緑には、東京しかない

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

年明けの靖国神社:2014年1月2日の靖国神社の初詣と混雑

2014年01月06日 20時00分00秒 | 皇居周辺・城西


遅ればせながら、明けましておめでとうございます。今年も1年間よろしくお願いします。正月三箇日、東京地下鉄東西線の九段下駅前にやってきました。靖国神社へ初詣参りをします。




交通量が少ないと思われていた靖国通りですが、意外と車の量が多かったです。




靖国神社の敷地脇にある「九段坂」です。靖国神社の敷地は武蔵野台地の高台の斜面上に形成されています。




午後1時過ぎに訪れたのですが、すっかり太陽が低くなってしまい、夕方のような雰囲気に包まれていました。




正面奥の本堂まで伸びている約400メートル程の参道内は、ものすごい人で混雑していました。一年の中で、8月15日の「終戦記念日」と合わせて最も混雑する日なのではないでしょうか。




参道の両脇には屋台の出店が奥まで並んでいました。




靖国神社といえば、昨年2013年12月26日に安倍首相が参拝したことで一躍有名になりました。日本や世界のニュースで大きく報道されたこともあり、例年よりも人が多いと感じました。




参道内のイチョウ並木やソメイヨシノの木々は、全てが枯れ木状態となっていました。




参道の中央に建っている大村益次郎の銅像の脇を通り抜けていきます。大村益次郎は、幕末の長州征討と戊辰戦争で長州藩兵を指揮し、勝利の立役者となった人物です。




靖国神社は江戸時代末期の幕末に天皇家の社として建立され、「東京招魂社」と呼ばれていました。明治時代になって「靖国神社」と改名された経緯があります。




九段下側から2番目の鳥居である「青銅大鳥居」付近から、本堂へ向かって約200メートル程の行列が出来ていました。並ぶことにしましょう。




午後の時間帯の参拝だったので逆光になってしまいましたが、「神門」が見えてきました。ここまで来ると、私「緑」の後ろまで行列が出来始めてきました。




靖国神社は「天皇家のために戦った英霊」を祭るための神社であり、明治維新の功労者の一人である西郷隆盛は西南戦争で薩長閥に反旗を翻したために祭られていないなど、批判も存在しています。




「中門鳥居」が見えてきました。拝殿まであと100メートル程です。




靖国神社の「拝殿」が見えてきました。一般の人々がお正月の参賀ではいることが出来るのはここまでで、さい銭スペースが設置されています。




列に並んでから参拝するまで約1時間かかりました。靖国神社の拝殿を脇から撮影してみました。これで靖国神社への初詣は終わりです。今年1年間もよろしくお願いします。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年末の銀座:晴海通りを散策してJR有楽町駅前へ PART2

2014年01月06日 08時00分00秒 | 中央区全域・銀座


「GAPフラッグシップ 銀座」の店舗が入居している「ヒューリック銀座数寄屋橋ビル」を見上げて撮影しました。2011年3月に開業したビルです。




銀座界隈は地価が非常に高いので、立っている建物は細長いペンシルビルばかりです。現在は銀座四丁目と、東京駅の丸の内で日本一の地価を競い合っている最中です。




晴海通りと外堀通りが交差している「数寄屋橋(すきやばし)交差点」に到着しました。2011年10月に開業したJR東日本系のファッションビル「ルミネ」や数寄屋橋阪急が入居している「有楽町マリオン」の巨大なビルがそびえ立っています。




数寄屋橋交差点の全景を撮影しました。交差点の北側に建っている「不二家 数寄屋橋店」の入っている建物の存在が目立ちます。




数寄屋橋交差点の南東角に建っている「ソニービル」を撮影しました。ソニーの自社ショールームとして建設されたビルで、2009年1月の公示地価は、山野楽器銀座本店(銀座四丁目)、千代田区の丸の内ビルディングに次ぐ、第3位でした。




首都高速道路の高架橋の下を通り抜けて、JR有楽町駅へ向かいます。有楽町駅周辺から銀座の繁華街へ向かう人の流れが多く、にぎやかな雰囲気に包まれていました。写真の建物は有楽町マリオンです。




有楽町マリオンとJR有楽町駅の間には、複合施設「有楽町イトシア」の巨大なビルが建っていて、このビルの脇を通り抜けていきます。有楽町駅前も、ここ10年程の間に全く別の街になってしまったと思います。




長年東京にお住まいの方であればご存知かもしれませんが、現在の有楽町イトシア、駅前広場と有楽町マリオンの間の場所は昭和の時代から取り残されているようなスラム街が広がっていました。それも2000年代の前半までです。




有楽町イトシアの脇の道路を通り抜けてしばらく歩くと、前方に有楽町駅前の「東京交通会館」が見えてきました。この建物もそろそろ古くなってきましたし、最新鋭の高層オフィスビルに建て替える再開発工事がそのうち始まるかもしれませんね。




銀座の繁華街にほど近く、オシャレで美しいイメージのある有楽町ですが、実際には終戦直後に土地の不法占拠者が集まって商売をしていたブラックマーケット、いわゆる「闇市」の拠点のような街並みだったのです。




とは言ってもアジアの金融センターとして急成長を続けている東京駅周辺のオフィス街のすぐそばの立地であり、2000年代に入って有楽町駅界隈も再開発工事が始まってきています。昭和の香りが残る街並みも十年以内に無くなってしまうかもしれませんね。




交通会館と有楽町イトシアの間の通りを歩いて駅前広場へ向かいます。有楽町駅前から銀座へ向かう多くの人々で賑わっています。




JR有楽町駅前の広場へ到着しました。この駅前広場も有楽町イトシアの再開発工事と並行してリニューアル工事がなされました。自動車通りが撤去されて広場や歩道の一部となり、広々とした空間に生まれ変わりました。




「有楽町駅前第1地区第一種市街地再開発事業」として計画が進められてきた有楽町イトシア、2002年から再開発組合による計画が再開され、発掘作業を経て2005年に着工、2007年10月に開業しました。




高級志向が強いと一般的に言われている有楽町・銀座界隈において、イトシア内には「有楽町マルイ」が入居しているなど、低価格志向、若者向けのカジュアル要素が強いと言われています。




年末の有楽町駅界隈は人通りが非常に多く、まさに「師走」の雰囲気を味わうことが出来ます。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする