
S:「スマホをさわったり、スマホでゲームしたりかな」
T:「スマホなんだ。一人でやっていてさみしくはないかい?」
S:「さみしい時もあるけど、友だちがいないから、しかたない」
T:「ずっと一人で家でがんばっているんだ。なぜ、そんなにがんばれるのかな?」
S:「ぼくはがんばっているのかな・・・? 一人で家にいるのも慣れてきた。自分で学校を休んでいるんだから、しかたないよ。スマホをさわっていると、学校のことが気にならなくなる」
T:「そうなのか。スマホは学校を忘れさせてくれるんだ。そのことに気がついているだけでもすごいと思うよ」
S:「でも、ほんとうは、好きでスマホをやっているのではないかもしれない・・・」
この対話で、よくありがちなのが「なんで学校に来れないのかな」「どうしたら登校できるようになるかな」という質問です。
でも、これは不登校の子には難しい問いです。
そこで、この対話は学校についての話題をとりあげてはいません。
そこで、この対話は学校についての話題をとりあげてはいません。
Sがいま生きている世界、リアルな世界である家での本人なりのがんばりに焦点をあて聴くほうがいいだろうと教師は思って質問をしています。
そして、「なぜ、そんなにがんばれるのかな?」と、逆説的な質問をはさみこんでいます。
そして、「なぜ、そんなにがんばれるのかな?」と、逆説的な質問をはさみこんでいます。
Sにとっては、「自分は学校を休んでがんばれていない」と感じているのに、予想外の言葉がきて、気持ちを揺り動かされています。
そして、次に自分のことを見つめて、考えて、「スマホをさわっていると、学校のことが気にならなくなる」という気づきに至るのです。
このように、子どもが問われて意外に思う問い、教師が逆説的な聞き方をする方法があります。
「そうだったのか、学校のことを考えたくないので、ぼくはスマホをしていたのかもしれない」という悪循環の連続に、中学生なら気がつきます。
「ぼくは好きでスマホをやっているんじゃない」と続いて考えていくとき、不登校を乗り越える変わり目への一歩となるのです。
このようなやりとりができるのも、思春期の中学生ならではです。
「ぼくは好きでスマホをやっているんじゃない」と続いて考えていくとき、不登校を乗り越える変わり目への一歩となるのです。
このようなやりとりができるのも、思春期の中学生ならではです。
考えて、自分での気づきを見つけた生徒は、自分からどうしていくかを定めて、実行していくのです。
このように、中学生は力強い存在であると、私は思います。
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