みどりの野原

野原の便り

8月10日 台湾⑥ 台北空港~帰国 

2011年08月10日 | Weblog
順序は逆になりますが・・ 台湾から帰ってきました。

台北空港8時40分発のJL便で帰国した。あっと言う間の6日間だった。
毎日毎日朝から晩まで歩きまわった。ひやっとしたこともあった。

統治時代の建物・町並・鉄道跡・温泉・その辺にある熱帯性の木や草。
娘と二人のお任せの旅だったが、十分に楽しんだ。

新幹線・在来線・地下鉄・バス・タクシー・自転車。いろんな交通手段も使った。
ホテルは朝食のみ付け、夕食はいつも外で、忙しかったがいろいろ食べた。

また少しずつ書いていきたいと思う。

お盆の準備も近い。今日からは叉あわただしい日常生活が始まる。

ボチボチになりますが5日から順次入れていきます。

(シンガポール・インドネシアは本来の6月27日~7月3日に戻しました)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月9日 台湾⑤-2 北投温泉・周辺

2011年08月09日 | Weblog
午後は淡水駅から温泉のある新北投へ。
途中でマングローブが続いているのが見えた。紅樹林駅という駅名の紅樹林とはマングローブのことらしい。

淡水線北投駅から新北投への支線に乗換える。その電車の速度のスローなこと。いつになったらスピードがでるの?と思ったが、のろのろ運転のまま終点の新北投駅へ。
何やこれは。いつもこんなスピードなの?

 
     新北投駅       駅前に旧駅舎の保存に向けて募金の呼びかけの大きな広告があった。

台湾に来たら是非行きたかったのは「温泉」と「茶芸」(ウーロン茶を淹れる茶道のようなもの)

先ずは茶芸がありそうな北投温泉の上の方までタクシーを利用。

 
お茶ができる所と尋ねて入ったところは「小師禅園」パンフによると「1920年の建築で、第2次世界大戦の時には日本軍が神風特攻隊の出戦前の接待所として使った。1960年には中国の若い将軍と夫人が一時軟禁されていた」という歴史のある建物で、軟禁されていた部屋は残されているらしい。 右)その建物の1つの「小六茶舗」に入る。
落ち着いたいい雰囲気の所だったが残念ながら思っていた茶芸ではなかった。仕方なく優雅な?ひと時を・・お茶にしては高額な308元を支払う。

温泉のあるあたりまで歩いて下る途中で、下の方に温泉の湯気が見えた。地熱谷らしい。
 
だいぶ下って「地熱谷」に到着。さっき見えたのはここだった。湯温は100度近い。 右)そこからひと息下ったところに露天温泉があった。1人40元を支払い階段を降りる。
水着に着かえて入る。男女混浴 水風呂を含む5つ?の浴槽があった。日当たりが良くて日焼けしそう。
温泉と言っても洗い場などはなく浸かるだけ。
ロッカーはあったが、更衣室がなく、シャワー室での着替えはしにくかった。

さっぱりした後、すぐ近くの北投温泉博物館に入った。無料
ここは1913年(大正2年)に日本の伊豆温泉をモデルに造られた、東南アジア最大の公共浴場だったという。廃れていたのを発見され修復され1998年「博物館」に生まれ代わった文化財だ。
昭和天皇が皇太子の時にここで休息されたらしい。

 
外観は英国ビクトリア様式の洋風建築  回廊と奥は張り出した展望テラス


     2階から見る
 
1階の大浴場のアーチ廊下 窓にはステンドグラス 右)男性客用の大浴場の浴槽だったところ 長さ9m・幅6m 他に男女別と来賓用の浴室もあったらしい。

2階の休憩スペースには日本式の畳の休憩室(大広間)もあり、入浴の後、ここで食事やお茶や囲碁将棋などを楽しんだらしい。私もゆっくり昼寝でもしたい気分だ。
北投温泉関係の展示を見た。

温泉街といっても土産物屋が並んではいない。新北投駅前にも買いものをするような店はなかった。

夕方台北に戻り、明日飛行場まで乗る空港バスの乗り場を確認してからホテル近くの新光三越(百貨店)で土産を買った。懐かしいエレベーターガールがいた。
ホテルに戻ってシャワーをした後、夕食を食べに町に出る。
娘が前に来た時おいしかったという店でエビシュウマイ等を食べ、その後日本人に人気があるというマッサージ店で疲れをほぐす。
いよいよ明日は帰国の日だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月9日 台湾⑤-1 台北を拠点に淡水・北投温泉・周辺

