
上野公園野外ステージ前から撮影した不忍池の蓮池の全景です。蓮池の周囲に整備されている散策道を歩いて、中洲の中にある弁天堂前へ向かいます。平日の午前中の時間帯の散策だったのですが、ゆったりとした時間が流れていました。

池の端地区の湖畔に林立しているタワーマンション群を眺めていると、まるでリゾート地の風景そのものに見えてきました。ここ約10年程で、不忍池周辺の景観が激変して来ています。

不忍池の北側に広がっている「竹の台」と呼ばれている丘陵地帯の上には上野動物園や国立博物館、東京都美術館などの施設が集まっています。

不忍池は上野恩賜公園の南端に位置し周囲は約2キロ、全体で約11万平方メートルの規模です。北で上野動物園西園、東で京成上野駅、南と西で不忍通りに接しています。不忍池の水面は3つに区切られていて、蓮池、ボート池、水上動物園と分かれています。

蓮池の南端部の畔に建っている「蓮見茶屋」の建物が見えてきました。土日祝日になるとこの蓮見茶屋周辺は多くの人々で賑わい、出店などもあるのですが、この日は閑散としていました。

江戸時代には、不忍池の湖畔は多くの茶屋が並び、江戸庶民の憩いの場として、人気があり大変賑わっていました。そんな江戸時代の茶屋を再現し、現代の人達の憩いの場にしようと、上野観光連盟や上野商店街連合会が主体となり、台東区と東京都の後援の元、作られたのがこの「蓮見茶屋」です。

蓮見茶屋周辺の護岸には工事用のフェンスが建ち並び、何か工事が行われていました。

工事概要の看板にはなんと「浮桟橋(蓮観察デッキ)を作っています」と説明が書いてありました。来年2014年の2月に完成する予定になっていますね。

閑散としている蓮見茶屋の建物の脇を通り抜けていきます。

蓮見茶屋の敷地の東側(上野駅側)では、護岸のコンクリートを解体し、パワーショベルで地面を掘り起こす工事をしていました。浮桟橋の基礎を水底に打ち込む工事が始まるのかもしれませんね。

工事現場脇から撮影した蓮池の全景です。浮桟橋が建設される場所の周辺の蓮が全て水面から撤去されていました。

この位置から弁天堂をズームで撮影すると、建物を真横から見た構図になります。

蓮池の東岸側の散策道を歩いていきます。「不忍池」の名前は、かつて上野台地と本郷台地の間の地名が忍ヶ丘(しのぶがおか)と呼ばれていたことに由来するとのことです。

蓮池の水面に綺麗に写っていた雲一つない快晴の青空と、池の端地区の高層タワーマンション群を撮影しました。

JR上野駅や、地下鉄上野広小路駅にほど近い「下町風俗資料館前」から撮影した蓮池の全景です。縄文時代ごろ、この辺り一帯は東京湾の入り江でした。その後海岸線の後退とともに取り残されて、紀元数世紀ごろに池になったと考えられています。

1625年に江戸幕府は西の比叡山延暦寺に対応させ、この地に寛永寺を建立しました。開祖である慈眼大師・天海は、不忍池を琵琶湖に見立て、竹生島になぞらえ弁天島(中之島)を築かせ、そこに弁天堂を作ったのです。

蓮池の東岸側の歩道から撮影した池の端地区の湖畔の建物群です。

中華レストランの東天紅本店の建物と、本郷台の高台に建っている東京大学医学部附属病院の新入院棟の高層ビルが綺麗に撮影することが出来ました。
