CubとSRと

ただの日記

ぐうたら

2020年12月30日 | 日々の暮らし
 12月25日

 今日は何が届くわけでもないし、歯の治療があるわけでもない。ましてや、ゴミ集積場所の清掃当番があるわけでもない。
 早い話が出ようと思えばいつでも出られた。が、ぐうたらしていた。

 それでも年末から年始にかけて、コーヒーは足りそうにない。
 じゃ、それを買いに行こう。用事ができた。
 ホームセンターに、カブの前カゴに掛けるネットを買いに行こう、とも思う。
 果物もなくなってしまったので、買っておきたい。なんだ。色々あるじゃないか。
 ならばホームセンターではなくて、業務用スーパーに行って果物を買い、続けて二階の100円ショップに行ってネットを買う?

 でも、100円ショップのネットは長持ちしないし、なあ。現に延びてしまった今のネット、まだ買って2年くらいだろ?
 え?「100円で2年なら、文句言うな」?
 でも、同じく100円の時計、カブに貼り付けてるけど、問題なしに2年以上動いてる。どちらもシナ製。まあ、はるかに高いホームセンターのネットもシナ製なんだろうけど。

 「とりあえず、ブログ書いとこうか」、とやっていたら日が暮れた。

 明日はさほど寒くはないみたいだから出るか?と思ったが、カレンダーを見たら歯医者に行く日だった。それも2時から。
 こうなると午前中に用事を済ませなきゃ。コーヒーはやっぱり週明けか。

 今日、何もしなかった言い訳用に素振りを200回。
 夕食は先日の買い出しでまさかの菜の花があったので、竹輪と豚肉と一緒に炒める。牛蒡のきんぴらの残りと茶碗一杯の御飯。念のために四合ほど御飯を炊く。足りないと思ってご飯を改めて炊いてたりしたら、折角の楽しい食事時間が台なしだ。
 それでも調子に乗って食べ過ぎないように、と炊き上がったご飯はいつも通り茶碗一杯ずつに分けて盛り、全部にラップをかける。こうしておけば「もうちょっと」と思った時には茶碗に山盛り一杯の御飯を食べなければならなくなる。自然、「じゃ、やめとこうか」、となる。

 はたして「もうちょっと」、となった。しかし五分くらい間を空けたら、後から満腹感がやってきた。
 食べてたら今頃「食い過ぎたぁ~」と自己嫌悪に駆られながら胃腸薬を服んでいたことだろう。
 
 他の物事に振り回されている時は充実しているような気がするけれど、考えてみれば、ただ単に「振り回されている(=主体性ゼロ)」だけで、充実しているわけではないんだよな。
 振り回されていることに気付き、意識して「振り回されよう」としたら、その瞬間から主体的になって「充実云々」なんて考えもしなくなる。
 言い訳のための素振りをしている瞬間が、主体性そのものになっているのがいい例だろう。
 
 
 
 
 

 
 
 
コメント
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