2011年08月09日 | Weblog
台北2日目は、午前中は最寄りの中山駅から地下鉄で30分あまりの淡水の町へ。
淡水

新しくてきれいな淡水駅。構内に職業安定所のような所があった。 
駅近くにはミスタードーナツ・スターバックス・吉野屋まである。

 
市場を通り抜けた。レンコン・芋のツルも売っていた。肉も野菜も新鮮だ。

 
例によって娘の「感」に頼って横町に入ると坂道に美しいレンガの建物。絵になる風景があった。

 
小白宮は清朝の時代に建てられた建築 無料で中を見学できる。
きれいに管理された庭には大好きな花アサヒカズラが満開。フジの花もあった。
門のそばのプルメリアは建物が出来た時代に植えられたもののようだ。

私立淡江高級中学


門を入ると・・(学校の敷地に勝手に入ってもいいの?と思ったが)

 
古い建物が所々にあり、どれが学校なの?と言う感じ。右)体育の授業らしいバレーボールをする生徒の姿が見えた。

まるで公園を歩いているような校庭。

 
その奥のヤシの並木の奥には八角塔がある。横に続くのは校舎らしい。


校舎の中では授業が行われていた

 
八角塔の中のステンドグラス   建てられた当時の八角塔の写真
帰って調べたところ、『私立淡江高級中学は1914年に台湾発の神学校として設立され、後に一般教育を行うようになった』日本人教師による日本語教育が行われたこともあるらしい。

建物は中国・西洋・台湾の様式が混じり合っている。こんな文化財のような素敵な校舎で実際に授業が行われていることに感動した。私たちの他にも数人の観光客が来ていた。解放された学校だった。


学校を創立したカナダ出身の宣教師 マッカイ(馬偕)先生の銅像は淡水の町中にあった。

 
近くに同じくマッカイ(馬偕)の創立したという大学もあり、そこも見学した。西洋と中国の様式の合わさった四合院洋風建築だという。

淡水の町をうろついた後、北投へ。
北投温泉 周辺 は次回⑤-2に続く。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月8日 台湾④ 高雄・台湾製糖跡~台北へ

2011年08月08日 | Weblog
高雄最後の日
ホテルをチェックアウトして出発までの半日を台湾製糖跡を見に行く。

タクシーで高雄車站(駅)から製糖会社跡のある橋頭糖廠站への地下鉄車内で化粧する若い女性を見かけた。台湾よお前もか・・

橋頭糖廠駅を降りるとホームで男性が声をかけてきた。案内係のような人らしく、製糖会社跡への行き方など親切に教えてくれた。
移動の途中で大きい荷物があるので預けるところがないか聞いてみたがないらしい。周辺地図もない。

ゴロゴロ大きい荷物をひきまわして歩きまわるの? どこかその辺の店で聞いて見ようか・・

貸し自転車屋があった。「ここで自転車借りて置かせてもらお」
やっと身軽になって自転車で回ることにした。

台湾製糖跡

日本統治時代の中心的な製糖所だったところ。
事務所・工場・古い建物・原料をはこんだ鉄道跡・トロッコ・レールなどがそのまま残してある。
ここも歴史的遺産が大切にされていることに感動したところだ。

  
製糖工場の敷地はものすごく広い。自転車が正解だった。 
                 右)アーチ型の回廊のある事務所の建物 
漢字の並ぶ説明板があった。
「1901年に建てられた日本統治時代の重要な建築で、台湾建築史上でも大切なものであること。鉄筋(鋼筋)を使っているが木の部分もある。通風も考えた熱帯仕様の建築様式。「土匪・・・偸襲時戦備的置槍穴」とあるのは武装集団の襲撃に備えた槍穴がある」と解釈したが間違えてるかもしれない。どこへ行っても説明があっても読めないのが困る。 

 
倶楽部という建物の中に入ると新渡戸稲造さんの胸像があった。
台湾の製糖業発展に大きく貢献し、台湾製糖業の父といわれているらしい。
製糖のトロッコ軌道の建設作業の様子の写真や測量機器などが展示されていた。

周辺にはいろんな木が植わっている。

 
落ちていた黄色い花は樹名板によるとテットウボクらしい。 
             右)いい香りの花びらは「玉蘭花」イランイランらしい。

 
面白い形の実の殻が落ちていた。何の木か不明。お土産にと拾っていて危うく大事な手帳を落とす所だった。
建物をひと回りしていたら「どこに行ってんのよ~」

 
        製糖工場           工場内にあった原料タンク? 
「工場の中を見たいからこの辺におってや」 「はーい」

 
生えている雑草を見ると、オヒシバの兄弟・メヒシバのおじさん・エノキグサの親戚・コミカンソウの従兄・ヒメクグのおばさん・・のような、どこか懐かしいけれどいつも見るのとちょっと違う草たちが元気に育っていた。     右)ジャックフルーツ 大きい実が成っていた。採る人もいないのか落ちて腐っているのもあった。

