CubとSRと

ただの日記

詰めが大事

2020年12月07日 | 日々の暮らし
 11月28日

 初めて「段取り八分 作業が二分」と聞いた時は「なるほどなあ」と思った。
 いつも、「ただその場の思い付き」で行動してたから、失敗はたくさん経験していて、でも反省なんかしないで、「失敗するのは己の能力のなさ」、とあっさりと得心する。
 そこまでは良いけれど、その先が「所詮才能のない奴が何やったって・・・」となり、いじけてオシマイ。そして別の何かに目移りがして、そっちに夢中になり、また失敗して「所詮才能のない奴が・・・・」。

 いったい何度そんなことを繰り返してきただろうか。
 でも、そんなことばかりじゃなくって、大小・軽重関係なしに「その場の思い付き」で失敗したことを、その場ですぐやり直すことができるなら、「その場でもう一度」やってみりゃいいじゃないか。
 その場では無理なら数分後、それができなければ数時間後、数日後、数年後だって良い。少なくとも「もう一度」やってみる。
 もう一度やれば「あともう一度やってみようか」という気になってくる。(ただ、それを焦って短時日でやろうとすると、沼に嵌るけど。賭け事やゲームみたいに。)

 ・・・・なんてことを言って、なかなかそれをやらずにいた。
 気が付いたら六十半ばが過ぎた爺さんになっていた。
 やらなかったから、できなかったんだ。やってもできない。それは分かっている。でも、一度でもやろうとしたら、同じ「出来ない」ことでも確実に進んでいる。やろうとしなければ進むことは金輪際、ない。「宝くじは買わなきゃ当たらない」「プディングの味は食べてみれば分かる(?これは違う、か)」

 ということで(?)10時半ごろになって朝食の用意。
 ちょっと考えてパリジャンを4分の一だけ温めて、レタス・目玉焼き・ベーコン等を挟んでフランスパンのサンドイッチを作ろうとした。

 そのままじゃ大き過ぎるから適当に切って皿に盛って、と思った。
 「適当に切って~」。フランスパンは食パンより硬い。食パンと違って中にできる気泡が独自に存在を主張している。バターを塗ればとんでもないことになる。いくらあっても足りない。
 マスタードを塗ろうとしても同じことだ。それでも何とか塗ったパンの上にレタスを並べ、焼いたベーコンを置き、目玉焼きの上からレタスとパンを載せ、軽く押さえる。それらしい形になった。
 
 切ろうとした。硬いパンは刃を寄せ付けず、ただ、沈み込む。
 それでも切ろうとした。3センチ幅くらいに三つほど切った時、サンドイッチは崩れようとした。
 それを四角の皿に移そうとしたら、遂に崩壊した。
 30センチ角の大皿に、そのパンと具の山を築いて、当然、こうなったら手づかみで食べられないから、左手にパン、右手に箸、のメンドクサイ恰好での朝食、となる。
 我ながら「あの手間暇かけた作業は何だったんだ」と、笑うしかない。

 ただ、途中で気が付いた。この間まで見ていた深夜ドラマ「女子グルメバーガー部」。あのタワーみたいなハンバーガーの具材を載せていく時の慎重な手つきと、タワー崩壊を防ぐために最後に打たれる串。あいつを使えばいいじゃないか。
 「そんなものは・・・ない!」いや、ある。竹串、持ってたんだ。

 パンの残り半分に三ヶ所ほど串を打って、それから切ってみた。当たり前だが今度はまともな形のまま皿にのせることができた。
 バラック街と高層マンションの模型図みたいな皿の上だが、食べるのはこれはこれで楽しい。

 こんなことだって、面白がって「詰めが大事だ」「段取り八分だ」と反省していれば、段々にもっと大変な、時間のかかることだってできるようになる(・・・かもしれない)。

コメント
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