みどりの野原

野原の便り

3月17日 馬見丘陵公園 春の花木次々と ハナノキ あんz

2016年03月17日 | Weblog
久しぶりの馬見丘陵公園
今日は最高の天気

 
         コブシ 満開の木 花の元の小さい葉も確認

 
コブシの蕾の先を齧ったのは誰ですか?     右)こちらはハクモクレン

 
        マンサク 賑やかに咲く花も良く見れば花の集まり。

 
  どちらも雄と思うが、色が全く違う ヤマモモ(雄花序)

 
      サンシュユ 花の黄色が木を覆う。         右)ヒボケ

 
    カワズザクラはもうだいぶ咲き進んでいる。  ソメイヨシノ蕾が膨らんできた。


アンズ 反り返ったガク ぷっくりと丸い花。

 
      ハナノキ 1本だけ満開     赤い雄しべが目立つ。
今からいろんな花がいっきに咲きだすだろう。一足早い花見となった。
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3月16日 クラシック建築 大丸ヴィラ 京都府庁旧本館 他 オガタマノキ

2016年03月16日 | Weblog
京都の洋館などを巡る。
丸太町駅上がってすぐ、美しい煉瓦塀の中の木越しに見える建物は大丸ヴィラ
 
大丸百貨店店主の下村家の住居 塀が高くて上部しか見えないのが残念。
木を組み合わせることで落ち着いた雰囲気 昭和5年 ヴォーリズ建築事務所の設計とのこと。

 
聖アグネス教会の大聖堂 1898年(明治31年)平安女学校のチャペルとして建設された。
ここも外観のみ。 続く平安女学院京都キャンパスの場所は旧二条城の跡らしい。

続いて京都府庁へ
旧本館 1904(明治37年)竣工。昭和46年まで京都府庁の本館として使用。現在も会議室などに使われていて、「創建当時の姿をとどめる現役の官公庁建物」としては日本最古のもので、国の重文となっている。

 
重厚で均整のとれた建物 中庭を取り囲む「ロの字」にとり囲む形。
                 右)初めてとりいれられたという 玄関の「車寄せ」

旧本館内を見学
 
  2階への階段 周辺のデザインも美しい。   彫刻のある手すりは大理石

旧知事室や正庁(大広間)を見学

大広間 天井の白い漆喰塗りは宮大工の仕事とか。戦前は天皇即位などに使われたというこの大広間。すごいのは今も催し物などに使われ、撮影用やウェディングなどに貸し出しも行っているということ。 
右)賓客を迎えるドアには、上部の三角の破風(ペディメント) 格式を表すものだそうだ。

 
正庁(大広間)から大きく張り出したバルコニー 今までここに出た人は、明治天皇と蜷川知事と?ガガーリンの3人だけとか。この下は車寄せになっている。   右)廊下
内部のデザイン置かれた家具 外壁の各所にも凝った装飾があった。
素晴らしい建物、いつまでも使ってほしいなと思う。


中庭に出た。中央に円山公園の枝垂れ桜の孫の枝垂れ桜
中庭は桜の名所で、もうしばらくすると観桜祭(3月25日~4月4日)も開催される。
上から眺める桜 きれいだろうな。

議場棟(新)は地上3階、地下1階
 
3階にある(新)議場 傍聴席から見学 議員さんは60名とか。議事録はパソコンかと思ったら、速記も使っているらしい。 右)見たかった旧議場は今修復整備工事中 窓から覗く。
桜のころには完成するらしい。

昭和46年建築の新館2号館は6階建て

エレベーターで6階まで上り、階段を上って屋上「京テラス」へ。


6階 踊り場から下を見る。発掘現場のようだ。

屋上京テラス。 京都議定書に基づく地球温暖化対策
 
厚手防水シートの上に30センチ厚さの軽量土 その上に一面にコウライシバが貼ってある。
雨水が浸み出す配管もしてある。府民利用のコーナーもある。    
            右)太陽光発電装置 わずかな分しか賄えないらしいが。


旧本館 玄関前にゆるキャラ「まゆまろ」くんが出ていた。
手触りふわふわ。どこから見ているの?

