みどりの野原

野原の便り

3月21日 春ですねえ うちの庭

2015年03月21日 | Weblog
お天気が良かったが、今日は家の中でごそごそとしていたが・・

庭に出てみてわあびっくり。花盛り。

 
ヒメリュウキンカ ほっていくとどんどん増えるので要注意。  ニリンソウ

  
クリスマスローズ こんなに花がついたのは初めて。  ヒマラヤユキノシタ

 
ムサシアブミ 大きい芽が出てきた。 よく見るとイヌノフグリが咲いていたり・・

狭い庭でも草が目立ってきた。 イヌハコベもあちこちに繁っている。
またの機会に草引きをせねば。


ベランダのノウルシ 種が飛んであちこちに生えている。
大きい株は大きく、小さい株もそれなりに規則正しい端正な姿
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3月17日 西飛鳥~高取へ 暖かい春日 

2015年03月17日 | Weblog
2・3日前に吹雪があったとは考えられないような暖かい春日 上着は要らない。
お天気が何よりありがたい。
飛鳥駅から古墳や神社や鳥や草花や景色を見ながら・・のんびりウォーク本番
高取への道も下見したおかげでばっちり。
メンバー全員 西飛鳥は初めてだという。

途中で5か所ぐらいタンポポ調査もした。
 
コースで見られるタンポポのほとんどはカンサイタンポポ 
                          シロバナタンポポも結構多い。
1ヵ所だけ交雑種らしいタンポポがあった。


オオイヌノフグリは青いカーペットのよう。 ヒメオドリコソウも多い。

 
山手では  ウラジロの芽    2枚の葉はちゃんと準備されている。

うららかな日差しにチョウもよく飛んだ。
キタキチョウは10頭を数えた。  テングチョウらしいのも見た。

 
ウラギンシジミ 羽根が破れてる。       道路にクビキリギス 
オオツマグロヨコバイも飛び回っていた。

下見では3回も見たキジは今日は出てきてくれなかったが、カワラヒワ・カシラダカ・モズ・ツグミやイカル 他・・ノスリは真上を飛んで模様もはっきりと見えた。

途中で壷坂寺の観音が見えるスポットから双眼鏡で覗いたが、春霞?のせいでぼんやり霞んで、よくよく目をこらさないと見えなかった。

  
        牽牛子塚古墳             マルコ山古墳
岩屋山古墳 束明神古墳(順不同)神社など・・
 
狛犬ワールドへもご招待
 
櫛玉命神社子連れ狛犬 平野屋庄蔵 繁信(銘確認) 
           右)佐田 春日神社の子連れ狛犬(銘未確認)これも庄蔵作?

今日の謎
 
ツチバチ?ドロバチ?スズバチ??たぶんそんな仲間の土の巣が2つあった。
なんやろう?と思いつつ離れたが、やっぱり気になってひとつ外してみた。


3つの部屋に分かれていた。固い土壁 
外す時、一番上の部屋にちょっと柔らかいものがあったが、深く追求せずに持って帰った。
何の巣か調べてみたがよくわからない。誰かに聞いてみようと思う。


途中でツクシ・ヨモギ・セリを摘む人   
ヨモギ餅 天ぷら 卵とじ 夜の食卓に上ったかな?
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3月16日 矢田丘陵 松尾寺~竜田川駅 

2015年03月16日 | Weblog
寒さも少し和らいでハイキング日和 
いつもながら、迷ったり気の向いた所に立ち寄ったり・・

松尾寺口バス停から松尾寺へ。旧参道を歩く。

杵築神社 
 
松尾寺に習合されていたが、明治の神仏分離によりこの地に遷宮された。
 右)牛の彫り物は牛頭天皇の象徴。明治以前は牛頭天皇社と呼ばれていた。
拝殿前の狛犬には嘉永元年の銘があった。