 
  作業用車もそのままに          レンガ造りの建物
 
 
        糖蜜槽                  地下糖蜜槽

 
     作業機器                   トロッコの車庫

原料を運びこんだり製品を運び出したり・・トロッコの線路が工場うらまで続いている。 ターンテーブルも残っていた。

けして放おってある訳ではない。トイレもきれいにしてある。自転車の置き場もそれとなくある。管理の人がいるのだろうが、最小限の管理がなされているだけ。
立ち入り禁止の表示や「○○してはいけない」等の注意表示は水槽ぐらいだった。大丈夫なのかと思うぐらい自由に見学できる。作業車両だってトロッコだって乗って写真ぐらい撮れそうだ。さすがに遠慮しておいたけれど・・ しかも見学は無料。昨日までの所もそうだった。管理費ぐらい取ってもいいのにねえ。と言うぐらい値打ちがある。工場裏など見ていたらその辺から作業員さんが出てきそう。

台湾という国は歴史的な遺産を大事にする所なんだなとつくづく思う。
「来てよかったわあ」娘は感激の様子だった。

途中で近くの町へ出てご飯を食べ、自転車を返し、かき氷を食べ、14時前に駅へ


橋頭糖廠站  今は静かな駅前だが、製糖工場稼働中はさぞ活気のある街だったことだろう。

ここから地下鉄で左營駅へ。ここは新幹線と繋がっている。(新幹線に乗換)
高鐡左營駅からは座席指定で16時過ぎに台北駅着。地下鉄でホテルのある中山駅へ。

台北

ホテルでシャワーと着替えをして、今日は娘のお友達の家族と食事をすることになっている。

 
レストランでお食事 いつもなじみの店とあってお勧めの中華料理の数々をごちそうになった。海鮮は少し飽きていたのでとてもおいしくいただいた。
デザートをいただいた後、ご主人は小さい男の子二人を連れて先に帰られた。
その後友達と3人で夜の街を少し歩く。    右)またまたマンゴーかき氷

タクシーでホテルまで帰る。
今日のホテルは商店街の中の便利な場所にある。
ビルの4階以上がホテルで部屋は11階 1人1泊朝食付で4700円 助かるなあ。
ここで今日と明日2泊する。 台湾の旅、残り少なくなってきた~。  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月7日 台湾③ 高雄を拠点に東港 ・ 「小琉球」へ

2011年08月07日 | Weblog
昨日は高雄から東の山、今日は南の島「小琉球」へ。

7時15分にホテル出発。地下鉄で途中で乗り換え高雄駅 


その近くには旧高雄駅が「高雄願景館」として保存されている。

その近くのバスターミナルから昨日調べておいたバスに乗り、約1時間で東港近くのバス停。105元300円あまり。バス代も安い。

東港
降りた若いお姉ちゃん2人が舟の乗り場へ案内してくれた。(運転手さんが頼んでくれたらしい)

バスの中では運転手と客がよくおしゃべりしているのを見る。知り合い?と思ったがそうでもないらしい。日本ではあまり見ない光景だ。
そして不案内そうな人にはこうして客に頼んでくれるなど親切だ。

というわけで乗り場近くまで案内してもらい、ちょっと横道へ入って町歩き。
船の修理ドックのような所や魚の加工場などを見た。 

 
これはサメの加工場。皮・身・骨・・などと分解されていた。


        船乗り場
時刻表を見ると、9:00の次は10:45発 今は9時半。1時間15分も待つの?
娘が窓口で聞いたら臨時便が出るとか出ないとか・・ちょっとはっきりしなかったが、10:00発が出ることがわかった。
さあ乗船という時になって雨が降り出した。

 
船は雨と風でひどく揺れた。最近乗り物酔いはすっかりなくなっていたのにもう限界寸前。            やっと(右)小琉球の港に到着。ああしんど~。

小琉球
前出の江さんの知り合いが「小琉球は坂が多いので本当はバイクで回るのがいいんだが・・」と言われていたが、まあ行けるところまで歩こうかと少し歩き始めた。

・・が、やっぱりタクシーで半周ぐらいしてそこから歩いて戻ろうかということに。
港近くの物売りのおばさんが見つけてタクシーのおばさんを呼んでくれた。
そして「島のどこどこまで・・」と地図を見せたりしていたら「1周500元で、時々下りて写真を撮ったり見物できる」と物売りおばさんが話をつけてくれたのでタクシーを利用することになった。

途中の洞窟で降りて見学し、タクシーは出口で待ってくれることになった。
いくつもある洞窟の共通券を買って入洞。


洞窟と言っても鍾乳洞ではなく、サンゴでできた岩が侵食されてできているようだ。コウモリ洞・情人の坪・仙人洞その洞中洞だのとまわる。その間雨は降ったりやんだり。傘をさしたりたたんだり・・ちょっと面倒。
そして待ち合わせ場所の望海亭の所に出てきた。

タクシーは?おばさんは?と見まわしたがいない。おかしいな出口はここだよね。

少し手前、少し先へ見に行ったりしたがいない。 どうしよう。ひょっとして持ち逃げか?(前払い) 仕方ないので歩き始め、ちょうどレストランがあったので昼ごはんを食べることに。食堂の人に頼めばなんとかなるかな?