お昼は新館の地下 生協食堂でお弁当を食べた。
終わって出てきたらちょうど12時。入れ替わりに職員さん達が次々と食堂へ。

京都府庁を出て、

護王神社
平安京の遷都に貢献した和気清麻呂を祀る。
清麻呂が助けられたというイノシシに因み、イノシシ神社とも言われる。

 
狛犬ならぬ「狛イノシシ」があちこちに。友だちに連れて来てもらったことがあるなあ。

京都御苑へ。
江戸時代には京都御所周辺に200もの公家屋敷が並んでいたという。
明治になって、首都が東京に移り、それに伴って公家も移転。
邸宅は取り壊されて荒れていたのを国民公園として整備された。
現在は、御所は宮内庁が、京都迎賓館は内閣府が、それ以外の公園部は環境省、と3つの官公庁が管理している。

 
        ウメが満開          時代を感じさせるクスノキ大木


    オガタマノキ 低い位置に枝がありたくさんの花が咲いていた。

その一隅にある閑院宮跡へ。

 
      閑院宮跡 建物跡もあり、庭園には水が引き込まれいい雰囲気
館内には自然や歴史の展示もあった。


アオバズクの食痕 ムシの残骸の数々 何でも食べるんだなあ。
アオバズクは何回か見に来たことがある。

部屋の周囲を巡る廊下の雨戸
 
角の部分には工夫がある。上の角 下の角

 
角まで北雨戸は、下の突起に引っ掛かりくるりと反転 角のこちら側に回り込む。
面白い。すごいアイデア。

京都府庁も説明付きで見ごたえがあったし、他のところもよかった。一日充実。
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3月15日 樹木調べは・・つらい。 春の草花

2016年03月15日 | Weblog
昨日とは打って変わった晴天の日
追加の樹木調べに。
落葉して葉はない。高い木。幹だけではなんとも頼りない私。

証拠物件がないまま、真犯人かどうかはっきりしないまま逮捕状を出すつらさ・・
自信がなくて、他のメンバーに頼りっぱなしだった・・
いつか証拠探しに・・せめて葉がでれば・・花がさけば・・

 
         遠目にアオモジ             ニワトコ 花ほころぶ

 
ヒサカキの香りも春の香り。   雄花             雌花

 
          ヒュウガミズキ                  トサミズキ

 
         あでやかなツバキ             ウメとツバキの競演

 
    セントウソウ 小さい分数で勝負       カテンソウ 今から。     


       スズシロソウ

 
 ボリュームのある ギンヨウアカシア 
   
 
        シデコブシ 大きい木         リボンのような花弁 
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3月12日 楽しみな季節 我が家の草花

2016年03月12日 | Weblog
まだ寒さが続くが、日に日に春が近づいてくるこの季節が好きだ。

久しぶりに庭を覗くと・・

 
       ムサシアブミの角のような芽     ウラシマソウ鎌首をもたげる葉

 
こぼれ種で命をつないでいるイヌノフグリ 小さい花1つ  
                      トウダイグサも小柄ながら花を咲かせた。
湿地のノウルシ群生地を見た日、空き地にあったのを1本持って帰ったもの。
ノウルシと思いこんでいたけれど、トウダイグサのよう。
楕円形の腺体・なめらかな子房・大きい杯状花序・葉は花序より小さい。採集地は湿地ではなかった。いろいろ確認した。思い込みはダメですね。

 
    ニリンソウ 咲き始め   ヒメリュウキンカ 強すぎるが、咲き始めの今は可愛い。

 
寒さに耐えて紅葉が美しい多肉植物。            花が咲き始めた。

 
       いつも冬に花を咲かせる。寒さが好きなのか?