車道に合流し、しばらくすると「古道七曲道}の案内板があった。
この古道は昔大阪から奈良への重要な幹道で、牛車も通る道だったが、いつしか廃道となっていたのを、地元の人たちが復活させたという。
 
 
             静かな古道七曲道。

七曲道を出て間もなく松尾寺の南惣門に出た。

 
風神・雷神の浮彫のある南惣門から階段を上がり、北の惣門へ通り抜ける。(参拝は次回に)

 
     シダ(イノデの仲間?)の芽 少し芽が動き出しているものもあった。

松尾山山頂へ。三等三角点を確認。 標高315m 

下ったところから白石畑方面へと下る。

途中 フェンスに隠れた道標に従って降りたら途中で立ち入り禁止の看板が。
今さらいわれても・・長い階段があり下り、更に急な階段(45度ぐらい?)を下る。
手すりも付いていた。
出たところからさらに下ると見たことのある場所に出た。ここは生駒郡平群町
神社があったはず。横道へ入ると来たことのある「平等寺春日神社」があった。


     平等寺春日神社 「なもで踊り」の絵馬がある。
下ったところに椿井井戸への標識 ここを入ったことは覚えているが、その先がどうなっていたか定かではない。忘れっぽくて困る。(平成24年12月に来ている)

平群氏春日神社 現地に来ると古墳のあったところだと思いだす。

 
        平群氏春日神社         安政4年の狛犬
境内にある宮山塚古墳から出土した「兜」をご神体としていたが盗難にあったとか。 


  宮山塚古墳  神社周辺にはいくつか古墳があるようだ。

ここから下っていくと・・椿井井戸だ。
椿井の地名の由来ともなり、聖徳太子と平群神手(かみて)将軍の逸話が残る。

 
コンクリートで覆われているが、覗くと済んだ水が湧いていた。


途中にあった 傘石仏如来像 衣の線刻が残っていた。町指定文化財の標柱があった。

下って竜田川を越えると竜田川駅
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3月15日 万葉集の食

2015年03月15日 | Weblog
「万葉集にみえる食をさぐる」ということで1時間の講演会に参加

はじめに「私は食についてはわかりません」といわれ??
そのうちに意味がわかった。
そして、食を考えることから当時の「社会状況を考えよう」というのが今日のお話だとわかる。

1時間ということもあり、なじみのある2首に出てくる食についてのお話だった。
①醤酢(ひしおす)に 蒜(ひる)搗きかてて 鯛願ふ 我にな見えそ 水葱(なぎ)の羹(あつもの)
②瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして思はゆ 何処より 来たりしものぞ 眼交に もとな懸りて 安眠し寝さぬ。

この2首は有名で、それなりの意味は聞いたことがあるが、出てくる「食」がどんなものだったかという解釈の裏付けとなる文献や証拠がなく、一般にいわれているものが正しいものかということがはっきりしない。 言い換えて、いい加減なまやかしが広まっているというのだ。

木簡(税の貢進荷札)に記されたもの。正倉院文書の中の「給料として請求されたもの」の中に記されたもの。
①の「醤酢」とは? 醤油なのか味噌なのか、液体なのかどうか? 作り方?
木簡や他の資料で、鯛醤 醤鯛 造醤 醤 末醤 などの記述があるが「醤酢」は見つからない。
「蒜」とは? 木簡には蒜・沢蒜・大蒜などもある。
「水葱の羹」がまずいものだったのか?個人的な好き嫌いだったのか?

