初めて降りる伊丹駅。
今日は史跡巡りで、弥生時代の墓跡を展示してある尼崎市立田能遺跡資料館へ行く。
先ずは伊丹駅近くにある有岡城跡へ。
史跡 有岡城跡 南北朝時代伊丹市により築城。戦国時代に荒木村重が攻め落とし、大改築して「有岡城」とした。
町屋や侍屋敷を幾重にも堀と土塁で囲んだ「惣構」という壮大な城で、難攻不落の名城と言われた。
荒木村重は信長に摂津守に任じられ活躍したが、反旗を翻し、信長と合戦になり、敗れ落城。
戦火で城も侍屋敷もすべて焼失。廃城となり、今は石垣と礎石などが残るのみ。
猪名川を渡る。 道路に弥生の模様がはめ込まれている。
田能資料館(たのしりょうかん)
尼崎市立 田能資料館 に到着。
田能遺跡
尼崎・伊丹・西宮の3市による工業用水道 園田配水場の建設現場から多量の弥生式土器や遺構などが発見された。
その後破壊される予定であったが、永久保存の声が高まり保存されることになった。
出土物などを収蔵展示する「収蔵展示棟」と、地下に保存されている遺構を復元した「屋外施設」からなる。
田能遺跡で発掘された遺物の数々・住居跡・溝・特に、木棺墓や壺棺墓など「墓」の発見は、当時まだ不明だった弥生時代の墓の形態や埋葬状態が明らかになり、弥生時代の暮らしや文化を知る発端となった。
資料館内と屋外施設を2班に分かれて説明を受ける。
先ず、屋外施設 見学
復元された建物3棟
円形平地式住居 外の地面と住居の床が同じ高さ。内部に入る。真っ暗。やがて目が慣れてきた。
土間の中央に炉 炉は煮炊き用、乾燥や虫よけや灯りにもなったことだろう。
この広さで5~6人が暮らしていたのでは、とのこと。
茅葺屋根は当時はハサミもなかったのでもっと不揃いだっただろうと言われた。
方形竪穴式住居 室内は地面より1段 掘り込まれて低くなっている。
掘り取った土を周りに積んで高くし、雨水の侵入を防いでいる。
段になった入口にはハシゴのようなものが架かっていたらしい。
屋根は茅葺き
高床の建物は倉庫だ。2階の倉庫部へは木を刻んだハシゴがかけられ、ネズミ返しが付いていた。
下から物を上げ、上で受け取って収納したようだ。
高床にすることで、湿気を防ぎ、洪水を避けることもできる。
作ってから20年になる復元倉庫の建物は掘立柱なので、柱の根元が白アリにやられて傷んでいて、手前に進入禁止のロープが貼られていた。
昔も10年に1度ぐらいは建て替えていたのだろうとのこと。
弥生時代の墓
墓の形式には土壙墓(素掘りの穴に埋葬)・木棺墓(木で箱型に囲んだ棺)・木蓋土壙墓(素掘りの穴に木の蓋) ・壺棺墓(土器棺)・周溝墓(堀を巡らせた中にいくつかの墓)などがある。
復元された墓がたくさんあった。
園内の溝も当時のままの位置に復元してあるらしい。この溝は周溝墓の溝の可能性もあるらしい。
説明版の横の花壇は「墓の形」を表している。
右)第20号墓 壺棺墓(幼児用の土器棺)が埋まる。小さい丸い花壇が痛々しい。
第13号墓 木棺墓(木で箱型に囲んだ棺)
右)第7号墓 木蓋土壙墓(もくがいどこうぼ)素掘りで埋葬した上に木の蓋をしたもの。
その他、多数復元された墓があった。
墓の発見により、弥生時代の墓制の研究が大きく前進した。
屋内展示 見学
資料館内部 こじんまりしているが見やすくわかりやすい展示だった。
右)第1号 木蓋土壙墓の模型 遺体は40歳前後の男性で頭を東に向けて仰向けに埋葬されていたそうだ。
木棺墓や木蓋土壙墓、全国で初めて弥生時代の木棺材が確認された。
女性の墓も見つかっており、2体とも片腕を折り曲げた状態で埋葬されていたらしい。何を意味するのか?
第16号墓の男性が身に着けていた碧玉製の管玉のネックレス。
その右(四角い中)は第17号墓の男性が左腕に嵌めていた白銅性の釧(腕輪 ブレスレット)
腕輪は元はコボウラガイという南方に産する貝を切って作られていたが後、金属で作られるようになったようだ。
装身具を身につけていたのは16号墓・17号墓の2体だけ。
墓穴も大きく、田能集落で特別な身分だったのか?
右)出土した動物や鳥の骨や加工品
ものづくりの道具 石小刀 石錐 針状石製品など・・こんな道具でいろいろ加工したのか。
鉄剣の鋳型の展示もあった。外国からの技術も流れてくる。
出土した植物の実や種 オニグルミ・モモ・ムクロジ・イチイガシ・クスノキ・ヒョウタン
右)機織りもしていたらしい。糸を紡ぐ紡錘車や錘などもあった。これは貫頭衣(想像で作った)
弥生時代の墓や衣食住がわかる展示、面白かった。
昼食後、石包丁を使って稲刈り体験
小さく区切られた古代米の田んぼ。 形さまざまな石包丁
石包丁 片側に尖った刃の部分がある。ヒモを通す穴だって開けるのは大変だな。
ヒモに指を通して、刃を手前に持ち、イネの穂の元を持ち、包丁で「切る」というよりも「ちぎる」感じ。
初めての体験
収穫した古代米 古代米は芒が長い。 今年は1種類しか作れなかったとか。
雨が降ってきた。
この後、猪名寺廃寺跡(法隆寺式伽藍配置。舎利孔のある塔の心礎が残る)と、大塚山古墳・南清水古墳などをちらりと見て猪名寺駅へ。
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