 植木鉢の雑草 イヌハコベ 花弁もない地味な花

狭い我が家の庭の春を感じるひと時。
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3月11日 奈良 佐紀楯列古墳群 ハイキング

2016年03月11日 | Weblog
お水取りが終わらないと暖かくはならない。
今日もちょっと寒い。でも歩き始めるとすぐ温かくなって上着を脱いだ。

コースは新大宮駅からのおなじみのコース

一条高校のそばの、日本初の公開図書館・芸亭(うんてい)跡の碑を見て、ウワナベ・コナベの古墳へ。
このあたり、平城宮跡の北側に東西に連なる古墳群は「佐紀楯列古墳群」といわれる。
『古墳時代前期~中期 4世紀末~5世紀初めに造られた大和政権の王墓を多く含んでいる』

 
左)ウワナベ古墳 右)コナベ古墳 どちらも立派な周濠を持つ前方後円墳で、陵墓参考地となっている。
カルガモ・ハシビロガモがいた。

 
仁徳天皇の皇后 磐之媛命(いわのひめのみこと)の平城坂上陵(ヒシアゲ古墳)
「嫉妬深い」というので有名な?磐之媛命 
「万葉集に仁徳天皇のことを詠んだ歌が4首あります」と説明があったので、帰って調べてみた。
なんとも女らしい?歌。噂とは違った印象を持った。
「嫉妬深い」のは誰かの捏造かも・・とのことで、そうなら「ひどいわ。ひどいわ」とお墓の中で悔しがっておられるかも。


先のウワナベ・コナベと共に水鳥の観察に来る水上池(今まで「みなかみいけ」と言っていたが「みずがみいけ」が正しい?)
オオバン・マガモ・コブハクチョウ・アヒルかカモか?白いカモの仲間もいた。
コブハクチョウは人に慣れて、私たちを見つけて寄ってきた。


少し西にある平城天皇 楊梅陵(へいぜいてんのう やまもものみささぎ)
ここから西はあまりなじみがない。

円墳と思われていたが、元は前方後円墳で、平城京造営の時に前方部が壊されたことが発掘調査でわかったという。
平城天皇は平安時代の人で、その頃にはすでに前方部はなく、残った後円部に葬られたことになる。平城京の端にお墓があるのも?? 何かわけがあったのか?、間違っているのか?
謎がいっぱい。
「壊された前方部の「端」がわかるところがある」とのことだったが、わからなくなっているらしいが、かなり大きい古墳だったよう。

 
    平城宮跡 復元された大極殿         中には天皇の玉座「高御座」が。

昼食の後、「遺構展示館」へ。


発掘された建物跡など。大極殿は場所を移されていたらしい。内裏は同じ場所で営まれた。

3つの井戸枠が展示されていた。


中の1つは直径1.7mものスギの丸太をくりぬいたもの。上に鏡があってわかりやすい。

 
丸太(割ってあるのかどうか見えず)や、角材を組み合わせた井戸枠。

再び北へ。
称徳天皇高野陵は「佐紀3陵」といわれるものの1つだが、他の古墳と向きが違って前方部が西に向いているなどちょっと変わっている。
「称徳天皇陵はどこ?地図に載ってない」私が尋ねたら、孝謙天皇陵って書いてあるのがそれだよ。孝謙天皇が重祚して称徳天皇になった。と教えてもらった。あ~そ~か~。歴史に疎い私です。

近鉄線を横切り秋篠寺へ。

 
秋篠寺 本堂(国宝) 伎芸天はファンが多そうなやさしいお姿だった。
       右)苔の庭がすばらしい。 どうやってお手入れされているのだろうか。

 
        ウメが満開       ハランがたくさん植えられていたので探すと花があった。
写真を撮ってる間に出発。写真はピンボケ・・・


西大寺奥の院 五輪塔が並ぶ中、一段と大きい五輪塔は西大寺中興の祖 叡尊の供養塔
総高3.42m「日本で一番大きい五輪塔」と説明があった。


ハクモクレン 蕾膨らみ開花間近         

 
西大寺 称徳天皇の発願により建立された。東大寺に並ぶ規模の寺院だったらしい。
                             右)四王金堂


あれは何だ? 双眼鏡で見るとスギの木のようだ。超デカイ団子状のものは何?
ヤドリギではなさそう。スギにてんぐ巣病はあるのか??? 謎のまま。
謎があるのは面白い。謎が解けたらもっと面白いけれど・・

