11月29日
8時前に起きて、9時半に朝食を摂って。
昼過ぎて、買い物に出る。買い物袋をカブの前かごに入れ、リュックを背負って出発。
北へ30キロ弱、行くと道の駅がある。
白菜とピーマン(大きめの袋に入った小さい奴。二袋)をリュックに入れたら、それだけでリュックは一杯になった。
今度は10キロほど南下する。
そこの道の駅では春菊・茄子等を買い、今度はカブの前かごに入れる。
最後にいつも行くドラッグストアーで歯間ブラシ等。
2年ほど前には、カブでこれだけの距離を走り回るようになる、なんて思いもしなかった。
お調子者、と言われればそれまでだけれど、小説「スーパーカブ」の影響、大。礼子の言葉「何処でも行けるわよ。だってカブだもん。」
GB250で陸路鹿児島の最南端まで行った。「モトトレール」やフェリーでも、GB、SRで何度も北海道まで行った。
けど、カブで行こうなんて考えもしなかった。北海道では、カブでツーリング中という人に何度も遭ったけど、「大変だろうな」とか「アドベンチャーだなぁ」と思う程度だった。そして、単純に「あの排気量じゃ、距離稼げないから。時間がないと無理だな」と。
レースのことは分からない。大体、運動神経が鈍いから運転技術の向上よりも仕事の合間に時間の都合をつけ、短時日でもツーリングをする、それが楽しみだった。「ゆっくり走る楽しさ」、なんて気が回らなかった。とにかく長い時間バイクに乗っていたかった。
それがここに来て「時間はいくらでもある隠居生活」に浸かってみると、逆に長時間はなかなか乗れなくなり、それよりも乗っている時間が、「より気持ちの良い時間」であることの方が大事になってきた。
それはカブでもSRでも可能なことなんだ。
二十年以上前に、SRと一緒に乗っていたセローを手放して、CB400SFを買った。単気筒ばかりに乗っていた者が、何を血迷ったか四発に手を出し、交互に通勤に使っていたものの、あまりの出来の良さに「美人は三日経ったら慣れる」じゃないけれど、SRと並べて置いていてもあまり楽しく思わなくなった。
で、転居を機に、買い物専用のカブ90に換えた。
買い物専用だから、20年で一万キロ。それが小説を読んですっかり影響されたか、翌年一年少々で同じく一万キロ。
「より気持ちの良い時間」、というのは、「どこで故障しても何とかなる」という安心感がより大きな担保になる。その意味でカブにかなうものはない。
だから
「何処でも行けるわよ。だってカブだもん。」