緑の、東京ブログ

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

初冬の浅草:雷門から浅草寺境内を散策する PART2

2013年12月08日 20時00分00秒 | 台東・上野周辺


浅草寺の境内の中を散策していきます。仲見世通りの北側に建っている宝蔵門周辺には五重塔や本堂などの建物が建ち並んでいます。




浅草寺の歴史は大変古く、大和朝廷が近畿地方で勢力を伸ばしつつあった628年に建立されました。当時の関東平野は何もない原野がどこまでも広がっていたと言われています。




表参道である仲見世通りの北側に建っている「宝蔵門」を見上げて撮影しました。門の左右に金剛力士(仁王)像を安置することからかつては「仁王門」と呼ばれていたのですが、昭和の再建後は宝蔵門と称しています。その名の通り、門の上層は文化財の収蔵庫となっています。




宝蔵門の西側に建っている「五重塔」を撮影しました。現在の五重塔は昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失し、その後再建されたものです。




現在の塔は本堂の西側、寛永8年(1631年)に焼失した三重塔の跡地付近に場所を移して、昭和48年(1973年)に再建されたもので鉄筋コンクリート造、アルミ合金瓦葺き、基壇の高さ約5メートル、塔自体の高さは約48メートルとなっています。




宝蔵門内部に吊り下げられている大提灯を撮影しました。現在の門は昭和39年(1964年)に再建された鉄筋コンクリート造で、実業家・大谷米太郎夫妻の寄進によって建てられたものです。




日本橋小舟町奉賛会より2003年の10月に奉納掛け換え(3回目)が行われた大提灯を見上げて撮影しました。




宝蔵門の北側に建っている本堂方向を撮影しました。本堂周辺も多くの観光客の人たちで賑わっていました。




浅草寺の本堂は、本尊の聖観音像を安置するため「観音堂」とも呼ばれています。旧堂は慶安2年(1649年)の再建で近世の大型寺院本堂の代表作として国宝(当時)に指定されていたのですが、昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失しました。




五重塔を真正面から撮影してみましたが、幾分逆光気味になってしまいました。




現在の堂は昭和33年(1958年)に再建されたもので鉄筋コンクリート造です。2009年2月から2010年12月にかけて、「平成本堂大営繕」が行われました。屋根の葺き替えは昭和33年(1958年)の再建以来50年ぶりなのだそうです。




本堂周辺は多くの観光客で賑わっていて、境内では何かイベントが開催されていました。




浅草寺境内から撮影した東京スカイツリーです。浅草寺から東京スカイツリーまで、直線距離にして約1.2キロほど離れていますが、高さ634メートルの構造物の存在感は絶大です。




ズームで撮影した東京スカイツリーです。これから東武スカイツリー線の浅草駅へ戻り、電車に乗って東京スカイツリーへ向かいます!!!



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初冬の浅草:雷門から浅草寺境内を散策する PART1

2013年12月08日 08時00分00秒 | 台東・上野周辺


浅草寺(せんそうじ)の敷地の南端部に建っている「雷門」と、雷門前交差点の全景を撮影しました。この交差点はスクランブル式に設定されていて、歩車分離式です。平日の撮影だったのですが、雷門周辺は多くの人々で賑わっていました。




浅草寺の表参道入口の門である「雷門」をズームで撮影しました。奥にある浅草寺の本堂よりも、この雷門の方が有名になってしまっていますね。というより、この雷門は東京を代表する観光名所でもあります。




雷門前交差点から吾妻橋方向を撮影しました。雷門通り沿いのアーケードの商店街の奥にそびえ立っている東京スカイツリーの強烈な存在感に圧倒されそうです。




雷門の正式名称は「風雷神門」といい、切妻造の八脚門で向かって右の間に風神像、左の間に雷神像を安置してあります。早速雷門をくぐって仲見世通りを歩いていきます。




浅草のランドマークとして親しまれている雷門、多くの観光客の人たちが記念写真を撮影したりしていました。




門内にある松下電器産業(現パナソニック)寄贈の大提灯です。本体は丹波産の竹の骨組みに福井県産のコウゾ100%の和紙約300枚を貼り合せたもので上下の張り輪には金属製の化粧輪が取り付けられています。1971年から京都市下京区の高橋提燈が制作しており約10年ごとに新調されています。




2003年に江戸開府400年を記念して改めて新調された際、提灯は従来の物より一回り大きくなり、直径3.3m、高さ3.9m、重さ700㎏となりました。今年2013年に新調された大提灯で5基目となります。




雷門から本堂へ向かって真っすぐ伸びている門前通りが「仲見世通り」となっています。仲見世通りも多くの人々で賑わっていました。




仲見世通り側から撮影した雷門です。「風神雷門」の文字が色鮮やかに描かれていました。




平日の日中の時間帯なのですが、年末年始のような混雑の仲見世通りです。長さ約300メートルの通りの両側にはにはみやげ物、菓子などを売る商店が立ち並んでいます。




仲見世通りから両側へ向かって小さな小路がいくつも伸びていたりします。




最近の浅草界隈は、外国人観光客の人たちの姿が目立つような気がします。浅草界隈などの典型的な観光地は欧米系の人たちが多く、銀座などの繁華街は中国などのアジア系の人たちが多い気がします。




現在の仲見世通りの街並みは、関東大震災による被災後、大正14年(1925年)に鉄筋コンクリート造で再建されたものなのだそうです。




しばらく人混みの中を歩いていると、前方に「宝蔵門」が見えてきました。宝蔵門は仲見世通りの商店街を抜けた先にあり、この宝蔵門の奥に浅草寺の本堂が建っています。




宝蔵門周辺も大変多くの観光客の人たちで賑わっていました。



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