同行の人によると、今日は19000歩ほど歩いたらしい。 気持ちよかった。
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3月10日 奈良 史跡 ムササビ お水取り イヌガシ満開

2016年03月10日 | Weblog
今日は帰りにお水取り(修二会)のお松明を見るので、早めに奈良に来て、博物館で「お水取り」の展示を見る。

二月堂縁起の絵巻 東大寺の縁起 
二月堂の修中練行衆日記には火事の記録が生々しく書かれていた。

法具や練行衆が着る紙子や上に重ねて着る重衣や袴、細かい布を縫い合わせた袈裟
紙子はすごく手間のかかったものとわかる。
木履(ぽっくり)韃靼帽なども目の前で見れた。
法螺貝も大きいものの他、個人が持つ荒貝という小さなものがあること。
修行中の食事の献立。
法具や道具いろいろ。
荒行 五体投地が行われる板。実際には見れないが膝を激しく打ち付けるらしい。
・・・と、いろいろ予習が出来た。


さて、午後からは奈良を巡る。
知らないところもたくさんあった。


「威徳井 井戸跡」聞いたこともなかった。押上会館敷地内にある小さい井戸跡だった。

中門跡から二月堂の方に向かう。
東大寺塔頭の1つ 龍松院
 
塀から使用済み松明?が覗いていた。            かわいい注連縄


      瓦土塀が美しい。

 
二月堂近く。 後でこのあたりからお松明を見よう。
        右)奈良時代に創建された大湯屋という建物。蒸し風呂のようなものだったらしい。
僧侶だけではなく、一般の人も入れたとか。
「湯屋で着る浴衣を包んだ布が風呂敷です」へえ~、そうだったのか。

東大寺 鐘楼

大釣鐘も鐘楼も国宝 釣鐘は国内最大級らしい。
まともに?衝くと響きすぎるので、衝木が当たる部分をずらしてあるとか・・
普段は午後8時のみ。 お水取り期間中は午前1時と午後7時に打つという。

東大寺開山堂の「糊こぼし」 
白毫寺の五色椿 伝香寺の武士椿(もののふつばき)と共に「奈良の三大名椿」の1つ、
 
    境内は入れないので外から覗き見     そばの水盤に浮かべてくれてある。

閼伽井(若狭井)
 
3月12日(13日深夜1時過ぎ)この井戸から本尊十一面観音菩薩にお供えするお香水を汲む行事が行われる。このことから修二会のことを「お水取り」という。
 右)この閼伽井にまつわる話の中に出てくる ウ(鵜)が屋根の4隅に取り付けられている。

手向山八幡宮

 
奈良時代 聖武天皇が大仏造営をされた時、宇佐から勧請されて以来、東大寺を鎮守

 
オガタマ 樹下の苔の上に基部に紅をさした小さい花弁がたくさん散っていた。


お松明用の根付きの竹 修二会が始まる3月1日~14日まで、12日を除いて毎日10本のお松明が上がる。必要な竹の数も大変なものだ。12日は大松明 ひときわ大きい籠松明が11本に上がる。 
竹が足りないらしい・・の声も。準備も大変だ。


まんなおし地蔵尊 
運の悪さを直してくれるというお地蔵さま こんなところまで初めて来た。
1円を供えて、供えてある1円を持ちかえるといいとのことだが??
近くには西国33か所めぐりがあるらしい。
 
あちこちでイヌガシの花が見られた。総苞の中にいくつかの小花 雄しべの形も変わっているが細かくてよく見えない。イヌガシは雌雄異株で、これは雄花かと思ったが、白い雌しべのようなものも見える。帰って調べたら「雄花にも雌しべはあるが、結実しない」とのことだが、これはどちらだろうか?

