東大名誉教授の平川祐弘氏の連載なんですが、これ、「月刊Hanada7月号」所載のもので、ほぼ半年前の物です。
何で今頃?と思われるでしょうが、そうです、ご推察の通り、今頃になってやっと読んだから。
でも、内容的に時節は関係ありませんから、はい。良いものは良い、ということで、数回、部分転載します。
今回は比較研究者の一番の武器ともいえる「言語」の見方について。
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「日本語は敵性言語か」
日本語が、日本列島だけでなく、広く世界に通じる言語であるなら、米国人がフィリピンに英語を普及させたことが恨まれず感謝されるように、朝鮮における日本語教育も感謝されたかもしれない。
政治抜きでいえば、人間、幼年時代に母語と共に母語以外の言葉を習うのは悪いことではない。子供と共に渡来した親は日本人でも韓国人でも、子供が英語が上手になることを喜んでいる。それは自由な環境で自由意思で学ぶからだともいえるが。
だがそうでなくとも、たとえ政治的隷属を強要された支配下であろうとも、母語以外の言葉を習うことにはポジティブな意味がある。
インド独立の志士ネルーは英国のインド支配を憎んだが、英語を学びケンブリッジ大へ進んだことを誇りにしている。
台湾の李登輝総統は台北高校や京大で学んだことを誇りにしている。実を言えば、日本の統治下で日本系の大学で学んだ韓国の人々は、いや北朝鮮の人々も、それを誇りにしていた。敗戦後の日本人が米軍占領下で一斉に英語を学びだしたのと同じで、人間役に立つと思えば支配者の言葉も習う。それは朝鮮半島でも台湾でも似ていた。日本語の学習は強制されたというが、家族や本人の内面的な自発性なしには、日本の敗戦を十歳で迎えた半島の少年が、「はやぶさ」の言葉までは覚えなかったろう。
しかし近頃はそうは考えない。京城帝大卒を誇りにしたような世代は親日派ではないかと疑惑の目で見られる。韓国のフランス文学者の中には、先輩たちが日本製の仏和辞書でフランス語を習ったと聞くと、不潔な文化に汚染したかのように顔をしかめる人もいるだろう。
だが当人は知るまいが、韓国でいま使われている仏韓辞典そのものも、最初は大修館の仏和辞典の和の部分を削って、それに鄭明煥教授らが韓国語の訳語を当てることで出来たのだ。恥ずべきことではない。
日本の最初の英和辞書は、堀達之助が、ピカードの英蘭辞書の英=蘭の部の見出し語を利用し、そのオランダ語の部分を削って、それに蘭和辞典『ヅーフ・ハルマ』の和訳語を当てたのである。他国の辞書を利用するのはよく見られる現象だ。
英漢辞書も最初は三省堂の『コンサイス英和辞典』の和の部分を漢語に置き換えることで誕生した。
しかしきちんとした韓日辞書がまだなかったころに、逆に金素雲のような韓日両語を使いこなす大家は出た。私も日本にまだよい伊和辞典がなかったころ、ラルスの伊仏辞書を使ってイタリア語を習得した。それは私の一石二鳥の外国語学習法でもあった。
「一比較研究者の自伝」
34回 二本足の学者
「月刊Hanada7月号」より
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>日本語が~~広く世界に通じる言語であるなら、米国人がフィリピンに英語を普及させたことが恨まれず感謝されるように、朝鮮における日本語教育も感謝されたかもしれない。
「何てことを!」と、国粋主義者ではなくても「自国の言葉を辺境の地の言葉みたいに!けしからん」と思いません?
でも、冷静に考えてみれば、どういう経緯からであっても、現実にその言語を使わなければ生きていけない社会体制が作られてしまったからには、ただ「怪しからん!」と怒っていてもどうにもならない。あの戦争に勝って「大東亜共栄圏」の思想が今に生きていれば、日本語が「~~広く世界に通じる言語」になっていたでしょうけどね。
けれど、「その言語を使わなければ生きていけない社会体制」はもはや容易には作れない。植民地思想は勿論のこと、テロや武力による革命はもはや世界的に否定されるようになっている。
「大東亜共栄圏」の思想は欧米諸国から自分らと同じ植民地思想だと決めつけられているけど、間違いなくアジア各国の自主独立を進めた。結果、外見的にはもはやアジアに欧米の植民地はない。
植民地ではないから日本共産党も存在できるわけだし、その共産党も武力革命を行えるとはもはや思ってもいないだろうし。だから「立憲共産党」と言われて腹を立てているふりをして、いずれは立憲の二文字を消し去ろうと頑張っているわけだし・・・ん?
脱線したかな?