日比谷公園の雲形池の北側周辺の散策道を歩いていきます。散策道の周囲は色鮮やかな紅葉に覆われていました。
もみじの紅葉の奥には、鶴の噴水が小さく見えます。
日影になっている場所の紅葉は、まだ進んでいる最中でした。
雲形池に流れ込んでいる小川に架けられている木橋を撮影しました。この木橋を渡って、首かけイチョウの大木が生えている、日比谷公園の中心部へ向かいます。
木橋を渡って、藤棚とベンチが並んでいる場所へ戻ってきました。雲形池のイチョウの紅葉、最高の状態で眺めることが出来ました。
鶴の噴水と、紅葉のイチョウの大木をズームで撮影しました。
日比谷公園の緑地帯のちょうど中央部に建っている西洋レストラン「日比谷松本楼」の建物と、松本楼の脇に立っている「首かけイチョウ」の大木前にやってきました。
平日の午前中の時間帯の散策だったのですが、松本楼のテラス席では食事を取っている人たちの姿がありました。正午になると周辺の官庁街やオフィス街で働いている人たちが休憩や昼食でこの界隈は賑わうことになります。
「首かけイチョウ」の紅葉はほぼ全ての葉が落ちつくしていて、枯れ木状態となっていました。雲形池のイチョウの木はこの日が見ごろだったのですが、首かけイチョウの方が紅葉がひと足早かったのですね。
もともとこの首かけイチョウの大木は、日比谷公園が造営される以前の江戸時代は、現在の日比谷交差点付近、江戸城の「日比谷見附」周辺に植えられていたそうです。
1901年(明治34年)の道路拡張の際、邪魔になるとこのイチョウが伐採されようとしたのをこの公園の設計者であった本多静六(ほんだせいろく)博士が、「私の首を賭けても移植を」と東京市参事会議長の星亨(ほしとおる)氏に懇請し、イチョウを今の場所まで450メートル移動させたそうです。
それ以来「首かけイチョウ」と呼ばれるようになったそうです。地図で見ると判りますが、ちょうどこの首かけイチョウの真下を、東京地下鉄丸ノ内線のトンネルが通過しています。
首かけイチョウの樹高は約21メートル、山手線の車両の長さに相当します。樹齢は約350年に達しているのだとか。
日比谷松本楼の西洋レストランと、首かけイチョウの全景を撮影しました。1923年9月の関東大震災、1971年11月の沖縄返還協定反対デモの時に、それぞれ焼失していて、現在の建物は3代目となっています。
日比谷公園の敷地の東寄り(有楽町寄り)の噴水広場へ向かいます。噴水の周辺では、何かイベントが開催されていて賑やかでした。
松本楼の建物を後にして、先へ進みます。