実はおばさんには名前と電話番号を書いたメモをもらっていたので娘がかけてみたが留守電になっているという。(もしかかっても台湾語しかわからないおばさんにどう言えばいいのか、今いるところがどこだかもわからない)

娘が食堂のお兄さんにメモを見せて頼もうとしたがはじめから「わからん」と相手にされず・・

注文した食べ物が出てくるのを待っていた時、家族づれが入ってきた。
そのお父さんと目があって会釈した後、メモを持ってお父さんの前へ。

先ずは「困ってます」と手話で(わからない時には手話が出てくる)あとは絵と表情で、「タクシーで回っていて見物して待ち合わせ場所に戻ったがタクシーがいない。電話も通じない。困ってます」と。
そしたらわかってくれて自分の携帯でかけてくれることになった。ありがたい。
「ここで待っていることを伝えて」とお願いした。

その結果おばさんに電話が通じて説明してくれ、しばらくしておばさんのタクシーが到着。

聞けばおばさんも探したのだという。私たちが遅すぎたの?おばさんがせっかちだったの?
後でメモを見たが30分足らずのことだったのに。

そのお父さんには深~く感謝してお別れした。

その後はおばさんも私たちも「待つのはここね」しっかり確認。

次も洞窟。

 
そこで落ちていた赤い実。葉を見ればクワ科。ヤマグワより毛が多い。カジノキのようだ。雌花・雄花も確認。雌雄異株だ。

アダンやヒゴロモコンロンカ・ネコノシタなどがあった。

今度はおばさんはちゃんと待っていた。その後、漁港や景色のよいところで降り写真を撮る。

 
侵食された岩がいろんな形に見える。長い棒状の岩は観音岩・ライオンのような岩などを見た。続く海岸もごつごつの岩だらけ。

花瓶岩という岩のある海岸でタクシーを下りた。港まで歩いてもそんなに遠くはない。 


花瓶岩(私ならキノコ岩って名づけるなあ)せっかくだからズボンをまくりあげて海に入って少し遊んだ。きれいな海だ。

 
魚港近くでタチウオが水上げされていた。近くの路上ではとれたての魚を売っている。

 
黒蜜のかかったかき氷を食べてから町歩き。      右)独特の屋根の形
娘が古い建物やタイルなどを喜んで見ている間に私はきょろきょろ。

伝書鳩?足に輪をはめたハトの小屋があった。 白い花・黄色い花の咲いた小さい草花もあったが何かはわからない。

15:50発の船で島を離れ東港へ。帰りは全く揺れず早く着いた。

小琉球や東港当たりは漁港が多く、特にマグロやカジキやタチウオなどが良く捕れるらしい。

東港

 
すごい賑わいの魚市場 日本で言うとれとれ市場 中にはたくさんの魚屋が並んでいた。
                  右)グロテスクなしわしわのものはマグロの腸? 
貝ばかり扱う店、エビの店・・マグロの店は各部所に分解されたマグロが並んでいる。
目玉だけ・目玉に少し周辺が着いたもの、半分に割った頭、もちろん上身も。


市場の表側には八百屋や練り物を揚げている店もあった。
カジキのすり身のてんぷらを1つ買って食べた。
旗魚というのはカジキのことらしい。びっくりするほどたくさん買って帰る人もいた。

 
      路上の鮮魚売り  セリ市場はこの時間はがらんどうだが早朝の賑わいを見てみたいものだ。

来たバスで高雄まで帰る。

六合夜市を歩いて帰る。
年中夕方から夜中まで夜市をやっているそうだ。1駅分ぐらい続いている。
昼は本来の商店街。

  
六合夜市 夕飯を食べた店        右)奥にある立派な厨房に驚いた。
ステンレス製のコンロ台にはコンロが2台ごうごうと火が燃えており、炒め物揚げものなどに使用。その奥には茹で用のコンロも。炒め揚げ物もの用コンロの上には太い排気筒もあった。これが毎夕運び込まれる訳だ。

エビチャーハンやら猪肝湯というスープや炒め物を食べた。

この六合夜市の雑踏の中で台湾に来て初めて日本人の声を聞いた。今までの所では全く日本人に逢っていない。


街中の果物屋でマンゴーとシャカトウとライチを買った。マンゴーは数百円 シャカトウはもう少し高かったかな?


