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緑の、東京ブログ

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

向寒の日比谷散策:内幸町一丁目から日比谷へ(1)

2012年11月20日 18時37分39秒 | 皇居周辺・城西


日比谷公園の鬱蒼とした緑地帯に隣接している「内幸町(うちさいわいちょう)交差点」。霞ヶ関の中央省庁街のすぐそばに位置していることから、みずほ銀行やNTTコミュニケーションズ、富国生命本社ビル、日本プレスセンタービル等、日本を代表する大企業の本社がこの「千代田区の内幸町一・二丁目」地域には密集しています。まさに「東京都心部の中枢」にふさわしいエリアだと思います。




日比谷公園は後ほど散策してみますので、日比谷通りを日比谷交差点に向かって歩いていきます。




新幸橋交差点から内幸町交差点まで狭い道幅だった「国会通り」は、一気に片側3車線の大通りへと拡幅されています。この国会通りをまっすぐ進むと国会議事堂衆議院南門前や、総理大臣官邸前に出ることができます。




日比谷公園の南側の敷地「日比谷シティ」の高層ビル群を見上げて撮影してみました。富国生命ビル、日比谷国際ビル、日本プレスセンタービルの3つの高層ビルで構成されています。渋谷区の神南にNHK方向センターとして移転したNHK東京放送会館の跡地に再開発されました。




日比谷公園の緑地帯を左側に見ながら、日比谷通りを散策していきます。




東京都心部を歩いていると、本当にタクシーの多さに圧倒されることがあります。特に東京駅から有楽町駅周辺にかけてではそれが顕著です。




明治時代の日比谷・内幸町周辺は江戸期の大名屋敷が全て取り壊された跡の更地が広がっている状態であり、陸軍の練兵場として整備されていました。その後明治中期以降に劇場・ホテル・大企業の本社屋が次々と建てられていった経緯があります。




江戸時代の初期に「日比谷入江」と呼ばれていた湿地帯を土砂で埋め立てられて造成された土地なので、どこまでも平坦な地形が続いています。




日本のホテル御三家の一つと呼ばれている高級ホテル「帝国ホテル」の脇を通っていきます。平日の午前中の時間帯だとタクシーやハイヤーの出入りもほとんどなく、ひっそりとした雰囲気でした。ちなみに御三家の内、残りの二つはホテルオークラとホテルニューオータニのことです。




日比谷通りに面して建っているのが1970年(昭和45年)に建設された「新本館」です。この新本館の西側、JRの線路に面した場所には別館である「インペリアルタワー」が建っています。




帝国ホテル前から振り返って日比谷シティの高層ビル群を撮影してみました。




長州藩出身の政治家である井上薫が渋沢栄一と大倉喜八郎の二人に出資を求める形で設立された帝国ホテルは、1890年(明治23年)11月3日に落成、同7日に開業しました。日本が世界に誇れるような一流ホテルを作るというコンセプトで建設された国際的ホテルとして当時は話題となりました。




設立者の一人である大倉喜八郎は「首都に一流のホテルがあることが、その国の文化の尺度を測る物差し」と常に語っていたと言われています。ちなみに大倉喜八郎は帝国ホテル以外にもホテルオークラ、大成建設、大倉商事、千代田火災海上(現あいおいニッセイ同和損害保険)、富士銀行など数多くの事業を立ち上げている人物です。




帝国ホテルの脇を通り抜けると前方に「日本生命日比谷ビル」の重厚な外観を持つ建物が見えてきました。建物内には1330もの座席数を持つ「日生劇場」が併設されています。




日生劇場の正面には日比谷公園の「日比谷門」が設置されています。日比谷公園内も見た感じでは、ひっそりとした雰囲気です。




日比谷公園の緑地帯を取り囲むようにオフィスビルが集まっています。

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