歌舞伎座ギャラリーや屋上庭園のある5階フロアから4階の回廊フロアへ降りることが出来る「五右衛門階段」を下りていきます。五右衛門階段周辺の手すりなどは真っ赤に塗装されています。
真新しい歌舞伎座の瓦屋根の奥には、晴海通りの大通り沿いのオフィスビル群が写っているのが見えます。
新しく建て替えられた歌舞伎座の瓦屋根は、取り壊された4代目歌舞伎座と同じく、約10万枚の「三州瓦」が使用されています。「三州」とは、愛知県の高浜市で生産されてい瓦のブランドのことです。
五右衛門階段の手すりを始めとして、新しく建て替えられた歌舞伎座内には「赤」を強調したインテリアなどが多いです、例えば歌舞伎座と隣接している地下鉄日比谷線の東銀座駅内も赤色が多く使用されているのです。
ちなみに日本全国の瓦(かわら)の生産地で三大瓦というのは「三州(愛知県三河地方)」「淡路(淡路島)」「石州(島根県西部)」があります。
2013年4月の歌舞伎座開業へ向けて、屋根瓦の政策が始まったのが2011年9月であり、翌年(2012年)の秋ごろまでかかったのだそうです。
4階回廊へ降りることが出来る五右衛門階段を下っていきます。
五右衛門階段から撮影した「三州瓦」の屋根の全景です。100年以上持つといわれる三州瓦は、吸水率が低く、凍害にも強いのが最大の特徴なのだそうです。
真新しい歌舞伎座の三州瓦と真っ赤に染め上げられている五右衛門階段、その上には壁のようにそびえ立っている歌舞伎座タワーの高層ビルの壁面が見えます。
歌舞伎座4階の「四階回廊~想い出の歌舞伎座~」には初代から4代目までの歌舞伎座の模型が展示されています。まず最初は明治初期の1889年(明治23年)に完成した初代歌舞伎座です。
「2代目歌舞伎座」は、初代の建物が1911年(明治44年)に外観が純日本式の宮殿風に大改築されたものです。現在の歌舞伎座のデザインに少し似てきましたね。
2代目歌舞伎座が1921年(大正10年)に漏電で焼失した後、岡田信一郎(1883~1923)の設計で、破風(はふ)の大屋根をもつ桃山様式風の「第3期」の建物(鉄筋鉄骨コンクリート造)に建て替えられました。
そして「4代目」の歌舞伎座です。3代目歌舞伎座が1945年(昭和20年)の東京大空襲によって焼失し、戦後の混乱期で建築資材が不足している中、1951年(昭和26年)に再建を果たしました。
そして4代目歌舞伎座は建物の老朽化や、耐震性やバリアフリー対策の遅れなどが指摘されてきたこともあり、2010年4月末に閉鎖されました。再開発工事がすぐに始まり、「GINZA KABUKIZA」として2013年4月に開業しました。
4階回廊には歴代の歌舞伎役者の顔写真と説明板が設置されています。