食べ散らかしたシャカトウですが・・1個1個外れる。1個の中に種が1つ。
ホテルに帰って私はまるまる1個のシャカトウとライチを食べた。(娘はいらんと言うので)マンゴーは2人で食べた。今が旬らしくおいしい。熱帯果物は大好き。
今夜は高雄最後の夜だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月6日 台湾②-2 高雄を拠点に 屏東 町歩き・六合夜市・マッサージ

2011年08月06日 | Weblog
三地門の村から下り、バスに乗り屏東駅近くで降りる

「屏東の町にも日本家屋が残っているところがあるねん。回ってもいいか?大丈夫?」と娘。いいよ。・・ということで屏東の町歩き
いくつか建物を見た後「ちょっと回ってくるからお母さんこの辺で草でも見ててくれる?」 いいよ。

1人で歩道を歩いていたら赤い実がゴロゴロ落ちていた。何や何や!

 
拾ってみると柿のようだが表面はフェルト状に毛が生えている。毛の生えた柿や。ケガキ? まだ木に付いているものもあった。

 
日本の柿よりは丸くヘタは同じ形。少し香りあり。(ネットではジャコウ臭と書いてあった) 拾って帰ってホテルで切ってみた。中も柿だ。食べられるのかな?
「止めときや」横から声。
家に帰って調べたらやっぱりケガキで「カキ科の常緑高木で果肉は生食に・種は焼いて食す」とあった。残念。ただ「あまりおいしくはない」とも書いてあったが。


長いオシベとガクが落ちていた。 掌状複葉の葉 これは何?

 
フクギ ホテルから駅への途中にもたくさん実が落ちていた。よく熟してオオコウモリがいたら喜びそう。右)切ったところ。

 
角地に立つ洋風建築 立派な建物だ。 屏東美術館 無料で誘われるままに入った。


    屏東駅 ここから在来線に乗り、高雄駅で下車。

 
駅からタクシーで高雄市立歴史博物館に駆けつけたのに、もう特別展の入館時間は過ぎていて、娘が見たかったらしい「高雄臨港線動体鉄道場景模型展」は見れなかった。17時15分にもなっていたから仕方ない。常設展は見れるというので、ひと回り。
高雄の町の昔の写真と今の写真がパネルをひっくり返して見られるようになっていたのが面白かった。 右)細かい刺繍を施したよだれかけや子供の帽子 なんて贅沢な品物なの?

中正大橋を渡りホテルに戻る。シャワーの後、地下鉄で1つ乗換えた駅の近くの海鮮料理の店へ。友達の御主人洪さんお勧めの店で予約してくださっているらしい。

 
着くと、なるほど評判の店らしい。人があふれていたが、予約してあるのですんなりと座れた。ここは刺身も置いてある。それだけ衛生的にも信用できるということか。

ちょっとずつね。ちょっとずつね。と言いながらエビや貝やその他を注文。
なにしろ2人なのでちょっとずつでもたくさんになる。


魚は何かはわからないが小ぶりなのでちょうどいい。おいしかった。
汁の中に入っている粒粒は何? 納豆?豆?と何かの木の実 何だろう?

 
タニワタリの芽(沖縄でも食べた)      ウリ さっぱりとしている。

窓から花火も見えたのはおまけ?
お勧めだけに味はよく、1皿の分量も昨日よりは少なめで食べやすかった。
またまたお腹いっぱい。やっぱり食べすぎだ~。

叉地下鉄に乗って高雄の駅で降り、駅に近いバスターミナルで明日の東港行きのバスの時間を確認。

 
帰る途中にある「六合夜市」を歩く。すごい人。年中やっているらしい。
食べ物屋が多い。魚・肉・鳥・果物・シュースや氷・カラスミも特産物らしい。サトウキビジュースもあった。
「何か食べたいものがあったら言いや」というけどお腹いっぱい。

途中でマッサージ店を見つけ、値段も高くなかったので足のマッサージをしてもらうことに。
足を湯に浸け、その間に首や肩も暑いおしぼりを当ててマッサージ・・気持ちいい~。
その後 足。ふくらはぎから指先まで。極楽極楽。
30分250元だったがもっと時間が長かったように思う。

すっきりしてホテルに着いたらもう夜11時。
途中で買った大きいマンゴーを2人でムシャムシャ。 果物だったら入るわ~。

洗濯もしてちょっと寝るのが遅くなった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月6日 台湾②-1 高雄を拠点に山地門へ   続きは次に

