
浜離宮庭園の延遼館(えんりょうかん)跡地の芝生広場周辺を散策していきます。広大な芝生広場や植えられている木々の後ろ側には汐留シオサイトや竹芝の高層ビル群が広がっています。

芝生広場の周囲はケヤキなどの木々が植えられていて、ようやく紅葉が始まりかけていたのですが、あまり綺麗な風景ではなかったですね。

浜離宮庭園の紅葉は11月の下旬からようやく始まり、12月初旬前後でピークを迎えるそうです。

振り返って大手門方向を見上げると、汐留シオサイトの高層ビル群の中核的存在である「電通本社ビル」が、朝日に反射して壁面全体が光り輝いていました。

1654年(承応3年)に甲府藩主の徳川綱重がこの地を拝領し、海を埋め立てて別邸を建てました。その後は甲府藩の下屋敷として使用された経緯があります。綱重の子である徳川家宣が6代将軍になると、将軍家の別邸とされました。

その後浜御殿と改称して大幅な改修が行われ、茶園、火薬所、庭園が整備されました。特に徳川家斉と家慶の頃は、将軍の鷹狩の場でありました。慶応2年に着工した石造洋館が、明治2年に外国人接待所「延遼館」として竣工しました。

延遼館は明治維新後も鹿鳴館が完成するまでは迎賓館として使用されました。明治3年(1870年)に宮内省の管轄となり、名前も離宮と改められ、明治天皇も度々訪れるようになります。

太平洋戦争終戦後の1945年(昭和20年)11月にはGHQの命令によって、東京都へ下賜されます。翌年の1946年(昭和21年)の4月には都立庭園として開園しました。

広大な芝生広場と、汐留シオサイトの高層オフィスビルとタワーマンション群です。

人の気配が全くない芝生広場を後にして、菜の花やコスモスのお花畑へ向かいます。

ほんのりとした紅葉が始まってきている浜離宮庭園の緑地帯と、汐留シオサイトの高層ビル群を撮影しました。左側は外資系高級ホテル「コンラッド東京」が入居している東京汐留ビルディング、右側は電通本社ビルです。

芝生広場と、コスモスと菜の花のお花畑との間には「内堀」の水面が広がっています。

内堀の両側は簡単な石垣で整備されています。内堀の河岸の数か所には、船着き場が整備されています。歴代の徳川将軍などが使用していたのでしょうか?

内堀が汐留川とつながっている場所には木橋が架橋されていて、渡った先にお花畑が広がっています。

内堀前から振り返って芝生広場の全景を撮影しました。思った以上に緑が鬱蒼としていて、背後の高層ビル群の存在感が圧倒的でした。

木橋の脇に植えられている「300年の松」の木が見えてきました。

「300年の松」の木は六代将軍家宣が庭園を大改修したとき、その偉業をたたえて植えられた松です。太い枝が低く張り出し、堂々たる姿を誇っています。東京都内に植えられているクロマツの中では、最大の大きさであると言われています。

この日は作業員の方が何か手入れをされているようでした。