②の瓜とはどんなものだったのか?
なんとも思わず瓜は瓜と思っていたが・・

はっきりとわかるものが残っていないので、すべて「今のもの、今の造り方を基準にして想像している」という。

「まあわかっている?」つもりの私も「今のものを基準にした、いい加減な一般説」によるものなのだということがわかった。でも、なんともしようがないなあ。

今日のお話の主題となる「当時の社会状況を考える」という部分では、文献や木簡に残る記述を考えることでわかってくるのだろう。私にはまだまだ無理だけれど。
②の歌は高校時代コーラスで歌ったことがあり、アルトで今も歌える。なつかしい歌だ。
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3月13日 早春の植物調べ アカガエル チョウ シュンラン 

2015年03月13日 | Weblog
今日はやっと春らしい日になったが、つい2.3日前まで寒かったせいか植物はまだ冬の眠りから覚めていないよう。花の咲いている草は少なかった。


それでもビオトープにはアカガエルのオタマジャクシがうようよと泳ぎ、ツクシも出て、やっぱり春だなあ。

今日の陽気に誘われて虫たちが動き出したようだ。

山裾のトウネズミモチの葉を綴った中にはガの幼虫の毛虫の団体がいた。まだ活動を始めるには早いのか、一回りして帰ってきてもまだ団体でじっとしていた。 (写真省略)

  
       ムラサキシジミ 2頭見た。        テングチョウ


山の中の杭にとまっていたのはオオマエキトビエダシャク というエダシャクの仲間 初めて見た。
見つけてすぐに図鑑で確認してくださった。


 
     ニオイタチツボスミレ     右)タチツボスミレ などが咲きはじめた。
シハイスミレはつぼみ

 
めったに見られなくなったシュンランのつぼみ、ショウジョウバカマもつぼみを持っていた。

やっと春を感じることができた。
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3月12日 郡山 矢田から東明寺へ 伝承邪馬台国想定地

2015年03月12日 | Weblog
矢田民俗公園から東明寺に向かい、また民俗公園に戻ってくるというコース。

 
    民俗公園 ウメ満開   こんなところにハルニレが植えられていたのは知らなかった。


     熊五郎狐が祀られていた。 
昔、神通力を持った狐が住んでいて、村人が困った時には助けてくれたそうな。
今も願い事を心に念じて手を打ち、コーンコーンという声が響けば願い事がかなうという。
知人によると、今もこの公園にはキツネがいるそうで、姿を見かけることもあるという。
ひょっとしたら熊五郎狐の子孫かも・・

公園を出て東明寺に向かう。

途中の森の交流館でお弁当を食べいよいよ東明寺へ。

 
   舎人親王が建立したという東明寺           ツバキ

下って来て、左へ行ったところに、来る途中で遠くに見えた「三の矢塚」があった。

囲いの中に「伝承邪馬台国想定地」 と書かれた石碑があった。
説明書きによると、物部氏の祖神「饒速日命が天神より賜った3本の矢を射て、落ちたところに住まいを定めた」といい、ここは3本目の矢が落ちた所だという。近くに「二の矢塚」や「一の矢」と呼ばれるところもあるそうで、ここが卑弥呼の宮居した伝承地とのこと。 伝承 想定 だそうだが。           
 
      ヤマネコノメソウ              ヒメオドリコソウ 
今日は2.3日前よりは少し暖かい。

見たことのあるところに下りてきた。

 
矢田坐久志玉比古神社 注連縄が張り巡らされ、神門にはプロペラが取りつけられている。
『饒速日命が天磐船に乗って大空を飛翔した故事により、航空祖神としても信仰されている』とのこと。

 
境内の一角に「二の矢塚」があった。縄がぐるぐると巻き付けられていた。
                            右)違い矢の紋       
ここからまた民俗公園に戻り、民俗資料館でお雛様などの展示を見た。
今日のコースは通ったこともある道ではあったが、三の矢塚 二の矢塚は今まで気づかずに通り過ごしていた。
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3月11日 写真展

2015年03月11日 | Weblog
お知り合いのグループ写真展を見に行って来た。

16人の方の写真を鑑賞した。
それぞれ、風景から感動を切り取っておられすばらしい。


知り合いのMさんも4点出展されていた。手前 入口から4枚
羊蹄山や周辺の風景 
そのうちの私のお気に入りの1枚をプレゼントしてもらうことになった。
飾る広いスペースがないのでハガキサイズでお願いした。 

