緑には、東京しかない

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

11月の東京駅八重洲口:建設中の歩行者用デッキ「グランルーフ」(1)

2012年11月17日 15時19分30秒 | 東京駅周辺


グラントウキョウノースタワーとサウスタワーに挟まれた細長い一角、東京駅八重洲口で建設作業中の歩行者用デッキ「グランルーフ」をズームで撮影してみました。復原された丸の内駅舎のような華々しさは確かにないかもしれないですが、八重洲口や隣接している京橋のビジネス街にふさわしい、東京のもう一つの玄関口の顔となって欲しいです。




それにしても4機のタワークレーンが整然と立ち並んでいる光景はまさに壮観ですね。建設予定の細長い空間の中に工事用のプレハブなどの施設がコンパクトに設置されていました。




アジアの金融拠点を目指して成長を続ける東京駅周辺を象徴するグラントウキョウノースタワー、このビル内には大和証券グループ本社の本社、大和証券の本店、大和証券SMBC(当時)の本店が入居しています。「大和証券グループ本社」は大和証券(3代目:2012年4月1日付けで大和証券キャピタル・マーケッツを吸収合併)・大和投資信託委託・大和総研・大和企業投資などを持つ、日本では野村證券についで業界2位の証券グループの持株会社です。




短資部門を中心に証券業を営んでいた藤本証券(藤本ビルブローカー)と大阪証券取引所(大証)の機関銀行だった日本信託銀行(戦後存在していた同社名の信託銀行とは別)が1943年12月27日に合併して(初代)旧「大和證券」が成立します。この藤本証券は大阪市中央区の北浜で創業したビルブローカーが銀行業務を始めたのが大和証券の始まりだったのです。




1999年4月26日に(2代目)大和証券株式会社が、(初代)旧・大和證券株式会社からリテール証券業務を営業譲受し営業開始します。その後のそして2012年4月1日付けで、同社傘下でリテール証券業務を担当していた「(2代目)大和証券」が、同じく傘下のホールセール証券業務担当であった「大和証券キャピタル・マーケッツ」を吸収合併し、リテール・ホールセールを一本化した「(3代目)大和証券」が発足しました。




比較的交通量が多い外堀通りの脇でグランルーフの建設作業が続けられています。現在の時点では外堀通りから丸の内の高層ビル群を見渡すことができますが、グランルーフが完成するとそれもできなくなります。




かつてこの場所には「旧大丸東京店」が入居していた黒塗りのビル「鉄道会館ビル」が壁のように建っていました。昭和29年に建設された地上6階建てのビルで、昭和43年には12階建てまで増築されました。百貨店が密集している銀座・日本橋地区と比較して無機質なビジネス街の東京駅周辺では唯一の百貨店でした。




グラントウキョウノースタワーが隣接する国際観光会館跡地に建設されると大丸東京店はその低層棟に移転し、2007年11月6日に開業します。2008年の中旬くらいから解体工事が始まって年明けには更地になっていたと記憶しています。




その後は本格的な丸の内駅舎の復原工事が開始されたので、こちら八重洲口は話題も少ないイメージが強かったのですが、グランルーフの建設作業が開始されました。




「グランルーフ」は中央部はテフロン膜で構成した大屋根で駅全体を覆い、雨風を防ぎつつ駅全体に柔らかい光を落とす、高さ30メートル、長さ240メートルの空間を創出する構造で、大屋根下の広場空間が駅前広場に直結することになります。地上4階地下3階で、2009年(平成21年)4月に安全祈願祭を実施し、7月に工事に着手しました。2011年(平成23年)3月23日からジェイアールバス関東の営業施設などが移転して南部先行開業となっています。




工事が始まってから約4年が経っている計算になりますが、大屋根本体の3分の1もまだ完成していない状況なのです。八重洲口の周辺は八重洲地下街など地下構造物が密集していて、工事が難しいのかもしれないですね。それに工事現場の真下は人通りが常に絶えることがない八重洲口や八重洲地下中央口がありますし。




タワークレーンの間からJPタワーを綺麗に撮影することができました。




第2期工事が完了して店舗面積が46000平方メートルまで増えた大丸東京店。丸の内駅舎が開業した数日後の10月5日に増床グランドオープンしたのですが、話題のほとんどを丸の内駅舎の完成に持って行かれてしまいました。




グラントウキョウノースタワーには大和証券グループ本社の他に「BNPパリバ」の日本支社も入居しています。2000年にパリ国立銀行 (Banque Nationale de Paris, BNP) とパリバ (Paribas) が合併して誕生し、ユーロ圏では最大規模の金融グループである。ユーロネクスト・パリ (BNP) に上場し、CAC40 の構成銘柄です。




1867年に国立パリ割引銀行が横浜に支店を開設(1877年撤退)し、日本政府の外債発行などを担いました。戦後、1973年にパリバが欧州企業としてはじめて東京証券取引所外国部に上場したのですが、支店開設は70年代半ばと遅れていた経緯があります。




ノースタワー寄りの工事予定地内にもグランルーフの基礎体が組み立てられているのが見えました。




新丸の内ビルや日本生命丸の内ビルも綺麗に見渡すことができますが、グランルーフ開業後はそれも叶わなくなります。




八重洲口のシンボルとも言えた鉄道会館ビルは3年ほど前に解体されて更地となりました。丸の内駅舎の復原工事完成後は八重洲口のグランルーフ完成に注目していきたいと思います。

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