2011年08月06日 | Weblog
さて、今日は高雄~東の山手の原住民の村があるという「三地門」へ。
高雄~(MTR)~美麗島(乗換)~高雄(在来線に乗り換え)~屏東駅=(バス)=三地門

町を抜けると果樹園が広がる。やがて山が近づき・・大きい川にかかる三地門大橋を渡り・・バスはぐんぐん高度を上げる。
運転手さんとお客さんが話をして、バス停じゃないところで降ろしてくれた。
この辺が中心なのかな? バス道で少し店が見えるが訳がわからない。

 
とんぼ玉の工房らしいところがあって入ってみることに。 通路に埋め込まれたガラス玉

5.6人の人がとんぼ玉作成中。お客さんなのかな?と思ったらみんな店の人のよう。
200元約(600円)で体験できるというのでやってみることにした。

 
装置はだいたい飛鳥でやるのと似たようなものだが、(右)ガラス棒を余熱するものがある。
バーナーはガスバーナーほど炎の勢いはない。
バーナーのそばに玉を転がす金属台がある。剥離剤は同じ。

「どれにする?」見本を見て選ぶ。
・・で、どうするのかといえば、元になる大きい玉は向こうの人が作ってくれ、上に細いガラス棒で模様をつけるのを自分でするのだった。
さて、大玉に細い棒で模様をつけるのだが、思うようにはいかない。
台の上で転がしてまん丸から少し俵型にする。・・う~ん見本とは似ても似つかないぐちゃぐちゃ模様になったが、仕方ない。飛鳥の経験が役に立たなかった(2年ぐらいやってない)
後は店の人に任せて出来上がるまで上の方に行ってみることにする。
私たちがやっている時に欧米人の10人ぐらいの団体が入ってきた。

 
三地門原住民文化館 スレート多用の建物 静かで人気はない。入場料50元(約150円)(20元の買い物券付き)
期待して入ったが現代美術のようなのが展示してあり、2階もガラス玉や土産の民芸品のようなものが並んでいるだけ。客は誰もいない。訳がわからないまま出る。

 
雰囲気のよさそうなところがあったので昼ごはんにする。景色もいいし静か。
お客は私たちだけ。 メニューを見て何品か頼んだ。アサリ・タケノコ・檳榔花

 
メニューの1つ 檳榔花 柔らかくてホワイトアスパラガスのような歯触り。
何かとよく見れば・・ヤシの花柄だ。初めて食べた。 店を出てから近くにあった。
 
 
店先で葉に何か包んでいるのは食べ物らしい。買ってみようと思ったが、蒸すか焼くかしないと食べられないようであきらめた。


とんぼ玉を受け取った。大玉の横に小さい玉をつけてネックレスにしてくれてあった。
思った通りのぐちゃぐちゃ模様。色だけはきれい。(翌々日レストランへ付けていこうと思ったら、パリッと割れた。帰ってアロンアルファでくっつけた)

三地門ってこんなものなのか。トンボ玉が原住民の芸術なのか・・もうひとつ納得できないまま帰りは山の下まで歩くことにした。

途中でバス道から中に碁盤目に区画された住宅地があり中に石板家屋があると書いてあった。

せっかくだから行ってみようと叉坂を登る。
地図だけを見るとどこにでもある住宅地のようだったが、中は結構古い建物がぎっしりと並んでいた。原住民が何かの都合でここに集められたのかもしれない。

石板家屋を探してうろうろしていると雨が降ってきた。
雨具を着るのにおじさんのいる軒先を借りて石板の家を聞くとすぐ近くだった。
娘が行ってみたがたいしたことはなかったみたい。

 
そこにいたおじさんが噛んでいた檳榔(噛みタバコ)写真を取らせてもらった。
檳榔ヤシの実を白いものを塗った葉で巻いてある。どんな味なんだろう。
葉は何の葉?と聞きたいところ言葉が通じない。おじさんは家の前の葉を指さす。ただ「葉っぱだよ」ぐらいに言ったのだろう。
軽トラの上には檳榔ヤシの実が枝のまま置いてある。実はこれね?「うんうん」その程度しか話せないのがもどかしい。

帰って調べたら
「葉はキンマ(コショウ科)で白い粉は石灰。ヤシの実にはアルカロイドが含まれ、ニコチンと同様の作用がある。石灰はこの成分をよく抽出するために加える。噛んで口に溜まった赤または黄色のつばは吐き出し、最後のカスも吐き捨てる。軽い興奮酩酊感が得られる」
「檳榔子(ヤシの実)は依存性があり発がん性も示す。日本では漢方に配合されるが、嗜好品としての使用は麻薬法で禁止されている」とのこと。