午後からの予定に合わせて急いで帰る。
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3月10日 時々吹雪の中、西飛鳥~高取下見② 山を抜けた 

2015年03月10日 | Weblog
先日、1人で引き返したマルコ山古墳から先を妹を道連れにもう一度確認に行く。

マルコ山古墳手前の櫛玉命神社
 
        櫛玉命神社    燈籠にも 石工??の文字が見えるが判読できない。      

狛犬の「銘」を確認。(先日は見つけられなかった)
「桜井駅 石工 平野屋庄蔵 繁信 印」
思っていたよりも下の台座に、日光の加減で何とか判読できたが、わかりにくい。
 
 
       摂社 牛頭天皇宮      燈籠の形がおもしろい。

実は、先日迷って引き返したので、マルコ山古墳から戻って「確実な道」の地図を持ってきたのだが、今日は連れもいるのでもう一度冒険してみることに。
 
途中の民家の鬼瓦 大笑いしている鬼(ではない)飾り瓦を鬼瓦フェチ?の妹が見つけた。こんな瓦に守られているとしあわせ間違いなし。

途中時々吹雪。寒い。
マルコ山古墳を出たところで通りかかった人に「山越えはできるか」尋ねたところ「行ける」とのことで前進。
先日と今日 出会った人はこの時の1人だけ 民家はあっても人はいないのだ)

先日引き返した所より、少し左に山道があった。
ちょっと迷いかけたが、猪よけの柵を開けて入り無事高取らしいところに出た。
そして「佐田ふるさと会館」の前へでた。
しかし・・地図に書いてない山道を通ったので、いる位置がわからず・・
後で考えると束明神と反対の方向へ下りたらしい。
下り下り・・建物のあるところでやっと「今いる場所」がわかった。

先に帰る妹と途中で別れ、「岡宮天皇真弓丘陵」と「束明神古墳」へ行ってみる。
 
「岡宮天皇真弓丘陵」      そばの「素盞嗚命神社」
岡宮天皇とは草壁皇子に送られた追号 

 
    「束明神古墳」
終末期の八角墳で、歯や木棺の破片が出土している。
歯や古墳の様式から被葬者は「草壁皇子の墓」という説もあるらしい。
前にここを案内してもらった時、「ここを陵墓指定されると土地が取られてしまうと思った村人が古墳を壊し、調査に来た役人が近くの素盞嗚命神社を草壁皇子の墓と指定した」という話を教えてもらったのを思い出した。
    
 
   そばの「春日神社」    狛犬 苔に覆われているが子供付きなのを発見。
どちらも古そうで毛の巻き具合など櫛玉命神社の庄蔵狛犬に似ているような気がした。
特に春日神社の狛犬は親狗の台座の下の台座の脚のところに苔が覆って見えにくいがよく見れば玉にじゃれている子犬が彫られている。

帰ってからネットで見ると「素盞嗚命神社」のも庄蔵作?と「?」付きではあったが、「春日神社」の子付きは銘もあるらしく(次回確認しよう)大変珍しいらしい。
見つけられて良かった。

間違った地点も確認して下る。
とりあえず、今度は迷わず案内できそう。 
今日途中でキジを3羽も見た。
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3月9日 飛鳥 古代食

2015年03月09日 | Weblog
石舞台から祝戸へ。

 
         ウメ                 マンサク

 
      シナサワグルミ          雄花序はまだ固い。
   

祝戸荘で古代食 葉盛御前をいただく。
藤原京の遺跡から出土した木簡を元に、想像も加えて再現したというお料理
飛鳥時代の宮廷料理らしいなかなか贅沢な御馳走だった。

古代米ご飯 あまご 鴨肉 手長エビ トコブシ 古代のチーズ「蘇」など海の幸・山の幸をいただいた。
庶民の食事はどんなものだったのか・・それもちょっと味わってみたい気もする、






















































