高雄最後の日
ホテルをチェックアウトして出発までの半日を台湾製糖跡を見に行く。
タクシーで高雄車站(駅)から製糖会社跡のある橋頭糖廠站への地下鉄車内で化粧する若い女性を見かけた。台湾よお前もか・・
橋頭糖廠駅を降りるとホームで男性が声をかけてきた。案内係のような人らしく、製糖会社跡への行き方など親切に教えてくれた。
移動の途中で大きい荷物があるので預けるところがないか聞いてみたがないらしい。周辺地図もない。
ゴロゴロ大きい荷物をひきまわして歩きまわるの? どこかその辺の店で聞いて見ようか・・
貸し自転車屋があった。「ここで自転車借りて置かせてもらお」
やっと身軽になって自転車で回ることにした。
台湾製糖跡
日本統治時代の中心的な製糖所だったところ。
事務所・工場・古い建物・原料をはこんだ鉄道跡・トロッコ・レールなどがそのまま残してある。
ここも歴史的遺産が大切にされていることに感動したところだ。
製糖工場の敷地はものすごく広い。自転車が正解だった。
右)アーチ型の回廊のある事務所の建物
漢字の並ぶ説明板があった。
「1901年に建てられた日本統治時代の重要な建築で、台湾建築史上でも大切なものであること。鉄筋(鋼筋)を使っているが木の部分もある。通風も考えた熱帯仕様の建築様式。「土匪・・・偸襲時戦備的置槍穴」とあるのは武装集団の襲撃に備えた槍穴がある」と解釈したが間違えてるかもしれない。どこへ行っても説明があっても読めないのが困る。
倶楽部という建物の中に入ると新渡戸稲造さんの胸像があった。
台湾の製糖業発展に大きく貢献し、台湾製糖業の父といわれているらしい。
製糖のトロッコ軌道の建設作業の様子の写真や測量機器などが展示されていた。
周辺にはいろんな木が植わっている。
落ちていた黄色い花は樹名板によるとテットウボクらしい。
右)いい香りの花びらは「玉蘭花」イランイランらしい。
面白い形の実の殻が落ちていた。何の木か不明。お土産にと拾っていて危うく大事な手帳を落とす所だった。
建物をひと回りしていたら「どこに行ってんのよ~」
製糖工場 工場内にあった原料タンク?
「工場の中を見たいからこの辺におってや」 「はーい」
生えている雑草を見ると、オヒシバの兄弟・メヒシバのおじさん・エノキグサの親戚・コミカンソウの従兄・ヒメクグのおばさん・・のような、どこか懐かしいけれどいつも見るのとちょっと違う草たちが元気に育っていた。 右)ジャックフルーツ 大きい実が成っていた。採る人もいないのか落ちて腐っているのもあった。
作業用車もそのままに レンガ造りの建物
糖蜜槽 地下糖蜜槽
作業機器 トロッコの車庫
原料を運びこんだり製品を運び出したり・・トロッコの線路が工場うらまで続いている。 ターンテーブルも残っていた。
けして放おってある訳ではない。トイレもきれいにしてある。自転車の置き場もそれとなくある。管理の人がいるのだろうが、最小限の管理がなされているだけ。
立ち入り禁止の表示や「○○してはいけない」等の注意表示は水槽ぐらいだった。大丈夫なのかと思うぐらい自由に見学できる。作業車両だってトロッコだって乗って写真ぐらい撮れそうだ。さすがに遠慮しておいたけれど・・ しかも見学は無料。昨日までの所もそうだった。管理費ぐらい取ってもいいのにねえ。と言うぐらい値打ちがある。工場裏など見ていたらその辺から作業員さんが出てきそう。
台湾という国は歴史的な遺産を大事にする所なんだなとつくづく思う。
「来てよかったわあ」娘は感激の様子だった。
途中で近くの町へ出てご飯を食べ、自転車を返し、かき氷を食べ、14時前に駅へ
橋頭糖廠站 今は静かな駅前だが、製糖工場稼働中はさぞ活気のある街だったことだろう。
ここから地下鉄で左營駅へ。ここは新幹線と繋がっている。(新幹線に乗換)
高鐡左營駅からは座席指定で16時過ぎに台北駅着。地下鉄でホテルのある中山駅へ。
台北
ホテルでシャワーと着替えをして、今日は娘のお友達の家族と食事をすることになっている。
レストランでお食事 いつもなじみの店とあってお勧めの中華料理の数々をごちそうになった。海鮮は少し飽きていたのでとてもおいしくいただいた。
デザートをいただいた後、ご主人は小さい男の子二人を連れて先に帰られた。
その後友達と3人で夜の街を少し歩く。 右)またまたマンゴーかき氷
タクシーでホテルまで帰る。
今日のホテルは商店街の中の便利な場所にある。
ビルの4階以上がホテルで部屋は11階 1人1泊朝食付で4700円 助かるなあ。
ここで今日と明日2泊する。 台湾の旅、残り少なくなってきた~。