 
二月堂 回廊をまわって下を見る。 広い芝生はお松明を見る1等席 誰もが入れるのではないが、友だちの紹介で一度中へ入れてもらったことがある。 
中央の木が東大寺を開山した良弁(ろうべん)僧正ゆかりの「良弁杉」写真では上が途切れている。


お松明の先の「杉葉の燃え残り」災難よけのおまじないらしいので1ついただいて帰る。
長谷寺の「だだおし」の時にいただいた松明の木のかけらと共に、飾り棚の上へ。


なんという建物なのか?御手洗? この建物の上部に良弁僧正の物語を刻んだ彫刻があるというのを教えてもらった。
良弁は2歳のころワシにさらわれ、春日神社の杉に捨てられたのを助けられ、義淵僧正に育てられ、後に母とも再会したという。
 
 
     一面には「ワシ」     「良弁と義淵 母親らしい人物」が彫られた面

義淵は岡寺(竜蓋寺(りゅうがいじ))を開いた僧

 
         アセビが満開               サンシュユも満開

大仏殿へ。
今日は奈良の史跡を見、自然にも触れ、ムササビを見て、お水取りのお松明も見ようという欲張りスケジュール。

大仏殿近くでしばらくムササビを待ったが、お松明が始まりそうで、引き上げる。

先ほど見た場所から開始の7時の鐘の音を待つ。
鐘の音は思ったよりも小さかった。

小雨が降り始めた。
火のついた松明が向こうの端に見え隠れし、やがて近くの角に来て、しばしとどまって松明を燃やした後、ゆすって火の粉を散らす。

 
   遠くからではあったが迫力があった。          すごい火の粉

遅くなるので、松明を6本ぐらい見てから帰った。
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3月7日 小学2年生と交流

2016年03月07日 | Weblog
小学2年生と交流授業

45人がやってきた。


カクレミノやタラヨウの葉の観察の後、「葉っぱじゃんけん」 「タラヨウのハガキ」のプログラム

「ママ大好き」「またスキーに連れて行ってね」こんなお手紙をもらったら母親冥利に尽きますね。
短時間だが、子供たちに元気をもらった。
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3月6日 裸子植物 実習

2016年03月06日 | Weblog
午前中、外で葉のつき方や球果や果実を観察して、午後は採集してきたものを観察。
今まで深く観察していなかったのでいい勉強になった。

 
ソテツ 実(種子)も雄花もなかったが、前に実が付いていたのを見たことがあるので雌株と思う。種子は毎年はつかないらしい。 
          右)幹の葉痕は螺線を描く。葉は複葉で茎頂に固まって付くが互生。

カナリーヤシの葉痕 葉は互生で螺線配列 21枚目で最初の葉と同じ位置に2枚目の葉がつく。

 
カイヅカイブキ 枝全体が葉で覆われる。 十字対生の葉と3輪生の葉の2種類の葉が出る。
  右)ヒノキの枝と球果 葉のつき方も球果の鱗も対生


ヒマラヤスギ 球果から外れた種子から根を出していた。

 
       セコイア 常緑      ウォレミマツ 生きている化石 ジュラシックツリー

裸子植物のなかには針葉樹らしくない葉のもの、球果にならないものもある。
 
ナギやイヌマキ 葉は針葉樹らしくなく、実は果実のようで、裸子植物らしくないが裸子植物。


 コウヤマキ  まつぼっくりのような球果をつける。


ハンノキ 球果に似るが球果ではなく果序 中からこぼれたものは柱頭がつく果実。
だからこれは裸子植物ではなく、被子植物

午後は球果の「苞鱗 種鱗 種子」 のつき方などを観察して確認
「苞鱗 種鱗 種子」のセットは「種鱗複合体」このいい方は初めて聞いた。
今まで「鱗片」と言っていたが種子も入るので、このいい方をするらしい。


