寒さも少し和らいでハイキング日和
いつもながら、迷ったり気の向いた所に立ち寄ったり・・
松尾寺口バス停から松尾寺へ。旧参道を歩く。
杵築神社
松尾寺に習合されていたが、明治の神仏分離によりこの地に遷宮された。
右)牛の彫り物は牛頭天皇の象徴。明治以前は牛頭天皇社と呼ばれていた。
拝殿前の狛犬には嘉永元年の銘があった。
車道に合流し、しばらくすると「古道七曲道}の案内板があった。
この古道は昔大阪から奈良への重要な幹道で、牛車も通る道だったが、いつしか廃道となっていたのを、地元の人たちが復活させたという。
静かな古道七曲道。
七曲道を出て間もなく松尾寺の南惣門に出た。
風神・雷神の浮彫のある南惣門から階段を上がり、北の惣門へ通り抜ける。(参拝は次回に)
シダ(イノデの仲間?)の芽 少し芽が動き出しているものもあった。
松尾山山頂へ。三等三角点を確認。 標高315m
下ったところから白石畑方面へと下る。
途中 フェンスに隠れた道標に従って降りたら途中で立ち入り禁止の看板が。
今さらいわれても・・長い階段があり下り、更に急な階段(45度ぐらい?)を下る。
手すりも付いていた。
出たところからさらに下ると見たことのある場所に出た。ここは生駒郡平群町
神社があったはず。横道へ入ると来たことのある「平等寺春日神社」があった。
平等寺春日神社 「なもで踊り」の絵馬がある。
下ったところに椿井井戸への標識 ここを入ったことは覚えているが、その先がどうなっていたか定かではない。忘れっぽくて困る。(平成24年12月に来ている)
平群氏春日神社 現地に来ると古墳のあったところだと思いだす。
平群氏春日神社 安政4年の狛犬
境内にある宮山塚古墳から出土した「兜」をご神体としていたが盗難にあったとか。
宮山塚古墳 神社周辺にはいくつか古墳があるようだ。
ここから下っていくと・・椿井井戸だ。
椿井の地名の由来ともなり、聖徳太子と平群神手(かみて)将軍の逸話が残る。
コンクリートで覆われているが、覗くと済んだ水が湧いていた。
途中にあった 傘石仏如来像 衣の線刻が残っていた。町指定文化財の標柱があった。
下って竜田川を越えると竜田川駅
いつもながら、迷ったり気の向いた所に立ち寄ったり・・
松尾寺口バス停から松尾寺へ。旧参道を歩く。
杵築神社
松尾寺に習合されていたが、明治の神仏分離によりこの地に遷宮された。
右)牛の彫り物は牛頭天皇の象徴。明治以前は牛頭天皇社と呼ばれていた。
拝殿前の狛犬には嘉永元年の銘があった。
車道に合流し、しばらくすると「古道七曲道}の案内板があった。
この古道は昔大阪から奈良への重要な幹道で、牛車も通る道だったが、いつしか廃道となっていたのを、地元の人たちが復活させたという。
静かな古道七曲道。
七曲道を出て間もなく松尾寺の南惣門に出た。
風神・雷神の浮彫のある南惣門から階段を上がり、北の惣門へ通り抜ける。(参拝は次回に)
シダ(イノデの仲間?)の芽 少し芽が動き出しているものもあった。
松尾山山頂へ。三等三角点を確認。 標高315m
下ったところから白石畑方面へと下る。
途中 フェンスに隠れた道標に従って降りたら途中で立ち入り禁止の看板が。
今さらいわれても・・長い階段があり下り、更に急な階段(45度ぐらい?)を下る。
手すりも付いていた。
出たところからさらに下ると見たことのある場所に出た。ここは生駒郡平群町
神社があったはず。横道へ入ると来たことのある「平等寺春日神社」があった。
平等寺春日神社 「なもで踊り」の絵馬がある。
下ったところに椿井井戸への標識 ここを入ったことは覚えているが、その先がどうなっていたか定かではない。忘れっぽくて困る。(平成24年12月に来ている)
平群氏春日神社 現地に来ると古墳のあったところだと思いだす。
平群氏春日神社 安政4年の狛犬
境内にある宮山塚古墳から出土した「兜」をご神体としていたが盗難にあったとか。
宮山塚古墳 神社周辺にはいくつか古墳があるようだ。
ここから下っていくと・・椿井井戸だ。
椿井の地名の由来ともなり、聖徳太子と平群神手(かみて)将軍の逸話が残る。
コンクリートで覆われているが、覗くと済んだ水が湧いていた。
途中にあった 傘石仏如来像 衣の線刻が残っていた。町指定文化財の標柱があった。
下って竜田川を越えると竜田川駅