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































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3月8日 ①JR畝傍駅 貴賓室 ・ ②ツクシはまだ? ・ ③音の花温泉

2015年03月08日 | Weblog
①駅や近代建築に興味のある子供達2人と、昨日と今日2日間公開されている「JR畝傍駅 貴賓室」を見学に行った。

 
   JR畝傍駅(うねびえき)   右側三角の屋根のあるところが貴賓室
『皇紀2600年にあたる昭和15年 紀元2600年祭という国家プロジェクトで、戦争に向かう国威をかけた戦前最大の祭典が行われ、その一環として駅舎も建て替えられた』

 
駅舎 待合室から改札 今は無人駅 ホームへは階段を登る。いい雰囲気だ。

後の予定があるため朝一番に行ったが、すでに映像を見ている人あり。次の上映の最初から見る。
これは2013年に見つかったフィルムを「金鵄輝く建国の聖地」という25分に編集した記録映画
昭和15年の橿原神宮紀元2600年を祝う行事などの映像
字幕は旧字体 式典の式辞も今では使わないような下を噛みそうな言葉
軍服を着た人の姿も。
また皇族や来賓方(その中には満州国の皇帝や南米からの来賓も)が参拝に向かわれる姿もあった。

畝傍山が見える広場に大勢が集まり式典では、君が代の斉唱の場面もあった。
広場と畝傍山の間には目立つ建物もなく、当然今とはずいぶん感じが違う。 
ナレーターの言葉には何回も「八紘一宇」という言葉が出た。

これ以後、思想や生活の締め付けが一層厳しくなり、昭和15年は『その後の日本の歴史の分岐点』となった。


鳥居用の木材を運んでいる場面 材は台湾阿里山のヒノキだそうだ。
この頃すでに国内産の太いヒノキが手に入らなかったのか?

次に展示を見る。
貴賓室のこと、お召し列車のことなどのパネルがあった。(帰ってから読んだ)。
それによると、「貴賓室」というのは『天皇陛下をはじめとする皇族や外国の賓客の方々が列車待合のために利用する特別室』
明治に建てられた畝傍駅にも貴賓室は設けられていたが、紀元2600年という国家プロジェクトの一環として畝傍駅が建て替えられ、今の貴賓室もその時に設置されたものらしい。

 
貴賓室 今のソファーは新大阪駅の貴賓室にあったものだそうだ。
                天井は橿原神宮造営で使われた台湾檜
『豪華な家具やシャンデリアは今は取り払われている』らしい。
    

 水洗トイレ 洗面所は水とお湯の2つのコックが付いている。

戦後は昭和天皇が新日本の誕生と講和条約成立の報告参拝、近上天皇がご成婚報告参拝のために使用されてからは使用されず、駅も無人化になり貴賓室も閉鎖された。

②JR畝傍駅貴賓室見学後、ツクシを探しに平群へ行った。
しばらく歩いてみたが全くない。まだ早いのかなあ。


あきらめて、杵築神社や白山神社の周辺を歩いた。

 
        アオモジはまだつぼみが多かった。

③その後車で移動。
前にハイキングで近くを通り、気になっていた「音の花温泉」へ。

     音の花温泉 外観
玄関前の水槽には鯛が泳ぎ、受付の横には瓶に入ったクリオネがいた。
日曜日で建物前の駐車場は車がいっぱいだったが、温泉内はほどよい人数でゆったり入れた。
内湯はジャグジー・水風呂・サウナもあった。。
屋根付きの広い露天風呂にはヒノキ風呂もあった。(女湯)
温泉は2004年にオープンしたらしい。
ナトリウム炭酸水素塩泉で、体を温め気持ちがよかった。

シャンプーやリンス・石けんなしの入湯料800円 やや高目?

温泉の近くは「鳴川渓谷」、車の窓から岩が連なっているのが見えた。

せっかくツクシ摘みを楽しみに来た娘の期待にはこたえられなかったが、ゆっくりできた。
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