お水取りが終わらないと暖かくはならない。
今日もちょっと寒い。でも歩き始めるとすぐ温かくなって上着を脱いだ。
コースは新大宮駅からのおなじみのコース
一条高校のそばの、日本初の公開図書館・芸亭(うんてい)跡の碑を見て、ウワナベ・コナベの古墳へ。
このあたり、平城宮跡の北側に東西に連なる古墳群は「佐紀楯列古墳群」といわれる。
『古墳時代前期~中期 4世紀末~5世紀初めに造られた大和政権の王墓を多く含んでいる』
左)ウワナベ古墳 右)コナベ古墳 どちらも立派な周濠を持つ前方後円墳で、陵墓参考地となっている。
カルガモ・ハシビロガモがいた。
仁徳天皇の皇后 磐之媛命(いわのひめのみこと)の平城坂上陵(ヒシアゲ古墳)
「嫉妬深い」というので有名な?磐之媛命
「万葉集に仁徳天皇のことを詠んだ歌が4首あります」と説明があったので、帰って調べてみた。
なんとも女らしい?歌。噂とは違った印象を持った。
「嫉妬深い」のは誰かの捏造かも・・とのことで、そうなら「ひどいわ。ひどいわ」とお墓の中で悔しがっておられるかも。
先のウワナベ・コナベと共に水鳥の観察に来る水上池(今まで「みなかみいけ」と言っていたが「みずがみいけ」が正しい?)
オオバン・マガモ・コブハクチョウ・アヒルかカモか?白いカモの仲間もいた。
コブハクチョウは人に慣れて、私たちを見つけて寄ってきた。
少し西にある平城天皇 楊梅陵(へいぜいてんのう やまもものみささぎ)
ここから西はあまりなじみがない。
円墳と思われていたが、元は前方後円墳で、平城京造営の時に前方部が壊されたことが発掘調査でわかったという。
平城天皇は平安時代の人で、その頃にはすでに前方部はなく、残った後円部に葬られたことになる。平城京の端にお墓があるのも?? 何かわけがあったのか?、間違っているのか?
謎がいっぱい。
「壊された前方部の「端」がわかるところがある」とのことだったが、わからなくなっているらしいが、かなり大きい古墳だったよう。
平城宮跡 復元された大極殿 中には天皇の玉座「高御座」が。
昼食の後、「遺構展示館」へ。
発掘された建物跡など。大極殿は場所を移されていたらしい。内裏は同じ場所で営まれた。
3つの井戸枠が展示されていた。
中の1つは直径1.7mものスギの丸太をくりぬいたもの。上に鏡があってわかりやすい。
丸太(割ってあるのかどうか見えず)や、角材を組み合わせた井戸枠。
再び北へ。
称徳天皇高野陵は「佐紀3陵」といわれるものの1つだが、他の古墳と向きが違って前方部が西に向いているなどちょっと変わっている。
「称徳天皇陵はどこ?地図に載ってない」私が尋ねたら、孝謙天皇陵って書いてあるのがそれだよ。孝謙天皇が重祚して称徳天皇になった。と教えてもらった。あ~そ~か~。歴史に疎い私です。
近鉄線を横切り秋篠寺へ。
秋篠寺 本堂(国宝) 伎芸天はファンが多そうなやさしいお姿だった。
右)苔の庭がすばらしい。 どうやってお手入れされているのだろうか。
ウメが満開 ハランがたくさん植えられていたので探すと花があった。
写真を撮ってる間に出発。写真はピンボケ・・・
西大寺奥の院 五輪塔が並ぶ中、一段と大きい五輪塔は西大寺中興の祖 叡尊の供養塔
総高3.42m「日本で一番大きい五輪塔」と説明があった。
ハクモクレン 蕾膨らみ開花間近
西大寺 称徳天皇の発願により建立された。東大寺に並ぶ規模の寺院だったらしい。
右)四王金堂
あれは何だ? 双眼鏡で見るとスギの木のようだ。超デカイ団子状のものは何?