吐き出す赤いつばが美観を損ねるので町ではあまり使われないそうだが、六合夜市でも売っていた。(上記右の写真 葉巻きと実に挟んだものがある)

そこへ向かいの奥さんが出てきた。きれいな民俗衣装! 原住民の村へ来た感が。

奥さんが「あっちへ行ってみたらお祭りをやっているよ」みたいに言う。「あなたも踊るの?」と聞くとうんうんと。雨も上がった。角を曲がって阪を登る。


大屋根の下で近所の人が集まっていた。普通の服に混じって民族衣装の女性・男性も頭に草で作った冠をつけていたり、ベストを着ていたり。
「収穫祭」と書いてあった。観光客用ではない村祭りのようなものらしく、今から輪転がし競争が始まる所だった。
しばらく見てから下った。その後あの奥さんも加わって踊りもあったのかもしれない。

 
奥さんの民族衣装はお祭り用だったのかも。途中で出会った青年も写真をお願いした。

帰り道のバス通りの横にもトンボ玉や壷などの模様があった。これらはやはり原住民の工芸なのだろう。

 
   ヤブガラシ・・でも葉が違う  カラスウリ・・ガクがトゲトゲ(痛くはない)
日本のとは同じ仲間でもずいぶん感じが違う。
ゲットウやヒカゲヘゴ・タチアワユキセンダングサ・こんな所で久しぶりにアカザを見た。
 
        下の村            スレートを積んだ垣

叉雨が降り出して、どんどん下って行ったら、だいぶ遅れて下りてきた娘に「目の届く所にいてよ。道から転げ落ちたかと探したのに」と叱られショボン。ゴメン。      

それから、来る時バスで通った三地門大橋を渡り、分岐地点に来たけどバス停はない。
少し歩いて家のあるところにバス停を見つけホッ。まもなくバスが来たのも幸いだった。
バスに40分ほど乗り屏東駅へ。                次に続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月5日 台湾① 高雄 高雄港駅跡・海鮮料理

2011年08月05日 | Weblog
娘に誘われて台湾へ行くことになった。
娘は2年前に高雄に来ているが、見たいところがいろいろあるらしい。
「どこへ行きたい?」と問われたが、バタバタしてガイドブックを見る間もないし、私はどこでも楽しめるから「お任せ」することに。
ネットで宿だけ手配したらしい。

初日を有効に使うべく始発(5時50分発)の空港バスに間に合うように主人に送ってもらう。
早い時間なのに10人ぐらいの乗客がいた。

関空から台北へはJALで。約3時間 時差1時間。(-1)
台北空港に着くと思いもかけず娘の友達の旦那様が迎えに来てくださっていた。
現地貨幣に換金した後、バスで高鉄(新幹線)桃園駅まで送ってくださり駅そばでお食事をご一緒し、見送られて新幹線に乗る。

私が妹達と台北に来た5年前(h18年2月)には工事中でまだできていなかった新幹線。
自由席で席を見つけて座り、途中で在来線(台鉄)に乗り換えて高雄駅に着いた。約2時間
そこからタクシーでホテルへ。16時ホテル着

 
今日から3泊するホテル。ダブルベッドが2つ 備品も揃って 1人当たり3750円 駅にも近い。 
荷物を置いてすぐに外へ。

 
近くを流れる「愛河」は日本統治時代に運河として開拓されたものでそばの公園もいいお散歩コースだ。                 右)中正大橋

 
河の近くは公園になっていてハマボウ(オオハマボウ?)・インドボダイジュ・アメリカネムノキなどの木が植えられている。   右)白いブラシノキのような花


中正大橋を渡ると高雄市立歴史博物館 元は高雄市役所庁舎で日本統治時代の建物だとか。

 
いい香りがすると思ったらイランイランの花が咲いていた。   クサトベラ

ずっと歩いて高雄港駅跡に着いた。
高雄港にあった貨物の鉄道跡周辺をそれは見事に保存してある。

娘の目的は古い建物や鉄道関係の残された所を見ること。
私は特にどうということはないが、美しいものは美しいし見るのもいい。


      高雄港門

 
倉庫も建物はそのままで観光用に利用され、伸びた線路跡はサイクリング道に。

 
広~い敷地には多くの線路が集まり、芝生の中に多数のレールが残り繁栄の様子がしのばれる。
レールも駅舎もプラットホームも最小限のいじり方でそのまま残されているのは見事という他ない。

 
プラットホームと駅舎 入るとカウンターと業務室があり、声をかけると駅員さんがあらわれそう。
黒板の字もそのまま。駅長室は資料室になっていて自由に見ることができる。

外には漫画による台湾の歴史が書かれていた。言葉はわからないがなんとなく雰囲気はわかる。
18時には駅舎の扉は閉められた。日もだいぶ傾いてきた。


途中で食べたマンゴーかき氷とマンゴープリン ボリュームたっぷり。おいしかった。


そこから歩いてフェリーターミナルから船に乗り対岸の旗津岬へ海鮮料理を食べに行く。
乗りこんだたくさんの自転車・バイクは通勤帰りの人達?

