みどりの野原

野原の便り

3月25日 五島列島ツアー③ 大曽市場せり見学 鯛之浦教会 頭ヶ島天主堂

2015年03月25日 | Weblog
3日目 ツアー最終日の朝 今日もお天気がいい。
「朝は霜が降りていました」とガイドさん。

 「大曽市場」 でセリを見学。仲卸専門の市場だそうだ。
7:30 邪魔にならないようにと注意を受けて外から見学。

 
 
 
 

獲れたての魚の箱が並ぶ。10人ぐらいの人はどれが仲買さんで誰が市場関係者?
合図でセリが始まる。1段高い所にいる人が発声「○▽■△◎・・」何を言ってるのか聞き取れない。
見ていると、買う人は声を発している人の手元に何か札?を投げ入れている。
それで売買が決まるらしい。
何が何やらわからないままにどんどん売れてゆき、30分ほどの間にトロ箱は運び出されてしまった。
生きている魚は右側の生簀に入れられたりもするよう。
そして鮮度を保つために「神経抜き」という作業をしている人も。
横に置かれた箱を見ると、サザエ・ホタテ?オオギガイ?・イカ・サバ・ブリかハマチか? キビナゴ これらを持って売り歩く行商の人もいるらしい。

魚市場見学後、近くで漁協婦人部がやっている「海鮮処」へ朝食を食べに行く。

  
 「海鮮処」はビニールハウス   バスの運転手さんも魚焼きを担当?応援?

タイ・ヒラメのお造りや、ヒラマサの焼き物 身がたっぷり入ったアラ汁など・・ 
アワビは火にあぶられて逃げ出そうとフタにへばりつく。 残酷!と言いながらぺロり。         右)私たちに身を食べられ骨になった特大のタイ・ヒラメ 
おいしいタイを食べた後、バスで30分ほどの「鯛之浦教会」へ。

新聖堂 旧聖堂が老朽化で、昭和54年そばに建設され、礼拝に使用されている。

 
明治36年に建て替えられた旧聖堂。木造瓦葺きの建物
右)煉瓦造りの鐘楼は昭和54年に増設。一部に被爆した浦上天主堂の煉瓦も使われている。
旧聖堂は今は資料室になっており、子供の日曜学校にも利用されている。
教会機能はないので内部の写真撮影もできる。うれしい。欲求不満が少し解消?
 
コウモリ天井といわれる、昨日見た水の浦教会・青砂ヶ浦教会と同じ構造の天井
                       アーチ窓のステンドグラス
美しさに見とれて展示資料を見なかった。失敗。
敷地内にはルルド(フランスの聖母出現の地を模した洞窟)や鯛の浦教会に関係した神父像や殉教の碑などが並んでいた。     

 
オオイタビは五島の各地で見たが、ここには果嚢がたくさんできていた。
これは雌だと思う。地元では雄ばかり見るので雌の果嚢は珍しかった。
オニアザミも咲いていた。

 

昔はハマグリがいっぱい獲れたという蛤浜。大きい貝殻はハマグリと言われたが、いつも見るのとはちょっと感じが違った。  ハマダイコンの群生・海・浜は美しい。

シロナガスクジラのあごの骨が門のような海童神社を車窓から見て・・頭ヶ島大橋を渡り、頭ヶ島へ。

頭ヶ島天主堂
 
重厚な石造りの建物 石造りは全国的にも珍しいそうだ。国の重文
鉄川与助の設計施工。大正6年(1917)に完成(10年の歳月がかかったという) 
「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)の登録を目指しているが、その暫定リストにもこの教会が入っている。 

2000人の信者がいたという頭ヶ島。明治、開国したにもかかわらず禁教が解かれず「五島崩れ」といわれる大規模摘発がなされ、一時、キリシタンが途絶えたといわれた。
後、島に戻ってきた信者たちが島内の石を切り出し船で運び組み立てた。

内部 天井はこれまで見たものと違い船底のような天井。2重持ち送りハンマービーム加工というそうだ。
ステンドグラスの色にも、ツバキの4枚の花弁にも、ユリやハマユウの花にもみんな意味があるそうだ。

聖堂・教会堂・道行き・・キリスト教の知識がないので初めて聞く言葉も多かったし、教会内の祭壇の見方も、意味もよくわからないものがあったが、キリスト教を心のよりどころとし、想像もできないような弾圧も切り抜けた信仰心の強さには感心する。


坂本竜馬像 グラバーから買った練習船の遭難を聞き、寺田屋事件の傷の療養をしていた鹿児島から駆け付け、慰霊碑の建立を依頼した。 祈りの竜馬像はここだけとか。

いよいよ五島列島にお別れ。

有川港から高速船 シ―クイーンに乗る。1時間半で佐世保港

お天気に恵まれ、忙しかったが初めての五島列島を楽しめた。
五島の海はきれいだった。

後で3月25日のところに戻します。
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