CubとSRと

ただの日記

「一比較研究者の自伝」より  ➃

2021年11月21日 | 心の持ち様
 「相手を知り己を知る」

 歴史の真実を見分ける「眼識」はどうすれば養われるのか。朝鮮半島と台湾の違いについてふれたい。私は華人の学生は留学生や大陸だけでなくシンガポールや台湾でも教えた。
 日本とシナといおうか、我国と漢民族の関係も様々な視角から眺めると、日本の大新聞の社説で正解と目されているのとは違った歴史も見えてくる。~~
     (略)
 ~~一九八五年、台湾へ教えに出かけた。~~台北で日本語を教えていた大学は当時は僅か四つで、台湾人創設の私立大学のみだった。蒋介石軍は日本が創った国立学校を掌握した。
 旧宗主国の影響を排除したい。国立には日本語系の学科はない。実は私も私立大学で、表向きは東方語名義で教えた。共通一次の成績で学生は私大入学も割当てられる。教室へ出て初めて東方語が日本語と知った者もいた。


  「一比較研究者の自伝」
 34回 二本足の学者
   東大名誉教授 平川祐弘

  「月刊Hanada7月号」より

 ・・・・・・・・・・・・・・

 今回は短いですが、手抜きではありません。
 朝6時でなく、今頃(現在、正午過ぎ)になって更新 するというのも決して怠けていたからではない。朝、7時半には朝食を摂り、片付けをして・・・。
 何で今頃になったのかな?
 何となく分かってるんだけれど、気付かないようにしている、半ば無意識に目を合わせないようにしている、ってこと、ありませんか?
 今回の転載はちょっとそれに似ている。
 一九八五年、中華民国の国立大学には日本語系の学科はなかった。
 戦争に敗れ、清国から割譲された台湾を放棄させられたのが一九四五年とすると、四十年間、日本経由の日本語を用いる学問は国の正統な学問ではなかった、ということになります。
 「東方語」。「東方の言葉」だから。半島国が日本海を「東海」、というのと同じ「中華思想」。
 何とも安直で曖昧な名前で日本語が称され続けた結果、「日本に捨てられた」という恨みから「犬去って豚来たる」と初めは言っていた、日本に対する興味、関心は薄れていきます。

 人気商売でなくとも「好かれるのが一番だ。嫌われることもある。それもまあ良い。無関心が一番怖い」。
 二十近い山地民族(海辺の民族もいるけど)と、大陸からやってきた人々は言葉が通じなかった。それどころか山地民族同士が言葉が通じない。日本語が共通語になったのは当然のことでしょう。そこに他人のことには無頓着な漢民族がやってきて支配をする。
コメント
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