新鮮な海の幸 魚・貝・イカ・カニ・エビ・ナマコ・海藻・・海鮮料理の店がずらりと並ぶ海鮮街 

 
食材を選んで調理してもらう。安くておいしい。量がたくさんあってお腹いっぱいになった。

その後また船に乗って戻り、地下鉄で最寄駅へ。やっと宿に落ち着いたのはもう夜10時前。
それからシャワーと洗濯を終え、ぐっすり。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月4日 竜鎮渓谷

2011年08月04日 | Weblog
久しぶりの竜鎮渓谷、山道は風が通って涼しい。

 
      ニワウルシの若い実       カラスザンショウも花盛り

 
タケニグサの実 潰すとプチプチ気持ちがいい。毒草なので後で手を洗わねば
右)薄暗い山陰に咲いたオレンジの花 オオキツネノカミソリ ちょっとドッキリ。
ハグロソウ・リョウブ・オニルリソウ・イワタバコは花は少し。まだ早いよう。


ノリウツギ 白が鮮やか花盛り

実物も多い。
 
       左)コバンノキ              右)コクサギ 

他にもクロモジ・アブラチャン・ツリバナ・イヌシデやウリカエデ・イヌザンショウ・ヤマウルシ・クマノミズキ・アカメガシワ・フジ等の実があった。

 
   ナナフシの仲間      ヒグラシのお腹には赤いダニが2匹
タカラダニの幼虫らしい。セミなどの体液をすって成長して若虫になると独立するそうだ。
タカラダニがセミに寄生している姿が宝を抱えているようだからタカラダニと呼ばれるようになったという説があるそうだが、セミからすると「何が宝だ」と言っているに違いない。


オオゴキブリ 山に棲み朽木を食べる (クロゴキブリって言ったのは間違いで~す)
ネットで見たら試食の記事があって・・ひぇ~! 


ミヤマカワトンボ 緑色に輝く♂の胴  写真には撮れなかったがミヤマアゲハも翅の輝きが美しかった。

川原でのお弁当は足を水に浸して・・サワガニに1㎝位の稚魚・ヨシノボリの稚魚も。

途中で水着で川遊びの家族連れもおられた。
暑い1日ながらやっぱり夏は水のそばに限る。

明日からしばらく休みます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月1日 虫の世界に迷い込んだ

2011年08月01日 | Weblog
 
ちょっと地味なヒメウラナミジャノメも裏と表で蛇の目の数が違うことがわかった。


ヤマトシジミ 止まった時後ろ翅をこすり合わせるのは何のため?

 
カラムシの葉を綴ったアカタテハの巣 ちょっと失礼葉を開くと・・右)幼虫がいた。 葉は叉元通りに。

  
      クロヒカゲ         右)ヒカゲチョウ  微妙に模様が違う。


草陰・木の陰に多かったシャイなサトキマダラヒカゲ・・なのに・・・

お昼はサンドイッチを食べ、あんパンを食べ始めたら・・何か飛んできた。
・・と思ったら私の食べているあんパンに止まった。サトキマダラヒカゲだ。

 
甘いものに飢えていたのか夢中であんこをなめるサトキマダラヒカゲ。
「捕まえるぞ」と言っても知らん顔。 くっつくばかりの接写もOK。写真取り放題! 
しばらくして堪能したのかどこかへと飛んで行った。
もちろんサトキマダラヒカゲの舐めたあんパンの残りを食べた。おいしいよね~。


虫のレストランはやっぱりクヌギ カブトムシ(♀のよう)・カナブン・アオカナブン・ゴマダラチョウ 他にもヒョウモンチョウやウシアブなど
上の方ではカナブン同士がけんか。一番いいところをカブトムシが独占して頭を突っ込んでいる。カナブンが近づくと足でけられていた。カナブンやゴマダラチョウは結構うごき回って位置が変わる。大繁盛のレストラン。

 
      ハラビロトンボ               オオシオカラトンボ

草地の上にはウスバキトンボが群れ飛んでいた。

 
      ニシキリギリス?          ヨコヤマヒゲナガカミキリ?

 
       ハナダカカメムシ?         プチヒゲカメムシ

その他 ヒガゲチョウの仲間・バッタの仲間など・・

車で出かけて散歩のつもりが虫の世界へ迷い込んだようだった。

わからないものは後で本と格闘して同定。?の付いてるのはちょっと自信がない。
知ってる人教えてください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする