
浅草寺の境内の中を散策していきます。仲見世通りの北側に建っている宝蔵門周辺には五重塔や本堂などの建物が建ち並んでいます。

浅草寺の歴史は大変古く、大和朝廷が近畿地方で勢力を伸ばしつつあった628年に建立されました。当時の関東平野は何もない原野がどこまでも広がっていたと言われています。

表参道である仲見世通りの北側に建っている「宝蔵門」を見上げて撮影しました。門の左右に金剛力士(仁王)像を安置することからかつては「仁王門」と呼ばれていたのですが、昭和の再建後は宝蔵門と称しています。その名の通り、門の上層は文化財の収蔵庫となっています。

宝蔵門の西側に建っている「五重塔」を撮影しました。現在の五重塔は昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失し、その後再建されたものです。

現在の塔は本堂の西側、寛永8年(1631年)に焼失した三重塔の跡地付近に場所を移して、昭和48年(1973年)に再建されたもので鉄筋コンクリート造、アルミ合金瓦葺き、基壇の高さ約5メートル、塔自体の高さは約48メートルとなっています。

宝蔵門内部に吊り下げられている大提灯を撮影しました。現在の門は昭和39年(1964年)に再建された鉄筋コンクリート造で、実業家・大谷米太郎夫妻の寄進によって建てられたものです。

日本橋小舟町奉賛会より2003年の10月に奉納掛け換え(3回目)が行われた大提灯を見上げて撮影しました。

宝蔵門の北側に建っている本堂方向を撮影しました。本堂周辺も多くの観光客の人たちで賑わっていました。

浅草寺の本堂は、本尊の聖観音像を安置するため「観音堂」とも呼ばれています。旧堂は慶安2年(1649年)の再建で近世の大型寺院本堂の代表作として国宝(当時)に指定されていたのですが、昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失しました。

五重塔を真正面から撮影してみましたが、幾分逆光気味になってしまいました。

現在の堂は昭和33年(1958年)に再建されたもので鉄筋コンクリート造です。2009年2月から2010年12月にかけて、「平成本堂大営繕」が行われました。屋根の葺き替えは昭和33年(1958年)の再建以来50年ぶりなのだそうです。

本堂周辺は多くの観光客で賑わっていて、境内では何かイベントが開催されていました。

浅草寺境内から撮影した東京スカイツリーです。浅草寺から東京スカイツリーまで、直線距離にして約1.2キロほど離れていますが、高さ634メートルの構造物の存在感は絶大です。

ズームで撮影した東京スカイツリーです。これから東武スカイツリー線の浅草駅へ戻り、電車に乗って東京スカイツリーへ向かいます!!!
