《新聞が「投書欄」を巧みに使っているのを御存知?》
少し前の朝日新聞に「押し付け憲法は真実ではない」と題した投書が載った。
「戦後、右から左まで新憲法をめぐり国民的な議論が沸騰した」「政府はGHQと共同で天皇制と民主化を模索し、議会も審議を尽くしたのが今の憲法なのだ」という。
「若い人はその経緯を肌で知っている世代の声に耳を傾けなさい」と。
あの時代を知る説得力ある意見に見えるが、投書者は中野区の「加藤某76歳」とある。数えてみれば当時、小学一年生でしかない。
同世代から言わせてもらうと当時の記憶は空腹と焼け跡とパンパン狩りから逃げるお姉さんが家に飛び込んできたことくらいだ。国民が憲法論議で沸いたなんて話は聞いたこともない。
どう書けば朝日新聞に載るかを心得た吉田清治タイプの人の筆か、投書欄デスクが自分で書いたか。相当に嘘っぽい。
大体あの憲法に国民は関知してなかった。終戦の年の10月、GHQが憲法を変えろと命じた。
ポツダム宣言を読め。お前らにそんな権利はないと日本側が拒否したら、即座にみんな追放されたか収監された。
しょうがない、松本烝治が翌年2月初めに試案を出した。しかしマッカーサーは一瞥もくれず、民政局のケーディスに「1週間で憲法を作れ」と命じた。
その際、彼は「軍隊を持たせない」「交戦権も認めない」「外敵からの自衛も認めない」とするマッカーサー・メモを渡した。
1990年代まで生きたケーディスは「自衛を認めないのは余りに非常識だから、独断で削った」と駒沢大教授の西修らに語っている。
かくて急ごしらえの米国製憲法は2月13日に首相幣原喜重郎に手渡された。その際、幣原は「2月22日の閣議で承認せよ」と命じられた。
その日は米初代大統領ジョージ・ワシントンの誕生日に当たる。日本を象徴する桜の木を切ったというエピソードを持つ男の誕生日に日本を切り倒す憲法を呑ませる。マッカーサーらしい陰険な悪意を感じさせた。
幣原は言われた通り22日の閣議で了承し、3月6日にその大要を公表した。国民の右から左まで新憲法を知ったのはその時が初めてだった。
おまけにマッカーサーは新憲法にGHQが関与したことを一切報道しないよう命じていた。習近平も驚嘆するくらい言論の自由の欠片もない時代だった。
(続く)
高山正之著
変見自在
「朝日は今日も腹黒い」より
新潮文庫
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「戦争のことを何も知らないくせに!」と、戦争や平和について口にする若者を叱る大人に対して「だからこそ、平和な世界を追い求めるんだ」と「反論」した子供たち。
けれど、「知っている」という大人だって戦争を体験したのは子供の頃なわけで。石井ふく子の「女たちの忠臣蔵」を見れば全く何も分かってはいないということが分かる。