
11月初旬の平日、緑は東京地下鉄銀座線の神田駅にやってきました。地上に上がると目の前には国道17号線(中央通り)の大通りが南北に走っています。今回の散策ではJR神田駅前をスタートして万世橋、交通博物館跡地、淡路坂、聖橋を経由して東京医科歯科大学付属病院前・JR御茶ノ水駅まで歩いてみます。

JR神田駅前から中央通りを秋葉原方向へ進むと神田川に架かる「万世橋」へ行くことができます。神田駅周辺はオフィスビル街がどこまでも続いている風景が広がっています。神田は東京駅と秋葉原駅という東京を代表するオフィス街・電気街に挟まれた場所に位置しているので、影が薄いイメージがあります(汗)

「須田町交差点」の手前で中央通りは緩やかな右カーブを描いていきます。ちなみにこの界隈は「千代田区の神田須田町一丁目」といいます。・・・それにしてもこの日の快晴の天気はまさに「完璧」と言っていいほどの青さでした。

この右カーブの奥に「万世橋」が架橋されています。ズームで撮影してみると秋葉原界隈の電気街や「秋葉原クロスフィールド」の高層ビル群などが見えます。

中央通りに沿って家電量販店などが密集している秋葉原電気街、夕刻の時間帯に訪れると色鮮やかなネオンの風景を楽しむことができます。

「須田町交差点」で中央通りは「靖国通り」と交差しています。靖国通りを通り越して万世橋へ向かいます。

靖国通り沿いもオフィスビルが密集して建っています。東京都心部の広範囲に広がるオフィスビル街の典型的な風景が目の前に広がっています。

JR神田駅から御茶ノ水駅にかけて弧を描きながら伸びているJR中央快速線のガードをくぐります。しばらくこのガード周辺をウロウロしていたのですが、約1分間隔で中央快速線の電車で行きかっていました。

ガード脇から見上げると2006年(平成18年)5月に閉鎖され2009年(平成21年)に取り壊し工事が実施された交通博物館跡地に再開発工事中の「JR神田万世橋ビル(仮称)」です。神田駅や秋葉原駅まで数百メートル以内に位置する一等地なのでオフィスビルの需要が高い場所なのでしょう。

中央通りの「万世橋」に到着しました。万世橋の歴史は、1676年(延宝4年)に架けられた筋違橋(すじかいばし)に遡ります。当橋は徳川将軍が寛永寺に詣でる時に渡る橋で、現在の昌平橋と万世橋との中間にありました。1872年(明治5年)に筋違見附が取り壊され、翌1873年(明治6年)にその石材を再利用して、筋違橋の場所にアーチ二連の石造りの橋が完成し、当時の東京府知事大久保忠寛が萬世橋(よろずよばし)と命名したが、次第にまんせいばしという音読みの方が一般化したのです。

その後万世橋は現在の位置に移動しますが関東大震災で被災し、修復工事が行われます。大震災後の帝都復興事業に指定され、東京地下鉄道の渡河工事に伴う水路変更の必要もあって、一旦東側下流の木製仮橋に移転した後、1930年(昭和5年)に長さ26メートル、幅36メートル、石及びコンクリート混成の現在のアーチ橋に架け替えられました。

万世橋から神田川の上流方向を撮影してみました。奥には本郷台地の高台が小さく見えますが、ここからあの上まで散策してみたいと思います。

振り返ると橋の北側には秋葉原電気街が広がっています。とは言っても平日の昼過ぎの時間帯ですと、土日休日の秋葉原のように人で賑わってはおらず閑散としていました。むしろビジネスマンの人たちの姿の方が目立ったくらいです。

JR中央快速線の高架橋に沿って林立している高層ビル群。今までは東京の神田須田町や淡路町、御茶ノ水と言えば学生の姿が多いイメージが強かったですが、ここ数年くらいで高層ビルが急激に増え始めてそのイメージが変わりつつあります。

「JR神田万世橋ビル(仮称)」の脇を通り抜けて淡路坂へ向かいます。この場所にあった交通博物館は埼玉県さいたま市の「鉄道博物館」へ移転してしまい寂しさが残ったのは事実ですが、こうして高層ビルへと生まれ変わったのは良かったと思います。

周囲には電気街の秋葉原、学生と大学の街の御茶ノ水、南へ行けば東京駅が設置されているなど、神田駅は個性的な駅や町並みに囲まれた位置にあります。正直言って「神田」は味気ないオフィスビル街のイメージが強すぎます。