ヒマラヤスギの「種鱗複合体」 目立つのは種鱗 苞鱗は成長とともに萎縮する。

 
     コウヨウザン 目立つのは苞鱗      腹面に種鱗 目立たない。


 モミの「種鱗複合体」 苞鱗と種鱗は離れている。
メタセコイアのように苞鱗と種鱗が合体しているものもある。
スギは種鱗がトゲ状になっている。

苞鱗が目立つもの、種鱗が目立つもの。苞鱗と種鱗が離れているもの、完全合体しているもの。苞鱗が尖っているもの・・木にによってさまざま。
わかったようでややこしい。    書き間違いそう・・気が付いた方、お知らせを!
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3月3日 山の辺の道 柳本~巻向 

2016年03月03日 | Weblog
柳本駅から山の辺の道へ。


        ウメは満開

 
       野道のタネツケバナも満開

 
長岳寺 門前に勧請縄が張られていた。
タケのスダレ?のようなものが吊るされていた。
その地域によって縄に付けるものや藁の始末も違うのが面白い。

 
土がえぐられて根上りになっている。見えている根はもはや根というよりも幹のように太く、木を支えている姿が頼もしくも見え、必死で支えている姿が涙ぐましくも見える。
               右)土の部分に開いた無数の小さい穴 これは何だろう?


菜の花にハチの仲間が吸蜜に来ていた。

 
        道端のお地蔵さま         念仏寺 大きいソテツがあった。

竹之内の環濠の名残を見てからみんなと分かれ、下る。
  
      大和神社(おおやまとじんじゃ)      「龍の木」なるものがあった。
見上げたら、見覚えのある「ヘタ」が見えた。龍の化身の木だとか。

 
山の辺の道では花は見られなかったウサギアオイ。大和神社の森を出たところに群落があり、花も咲いていた。
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3月1日 宇治 恵心院・宇治上神社~

2016年03月01日 | Weblog
源氏物語の舞台になった宇治市周辺を散策
ああ前に通ったことがあるなあと思う所もあったが、ずいぶん前のこと。

源氏物語ミュージアム 
源氏物語ゆかりの植物が植えられているという庭園を通り抜ける。

宇治上神社 世界文化遺産
祭神は 菟道稚郎子命 (うじのわきいらつこのみこと)・応神天皇・仁徳天皇
 
本殿は平安後期「現存最古の神社建築」国宝
  右)境内に湧きだす「桐原水」かつてあった「宇治7名水」も現存するのはここのみ。

 
      宇治市名木百選 ケヤキ  
         右)クチナシには見たことがないほどたくさんの果実が出来ていた。

近くにある宇治神社は宇治上神社と対をなす。

 
             本殿               変わったスタイルの狛犬

宇治川に出る。

あまりの激流にビックリ。いつもこんなんだろうか? 上流のダムからの放水?

朝日山恵心院

          恵心院 山門  
花の寺といわれるらしい。境内にはたくさんの花木がうえられていた。
 
        満開のカワヅザクラ            ウンナンオウバイ    

 
     キブシがもう咲きそう。                  カンアヤメ  

 
ツバキも多い。  やさしいピンクの太郎冠者        白い覆輪 玉之浦

再び宇治川沿い。
 
川沿いのエノキにヤドリギが実をいっぱいつけていた。   京都名木百選 モミの群生

お弁当を食べて天ケ瀬つり橋を渡る。

途中から「もみじ谷」コースへ。

 
           いい道だ。ゆっくり歩きたい。 

白山神社に出た。疱瘡治癒を願って創建されたとか。
 
      桧皮葺の拝殿は重文      ゴヨウマツ まつぼっくりが落ちていた。

ウメの咲く里へ抜けた。

ヤブツバキ・イロハカエデ・シイノキ・サザンカなどの京都名木百選に選定されている大木があった。

ここは四条院寛子(しじょういんかんし)が建てたといわれる「金色院」の跡地らしい。
先ほど通った白山神社は金色院の鎮守社だったとか。


山の中に四条院寛子の供養塔がひっそりと建っていた。


又宇治川のほとりへ。この辺は流れも緩やかで、キンクロハジロやホシハジロ、マガモなどがゆったり泳いでいた。オシドリがいたらよかったなあ。


        宇治橋あたりで解散となる。
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