Michiyo Kamei "Shape of life"いのちのかたち  

画家 亀井三千代 記
「身体曼荼羅」春画と解剖図
michiyokamei diary

新作「飛翔憬」@「座2019」

2019年07月09日 09時23分26秒 | EXHIBITION


新作「飛翔憬」F130 墨・和紙 2019 亀井三千代
画像があまり良くありませんが、13日からの「座2019」に出展いたします。

作品の進行に合わせて、ツイッターに画像を投稿しているので
この作品をいつ頃描き始めたのか、経緯がわかるようになりました。
下図をあれこれ練っていたのがGW中、
それから紙を貼ったり転写したり

さまざまな段階があってここまで来ました。
出来てしまうと「出来たかな~ホ~ゲ~笑」という感じですが
描き始めるまではとても完成するとは思えない
登り切れない山のように感じて、始める前から折れそうになる時もあります。

だから必ず無理のないプランを立てて早めに開始
一旦終わらせてしばらく裏返し、すっかり忘れてから
再チェックして仕上げます。







絵を描くことは単純ではない。
素材に奉仕する身体的な行為
今、自分が何を描いているかという意識
眺めて何を何のために描いているかという反省
そしてそのどれでもない、くみ取れないものが実は画面に溢れていて
それを受け入れることによって作品が成立することの実感

私にとっては
このくみ取れないものが無意識に溢れることが重要です。

くみ取れないものを無理に抽出しようとは思いません。
それをすると、意識的に無意識を抽出することになるので
それが無意識領域のものかどうか客観視できなくなります。
無意識領域、
それをどこか神聖なものと見ているかもしれません。







そいうえば今回の翼
これもクロッキー帳で下図を練りながら出てきたイメージで
自分でもどうしたものかと思っていましたが
神聖なものへの憧れかもしれません。
骨は犬の骨。
ヒトの骨に比べて形が奇妙で魅せられました。
男だの女だのといったことから解放されて、
他生物も含めた命にまでテーマを膨らませたかったので

良いアイデアだったと思っていますが

展示して客観視してからまた反省したいと思います。

絵を描くことは「私」という自然への興味から始まる
知らなかった「私」に出会ってしまう場であり、
同時に「私」の意志をシンプルにうつす鏡でもあります。
作品はシステムと混沌の中間領域で、
かつ素材・肉体・意識の三角関係の中からおもむろに立ち現れる、無意識的な人工物であると考えています。
それともう一つ、自分に対する興味を「エゴ」から「愛」に昇華させる
一つの良い方法でもあると思います。
私は絵を描くことによって、救われていると思います。

ところで…

「座2019」展の会場では「ユニコーンカード」を販売いたします。
価格は未定ですが、おそらく1枚200円程度の予定
座の会図録制作のための資金にしたいです!!
是非会場に足をお運び下さい。お待ちしております。

★座の会展「座2019」7/13-24(18休館) O美術館 入場無料 
座の会→https://www.facebook.com/ZaNoKai/







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