緑の、東京ブログ

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

初冬の浅草:東武浅草駅前から雷門前へ

2013年12月07日 20時00分00秒 | 台東・上野周辺


12月初旬の平日、東京地下鉄銀座線の浅草駅前にやってきました。地上へあがるとすぐ目の前には、東武スカイツリーラインの浅草駅舎の建物が建っています。浅草駅前から駅前の繁華街の中を散策して、浅草寺へ向かいます。




東武スカイツリーラインの始発駅である浅草駅施設と商業施設(松屋浅草などのテナント)が入居している駅ビルの全景を撮影しました。1931年(昭和6年)に関東では初となる本格的な百貨店併設のターミナルビルとして開業しました。




東武浅草駅の南側にある「吾妻橋交差点」前にやってきました。多くの観光客の人たちで賑わっている浅草の街の中心に位置している交差点です。




浅草駅前を南北方向に通っているのが国道6号線「浅草通り」と、吾妻橋交差点で交差しているのが「雷門通り」です。どちらの通りも大変交通量が多かったです。




去年2012年5月22日に対岸の押上地区で東京スカイツリーが華々しく開業しましたが、約800メートル程西側にあるここ浅草地区も、その相乗効果で観光客が増えてきているのだそうです。




確かに、実際に歩いてみると以前よりも観光客の人たちの数が増えてきているように感じました。新しいお店や観光施設なども増えていて、賑やかな雰囲気ですね。




隅田川に架橋されている「吾妻橋(あづまばし)」を撮影しました。対岸にそびえ立っている東京スカイツリーのインパクトは絶大で、もはや浅草周辺の観光は、スカイツリーなしには成立しなくなっているほどなのです。




東武が手掛ける東京スカイツリー開業に伴い、浅草駅舎については開業時の姿に復元すると同時に、待合室の新設・耐震補強工事の施行を含めたリニューアルが行われることになり、スカイツリー開業と同時の2012年5月に竣工しました。




以前は「東武伊勢崎線」と名乗っていたのですが、スカイツリー開業と同時に路線名の愛称として「東武スカイツリーライン」に変更されました。ちなみにスカイツリーの最寄り駅である業平橋駅は「とうきょうスカイツリー駅」へと改称されています。




雷門前通り沿いのアーケードが付いている商店街の中を散策して雷門へ向かいます。




とは言っても、基本的に浅草界隈の街並みは昭和の香りがまだ残っていて、急激には変わってはいませんね。




雷門東部の商店街の中を散策していきます。




浅草寺の参道の仲見世通りの一つ東側を通っている「観音通り」の脇を通り抜けていきます。




いよいよ浅草寺の参道「仲見世通り」の入り口が見えてきました。参道入り口周辺は平日の昼間の時間帯であるにもかかわらず、ものすごい数の人々で賑わっていました。




「雷門交差点」前に到着しましたが、交差点や参道入り口周辺は人通りの数がすごかったです。浅草寺の表参道入口の門である「雷門」をくぐり抜け、仲見世通りを散策していきます!!!



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紅葉の不忍池:池の端から散策道を歩いて弁天堂へ PART3

2013年12月07日 08時00分00秒 | 台東・上野周辺


蓮池の東岸側の散策道から撮影した不忍池の全景です。枯れ落ちつつある蓮の葉を眺めながら、中洲の中に建っている弁天堂を目指して散策を続けます。




枯れ草の海と化している蓮池の中に建っているように見える弁天堂の建物が段々近くなってきました。不忍池の敷地も含まれていた寛永寺は、江戸時代の江戸城(現在の皇居)からみて「鬼門」の方角に相当する位置にあります。




鬼門(きもん)とは、北東の方位のことであり、陰陽道では鬼が出入りする方角であるとして、万事に忌むべき方角とされています。鬼門とは反対の、南西の方角を「裏鬼門(うらきもん)」と言い、この方角も忌み嫌われています。




江戸城から見て鬼門の位置に相当するこの場所には寛永寺が、そして裏鬼門に相当する場所には目黒不動尊が設置されました。




高層タワーマンション群を背景に建っている弁天堂に近づいてきました。弁天堂周辺を散策していきます。




竹の台広場の丘陵地帯から不忍池へ流れ込んでいる小さな川を橋で渡っていきます。こんな場所に小川が流れていたことは、今まで気が付かなかったです。




弁天島の中も紅葉は進んでいるみたいです。




弁天堂の参道を散策していきます。江戸時代初期に弁天堂が建立された当時は弁天堂は完全な池の中の中州に建っており、船で行き来する必要がありました。




約50年後の1672年(寛文12年)には弁天島から東に向かって石橋が架けられ徒歩で渡れるようになったそうです。




明治時代の初期までの池の形は現在のものとはかなり異なっていました。特に池の北側は今よりもかなり広く藍染川(谷田川)という川も注いでいたそうです。




弁天堂の本堂前に到着しました。その名の通り、七福神の一人である「福・徳・智恵・財宝」を与えてくれる神さまとして知られる弁財天が祀られています。




JR上野駅前から本郷にある東大病院へ歩いて行く時などは、この中州の弁天堂の脇の散策道を通り抜けると早く着くことが出来ます。




普段の弁天堂周辺はひっそりとしています。




弁天島から上野動物園の敷地が広がっている竹の台方向を撮影しました。上野動物園の中に位置しカワウが繁殖している鵜の池が奥に広がっています。




引き返してJR上野駅方向へ戻ることにします。正面に写っている階段を上って上野公園の敷地内を通り抜けるのが一番の近道です。




竹の台の高台上から不忍池都弁天島を見下ろして撮影しました。私が立っている竹の台の高台と、反対側の本郷台地の丘陵地帯(東大病院の新入院棟が建っている)の、二つの丘陵地帯に囲まれている低地に不忍池が広がっています。




上野駅へ戻る際、竹の台の噴水広場へ寄り道してみました。2年程前にリニューアル工事が実施されて綺麗になった噴水広場周辺は多くの人々で賑わっていました。




上野公園の敷地内も紅葉が進んできているみたいでした。これで紅葉の不忍池の散策は終わりです。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする