みどりの野原

野原の便り

9月24日 榛原史跡めぐり 復元古墳や本物の古墳 墨坂神社など。

2024年09月24日 | Weblog

風が涼しい。
資料を見ると、墨坂神社以外は名前も知らない古墳ばかりだ。
楽しみ~。


住宅地横の上の平らなところの木のあるあたりに「谷畑古墳」
4世紀末の円墳。コウヤマキ製の木棺や、水銀朱の塊が出土したという。
へ~~。話を聞きながら下から見上げても何も見えず。


「西峠古墳」7世紀中ごろの方墳(宅地造成のため移転復元された古墳)
この辺りには縄文時代から中世の遺跡が数多くあり、ここは井之谷遺跡群の西端にあたるらしい。


榛原石を磚積した石室(復元) 


坂を上がったところに阿弥陀堂(西峠会所)がある。
本尊:木造薬師如来坐像

ここは「天ノ森」現在地に遷座されるまで墨坂神社はここにあったという。

「スミサカ」の名の由来は、神武天皇東征の際、宇陀にさしかかった時『賊軍が天皇軍を防ごうと墨坂に”いこり炭”(山焼き)をもって防戦したため、菟田野川の水をもっていこり炭を消火し、敵の不意を打って勝利した』との伝説にあるようです。

榛原にぎわい市場に立ち寄った後、榛原ひのき坂団地を通り・・


ひのき坂古墳公園
ウスバキトンボが飛び回り、赤トンボやヤマトシジミもいました。


公園の中にあるのは、奥ノ芝1号墳(これも復元古墳)
磚積みの横穴式石室。


公園の端に祀られている「最上稲荷」


登って行った先には・・


今日唯一の本物の古墳「奥ノ芝2号墳」
でも柵があって近づくことはできない。説明板も遠い。
天井石は失われているらしい。以前は入れたそうです。

山裾に広がる榛原の町。山を切り開いた所に住宅地が出来ている。
そのため、たくさんあった古墳も宅地造成で削り取られてしまったものも多いそうだ。
「移築復元された古墳が多い。本物だけど見にくい古墳もある」と最初に講師がおっしゃったとおりだった。

ここから下って・・


伊勢本街道。


「あぶらや」
「伊勢本街道」と「あお越えの伊勢街道」の分岐点に建つ。
明治時代まで「旅籠」だった。
伊勢詣でが盛んな頃はこんな旅籠が軒を連ね、賑わっていただろう。


「札の辻」には道標や、お蔭灯籠(太神宮灯籠)が建つ。
「榛原町道路元標」もあった。


近鉄大阪線のガード下。
第2次世界大戦の時、榛原空襲があり、電車を狙った機銃掃射があり、多数の死者がでたそうだ。
その時の流れ弾による弾痕跡が残る。
戦争の影響などなさそうな、奈良の片田舎の町に残る。戦争遺跡だ。


宇陀川に出た。


赤い橋を渡って「墨坂神社」へ。


先ほど行った「天ノ森」から1449年(文安6年)ここに遷座された。
『崇神天皇9年春、国中に疫病が蔓延。天皇が悩まれている時、夢枕に立たれた神の「赤盾8枚、赤矛8竿をもって墨坂の神を祀れ」とお告げがあり、それに従がい、大和の東の入口の墨坂に神を祀り、また、西の入口に大坂の神(大坂山口神社)を祀ると、疾病は治まり天下安泰となった』と伝わる。
今も「日本最古の健康と安全の神」として崇敬を集めている。


境内にある竜王宮へ。


御神水「波動水」が湧く泉。
ありがたい御神水をいただける。
水道水の5万パワー(100倍)の効能があるというので、ひと口いただいた。


その湧き水の泉の端に、ヤブタバコの葉があった。
皆さんは気づいておられないでしょうね。

今日の史跡めぐりはここで終了。坂道の登り下りでよい運動になった。

コメント
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