6街区の敷地東側に建っている「加工パッケージ棟」の建物の脇を通り抜けていきます。加工パッケージ棟の周囲も街路樹の植栽などが整備されていました。
きれいに整備されたばかりの歩道を東側へ向かって歩いて行くと、前方に豊洲大橋南詰交差点が見えて来ました。交差点の真上には、ペデストリアンデッキが四角形状に整備されています。
6街区の加工パッケージ棟の建物から豊洲大橋南詰交差点方向へ向かって伸びている連絡デッキを見上げて撮影しました。同街区内に建っている千客万来施設棟へのアクセスルートにもなっているデッキです。
交差点の北西角には、頭上のペデストリアンデッキに上がることができる階段が整備されていました。作業員の人たちが階段を行き来していました。
6街区の加工パッケージ棟そばのペデストリアンデッキに上がることができる階段の全景を撮影しました。唐突な話で申し訳ないですが、例の地下空洞は地下水モニタリングのために造られているという都の検証報告書ですが、私は到底信じられないです。
今回の散策のゴールである、豊洲大橋南詰交差点に到着しました。豊洲大橋南詰交差点の周囲ですが、現在も工事用フェンスが展開している状況です。
交差点前から5街区(青果棟)の敷地を見渡してみましたが、交差点上のペデストリアンデッキが整備されたことによって、建物群を見渡すことができなくなりました。
四角形状に整備されているペデストリアンデッキの、北西角(6街区側)の支柱を見上げて撮影しました。橋桁内の一部には、まだ工事用シートが残されていました。
交差点から南側へ向かって伸びている、環状第2号線の環二通りを撮影しました。
私が今気になっているのは、地下水モニタリング空間として「位置づけられている」地下空間の本来の役割です。両国国技館やサンシャインシティ、東京ドームなど、大深度地下を通る地下鉄や地下洞道に隣接した大規模建築物には、地下道と接続するための地下空間を設けることが一般的な話です。私の想像ですが、この豊洲新市場もそうなのではないか。
豊洲大橋南詰交差点から北側へ向かって伸びている環状第2号線の湾岸区間を撮影しました。正面には「豊洲大橋」の道路橋梁が写っていて、12月の暫定開通は事実上中止となっています。
かつてこの場所は、東京ガス豊洲工場という非常に重要な施設が広がっていました。私は、東京ガスの工場があった時代から、この場所の地下には一体何が隠されていたのか非常に気になっています。関東大震災後に日本橋から移転してきた築地市場。築地市場の真下を通る都営地下鉄大江戸線。関東大震災後の帝都復興事業として埋め立て工事が行われた豊洲(豊洲六丁目地区の埋め立ては1948年)。関東大震災後の復興計画として計画された環状第2号線が豊洲新市場へ伸びている意味。これだけの材料がそろっていれば、地下空洞の正体は一体何なのか、朧げながら想像できます。どなたか、検証してください。
ゆりかもめの市場前駅に戻ってきました。この市場前駅は、豊洲市場を建設する以前の2006年3月から供用されているものです。当時の駅周辺は広大な空き地でした。
交差点の北東角、TOYOSU22の敷地内からペデストリアンデッキに上がることができる階段を見上げて撮影しました。
北西側から、市場前駅舎のそばを通っているペデストリアンデッキの橋桁を見上げて撮影しました。
この記事がアップされる時点で、本来の豊洲市場開場予定だった11月7日を過ぎているはずですが、今後は移転開業がいつになるのか注目していきます。
これで10月の本来は移転開業前の散策になるはずだった、豊洲新市場の散策は終わりです。