石見駅から歩く。
T字の多い迷路のような道をジグザグ・・
地蔵堂 昔はこの辺りは両側竹藪で薄暗く、夜にここを通ると「負うてくれ」と地蔵さんがおぶさってきたということから、「おうてくれじぞう」と言われたらしい。今では昔話が想像できないような開けた場所だ。
右)今里橋から寺川 大和川を利用した物流が盛んになった慶長年間以降、この辺りに「今里の浜」といわれる船着き場があり、水量の多い春と秋、塩や肥料の干し鰯や油かすなどが運ばれ、秋には下り船で米や雑穀・綿花などが運ばれたという。
荷上場や土蔵。船問屋が立ち並んでいたそうな。改修で昔の面影はない。
杵築神社のエノキの大木に藁で作った蛇が巻き付けられている。
豊作と祈雨・男の子の成人を祝う行事だそうだ。蛇は村を練り歩いた後、エノキに巻き付けられる。
「道の駅 レスティ唐古・鍵」 はじめて来たが、通り抜け・・またゆっくり来たい。
唐古・鍵遺跡
近畿でも最大級の弥生時代の環濠集落の跡
1901(明治34年)に紹介され、以後発掘調査が続いているが、まだまだ未調査の部分があるらしい。
「唐古・鍵遺跡 史跡公園」は今年オープンしたばかり。
ボランティアガイドさんの案内で歩く。
広い史跡公園 復元された多重環濠
ムラの周りには何重にも環濠が掘られていて、村を洪水や外敵から守っていた。
幅8m・深さ2mもあるものもあったらしい。
説明によると、早い時代に作られたものはV字で深く、防御の目的が強かったが、後にはU字で浅くなっているものもあるとのこと。
また、排水溝も多数造られたらしい。
広場の南の方に、発掘で見つかった柱穴をもとに復元された大型建物跡がある。
見つかった柱は直径83㎝もあるケヤキ材だとか。
これは、高床式の大型倉庫ではないかと言われている。
井戸跡を示す丸い枠、木器の貯蔵穴などを示すものもあった。木製器具は水の中で保存したとか。
広場には3か所の住居跡があったらしい。
唐古池の周囲を回る。
「唐古池」は江戸時代に作られた農業用ため池。微高地に作られ、周辺の田んぼに水を供給している。
国道24号を作る際、池底の土を使った。
その時の調査で大量の土器・石器とともに木製の農具が出土し、弥生時代に稲作が行われていたことがわかった。
田んぼの規模は小さかったようだが、「弥生時代の水田跡」というものは見つかっていないという。
出土した土器片の絵をもとに復元された楼閣 どこにあったかなどはわかっていないらしい。
池の周囲には桜が植えられ春には花見に良さそう。池の反対側から見た楼閣
「遺構展示情報館」は史跡公園とともにh30年4月にオープン
大型建物の柱穴から見つかった、直径83㎝のケヤキの柱 運ぶための穴が空いている。
右)復元された柱穴
「唐古・鍵考古学ミュージアム」へ
午後からは、ボランティアガイドさんの説明付きで、館内の展示を見る。
遺跡から出土した数々の石器・土器・木製品・鋳造銅鐸などが展示されている。
楼閣を描いた土器片 自然にできた褐鉄鋼の中にヒスイの勾玉が収められて溝の中に埋められていたとか。??
固いヒスイをどうやって削り、穴を開けたのか?
土器の色・形・模様も様々。一般的な模様の他、祭り紋と言われる模様も。今も再現が難しいものもあるとか。
木製の農具やコメのモミを搗いて取る杵と臼のような木製品 写真で分かりにくいが臼は複雑なデザイン。
右)しゃもじのようなものやまだ未完成の杓子のようなもの。1本の木から削り出している。
石斧や金属を使って、根気よく削っていったのだろうな。
編み物や織物が発達してきて、衣服にするには針が要る。
鹿の角から作ったという針 ちゃんと針穴も開いている。弥生人はすごい技術を持っていたようだ。
この後「勾玉づくり」をした。
飛鳥でも作ったことがあるが、トレーの中で板を利用してサンドペーパーで削るのは粉が飛び散らないので良い。
細かいペーパー 水ペーパーで仕上げ、フェルトでこすってぴかぴかの勾玉ができた。
穴はあけてくれてあり手間いらずで完成。