ホテルをチェックアウトして出発までの半日を台湾製糖跡を見に行く。
タクシーで高雄車站(駅)から製糖会社跡のある橋頭糖廠站への地下鉄車内で化粧する若い女性を見かけた。台湾よお前もか・・
橋頭糖廠駅を降りるとホームで男性が声をかけてきた。案内係のような人らしく、製糖会社跡への行き方など親切に教えてくれた。
移動の途中で大きい荷物があるので預けるところがないか聞いてみたがないらしい。周辺地図もない。
ゴロゴロ大きい荷物をひきまわして歩きまわるの? どこかその辺の店で聞いて見ようか・・
貸し自転車屋があった。「ここで自転車借りて置かせてもらお」
やっと身軽になって自転車で回ることにした。
台湾製糖跡
日本統治時代の中心的な製糖所だったところ。
事務所・工場・古い建物・原料をはこんだ鉄道跡・トロッコ・レールなどがそのまま残してある。
ここも歴史的遺産が大切にされていることに感動したところだ。
製糖工場の敷地はものすごく広い。自転車が正解だった。
右)アーチ型の回廊のある事務所の建物
漢字の並ぶ説明板があった。
「1901年に建てられた日本統治時代の重要な建築で、台湾建築史上でも大切なものであること。鉄筋(鋼筋)を使っているが木の部分もある。通風も考えた熱帯仕様の建築様式。「土匪・・・偸襲時戦備的置槍穴」とあるのは武装集団の襲撃に備えた槍穴がある」と解釈したが間違えてるかもしれない。どこへ行っても説明があっても読めないのが困る。
倶楽部という建物の中に入ると新渡戸稲造さんの胸像があった。
台湾の製糖業発展に大きく貢献し、台湾製糖業の父といわれているらしい。
製糖のトロッコ軌道の建設作業の様子の写真や測量機器などが展示されていた。
周辺にはいろんな木が植わっている。
落ちていた黄色い花は樹名板によるとテットウボクらしい。
右)いい香りの花びらは「玉蘭花」イランイランらしい。
面白い形の実の殻が落ちていた。何の木か不明。お土産にと拾っていて危うく大事な手帳を落とす所だった。
建物をひと回りしていたら「どこに行ってんのよ~」
製糖工場 工場内にあった原料タンク?
「工場の中を見たいからこの辺におってや」 「はーい」
生えている雑草を見ると、オヒシバの兄弟・メヒシバのおじさん・エノキグサの親戚・コミカンソウの従兄・ヒメクグのおばさん・・のような、どこか懐かしいけれどいつも見るのとちょっと違う草たちが元気に育っていた。 右)ジャックフルーツ 大きい実が成っていた。採る人もいないのか落ちて腐っているのもあった。
作業用車もそのままに レンガ造りの建物
糖蜜槽 地下糖蜜槽
作業機器 トロッコの車庫
原料を運びこんだり製品を運び出したり・・トロッコの線路が工場うらまで続いている。 ターンテーブルも残っていた。
けして放おってある訳ではない。トイレもきれいにしてある。自転車の置き場もそれとなくある。管理の人がいるのだろうが、最小限の管理がなされているだけ。
立ち入り禁止の表示や「○○してはいけない」等の注意表示は水槽ぐらいだった。大丈夫なのかと思うぐらい自由に見学できる。作業車両だってトロッコだって乗って写真ぐらい撮れそうだ。さすがに遠慮しておいたけれど・・ しかも見学は無料。昨日までの所もそうだった。管理費ぐらい取ってもいいのにねえ。と言うぐらい値打ちがある。工場裏など見ていたらその辺から作業員さんが出てきそう。
台湾という国は歴史的な遺産を大事にする所なんだなとつくづく思う。
「来てよかったわあ」娘は感激の様子だった。
途中で近くの町へ出てご飯を食べ、自転車を返し、かき氷を食べ、14時前に駅へ
橋頭糖廠站 今は静かな駅前だが、製糖工場稼働中はさぞ活気のある街だったことだろう。
ここから地下鉄で左營駅へ。ここは新幹線と繋がっている。(新幹線に乗換)
高鐡左營駅からは座席指定で16時過ぎに台北駅着。地下鉄でホテルのある中山駅へ。
台北
ホテルでシャワーと着替えをして、今日は娘のお友達の家族と食事をすることになっている。
レストランでお食事 いつもなじみの店とあってお勧めの中華料理の数々をごちそうになった。海鮮は少し飽きていたのでとてもおいしくいただいた。
デザートをいただいた後、ご主人は小さい男の子二人を連れて先に帰られた。
その後友達と3人で夜の街を少し歩く。 右)またまたマンゴーかき氷
タクシーでホテルまで帰る。
今日のホテルは商店街の中の便利な場所にある。
ビルの4階以上がホテルで部屋は11階 1人1泊朝食付で4700円 助かるなあ。
ここで今日と明日2泊する。 台湾の旅、残り少なくなってきた~。