ヤドリギではなさそう。スギにてんぐ巣病はあるのか??? 謎のまま。
謎があるのは面白い。謎が解けたらもっと面白いけれど・・
同行の人によると、今日は19000歩ほど歩いたらしい。 気持ちよかった。
今日もちょっと寒い。でも歩き始めるとすぐ温かくなって上着を脱いだ。
コースは新大宮駅からのおなじみのコース
一条高校のそばの、日本初の公開図書館・芸亭(うんてい)跡の碑を見て、ウワナベ・コナベの古墳へ。
このあたり、平城宮跡の北側に東西に連なる古墳群は「佐紀楯列古墳群」といわれる。
『古墳時代前期~中期 4世紀末~5世紀初めに造られた大和政権の王墓を多く含んでいる』
左)ウワナベ古墳 右)コナベ古墳 どちらも立派な周濠を持つ前方後円墳で、陵墓参考地となっている。
カルガモ・ハシビロガモがいた。
仁徳天皇の皇后 磐之媛命(いわのひめのみこと)の平城坂上陵(ヒシアゲ古墳)
「嫉妬深い」というので有名な?磐之媛命
「万葉集に仁徳天皇のことを詠んだ歌が4首あります」と説明があったので、帰って調べてみた。
なんとも女らしい?歌。噂とは違った印象を持った。
「嫉妬深い」のは誰かの捏造かも・・とのことで、そうなら「ひどいわ。ひどいわ」とお墓の中で悔しがっておられるかも。
先のウワナベ・コナベと共に水鳥の観察に来る水上池(今まで「みなかみいけ」と言っていたが「みずがみいけ」が正しい?)
オオバン・マガモ・コブハクチョウ・アヒルかカモか?白いカモの仲間もいた。
コブハクチョウは人に慣れて、私たちを見つけて寄ってきた。
少し西にある平城天皇 楊梅陵(へいぜいてんのう やまもものみささぎ)
ここから西はあまりなじみがない。
円墳と思われていたが、元は前方後円墳で、平城京造営の時に前方部が壊されたことが発掘調査でわかったという。
平城天皇は平安時代の人で、その頃にはすでに前方部はなく、残った後円部に葬られたことになる。平城京の端にお墓があるのも?? 何かわけがあったのか?、間違っているのか?
謎がいっぱい。
「壊された前方部の「端」がわかるところがある」とのことだったが、わからなくなっているらしいが、かなり大きい古墳だったよう。
平城宮跡 復元された大極殿 中には天皇の玉座「高御座」が。
昼食の後、「遺構展示館」へ。
発掘された建物跡など。大極殿は場所を移されていたらしい。内裏は同じ場所で営まれた。
3つの井戸枠が展示されていた。
中の1つは直径1.7mものスギの丸太をくりぬいたもの。上に鏡があってわかりやすい。
丸太(割ってあるのかどうか見えず)や、角材を組み合わせた井戸枠。
再び北へ。
称徳天皇高野陵は「佐紀3陵」といわれるものの1つだが、他の古墳と向きが違って前方部が西に向いているなどちょっと変わっている。
「称徳天皇陵はどこ?地図に載ってない」私が尋ねたら、孝謙天皇陵って書いてあるのがそれだよ。孝謙天皇が重祚して称徳天皇になった。と教えてもらった。あ~そ~か~。歴史に疎い私です。
近鉄線を横切り秋篠寺へ。
秋篠寺 本堂(国宝) 伎芸天はファンが多そうなやさしいお姿だった。
右)苔の庭がすばらしい。 どうやってお手入れされているのだろうか。
ウメが満開 ハランがたくさん植えられていたので探すと花があった。
写真を撮ってる間に出発。写真はピンボケ・・・
西大寺奥の院 五輪塔が並ぶ中、一段と大きい五輪塔は西大寺中興の祖 叡尊の供養塔
総高3.42m「日本で一番大きい五輪塔」と説明があった。
ハクモクレン 蕾膨らみ開花間近
西大寺 称徳天皇の発願により建立された。東大寺に並ぶ規模の寺院だったらしい。
右)四王金堂
あれは何だ? 双眼鏡で見るとスギの木のようだ。超デカイ団子状のものは何?
ヤドリギではなさそう。スギにてんぐ巣病はあるのか??? 謎のまま。
謎があるのは面白い。謎が解けたらもっと面白いけれど・・
同行の人によると、今日は19000歩ほど歩いたらしい。 気持ちよかった。