みどりの野原

野原の便り

3月8日 ①JR畝傍駅 貴賓室 ・ ②ツクシはまだ? ・ ③音の花温泉

2015年03月08日 | Weblog
①駅や近代建築に興味のある子供達2人と、昨日と今日2日間公開されている「JR畝傍駅 貴賓室」を見学に行った。

 
   JR畝傍駅(うねびえき)   右側三角の屋根のあるところが貴賓室
『皇紀2600年にあたる昭和15年 紀元2600年祭という国家プロジェクトで、戦争に向かう国威をかけた戦前最大の祭典が行われ、その一環として駅舎も建て替えられた』

 
駅舎 待合室から改札 今は無人駅 ホームへは階段を登る。いい雰囲気だ。

後の予定があるため朝一番に行ったが、すでに映像を見ている人あり。次の上映の最初から見る。
これは2013年に見つかったフィルムを「金鵄輝く建国の聖地」という25分に編集した記録映画
昭和15年の橿原神宮紀元2600年を祝う行事などの映像
字幕は旧字体 式典の式辞も今では使わないような下を噛みそうな言葉
軍服を着た人の姿も。
また皇族や来賓方(その中には満州国の皇帝や南米からの来賓も)が参拝に向かわれる姿もあった。

畝傍山が見える広場に大勢が集まり式典では、君が代の斉唱の場面もあった。
広場と畝傍山の間には目立つ建物もなく、当然今とはずいぶん感じが違う。 
ナレーターの言葉には何回も「八紘一宇」という言葉が出た。

これ以後、思想や生活の締め付けが一層厳しくなり、昭和15年は『その後の日本の歴史の分岐点』となった。


鳥居用の木材を運んでいる場面 材は台湾阿里山のヒノキだそうだ。
この頃すでに国内産の太いヒノキが手に入らなかったのか?

次に展示を見る。
貴賓室のこと、お召し列車のことなどのパネルがあった。(帰ってから読んだ)。
それによると、「貴賓室」というのは『天皇陛下をはじめとする皇族や外国の賓客の方々が列車待合のために利用する特別室』
明治に建てられた畝傍駅にも貴賓室は設けられていたが、紀元2600年という国家プロジェクトの一環として畝傍駅が建て替えられ、今の貴賓室もその時に設置されたものらしい。

 
貴賓室 今のソファーは新大阪駅の貴賓室にあったものだそうだ。
                天井は橿原神宮造営で使われた台湾檜
『豪華な家具やシャンデリアは今は取り払われている』らしい。
    

 水洗トイレ 洗面所は水とお湯の2つのコックが付いている。

戦後は昭和天皇が新日本の誕生と講和条約成立の報告参拝、近上天皇がご成婚報告参拝のために使用されてからは使用されず、駅も無人化になり貴賓室も閉鎖された。

②JR畝傍駅貴賓室見学後、ツクシを探しに平群へ行った。
しばらく歩いてみたが全くない。まだ早いのかなあ。


あきらめて、杵築神社や白山神社の周辺を歩いた。

 
        アオモジはまだつぼみが多かった。

③その後車で移動。
前にハイキングで近くを通り、気になっていた「音の花温泉」へ。

     音の花温泉 外観
玄関前の水槽には鯛が泳ぎ、受付の横には瓶に入ったクリオネがいた。
日曜日で建物前の駐車場は車がいっぱいだったが、温泉内はほどよい人数でゆったり入れた。
内湯はジャグジー・水風呂・サウナもあった。。
屋根付きの広い露天風呂にはヒノキ風呂もあった。(女湯)
温泉は2004年にオープンしたらしい。
ナトリウム炭酸水素塩泉で、体を温め気持ちがよかった。

シャンプーやリンス・石けんなしの入湯料800円 やや高目?

温泉の近くは「鳴川渓谷」、車の窓から岩が連なっているのが見えた。

せっかくツクシ摘みを楽しみに来た娘の期待にはこたえられなかったが、ゆっくりできた。
コメント
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