みどりの野原

野原の便り

12月14日 耳成駅~香久山周辺 日本書紀ウォーク 天香山神社 畝尾都多本神社

2021年12月14日 | Weblog

半日の日本書紀ウォーク 最終

細い道 横の水路は「中の川」
南へと南浦町 法然寺まで続くと分かった。
これが今日の一番の収穫。

このあたりの藤原京の道路側溝より「穂積親王宮」と書かれた木簡がでたそうで、
どこかはわからないが、このあたりに穂積皇子の宮があったのかも。とのこと。
今はあたりは田んぼばかり。

高市皇子の宮にいた但馬皇女が、穂積皇子を思って作った歌。
その関係がばれて、又歌を・・奔放な感じのする皇女だ。
そして、但馬皇女が亡くなった時に高市皇子が悲しんで歌を詠む。
今より自由な恋模様?

膳夫町
膳夫は宮中に仕え調理を司る料理人 
膳夫氏の一族がこのあたりに住んでいたという。

天香山神社(あまのかぐやまじんじゃ)

「天香山神社」
祭神は、櫛真命(くしまのみこと)神意を伺う占いの神


境内の「波波迦の木」(ウワミズザクラ)
天香山神社の 波波迦の木を占いに使った起原は、天照大御神の岩戸隠れの時に遡る。
神代の神事が現在まで継承されているのはすごい。

昔は 鹿の骨 を使ったが、現在では 亀の甲羅 を使って「亀卜(きぼく)」が行われる。
令和の御代替わりの時の大嘗祭に用いられる特別な稲を育てる田を決める「斎田の儀」
その時の占いにも、天香山神社の 波波迦の木が献上されたという。

 波波迦の木の枝を焼いて、薄く切ったアオウミガメの甲羅に押し付け、ヒビの入り方で占って斎田を決められたそうだ。

神武天皇東征の時、天の香久山の白埴で作った土器を作って祀るようにとの天神のお告げにより、敵が降伏したことから「白埴聖地」ともいわれる。


「ひさかたの 天の香久山 このゆふべ 霞たなびく 春立つらしも」柿本人麻呂

畝尾都多本神社(うねおつたもとじんじゃ)

「畝尾都多本神社」 またの名を 「泣沢女の神の杜」 という。
祭神は、哭澤女神
イザナミの命が火の神を産んで亡くなられた時、イザナギの命が悲しみ泣いた涙から生まれた神だそうだ。
空井戸がご神体となっている。


藤原宮跡資料室をちょっとだけ見学。
ここでも天武天皇の頃のお話を聞いて、1次解散となる。

私は藤原宮跡から八木駅まで歩く。


高所寺池の堤防に上がってみたが、いたのはカワウだけ。


藤原宮跡


エノキの枝は大きく伐採されて、ヤドリギはなくなった。


醍醐池の桜の木にはヤドリギがあった。


醍醐池 時間帯が悪かったのか、ハシビロガモとマガモが数羽いただけだった。

横大路を通り・・


古道 横大路と、古道 下ツ道 が交わる「八木札ノ辻」を通って・・八木駅へ。

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