11月11日(木)
出るつもりだったが、今日も一日降ったりやんだり。
出なくて良かったと思ったけれど、良いような悪いような。今日は一日隣地の棟上げ。
二軒並ぶ予定のこちら側が一日で屋根まで上げられた。
昔なら棟上げをしてそれから屋根を組んで土を布き瓦を布いて(瓦も「葺く」、というのかな?「瓦葺き」って言葉があるから)、と、棟上げまでにも相当な日数がかかり、棟上げ後もちゃんとした形になるにはそれなりの時間がかかったものだが、今回の流れを見ると土台や配管工事が終わった二、三日後にはたった一日で二階建ての家が一軒「組み上がる」。以前見たツーバイフォー工法よりさらに短縮されて、三日かかっていたところがたったの一日だ。
少々困ったことがある。当然予想できたことではあったが、それにしても従来と違って色々決まりが変わったらしく、敷地面積の3分の2一杯に家が建てられるらしい。残り3分の1は駐車スペースだから、完璧な有効活用。駐車スペースに被るようにベランダまでついている。
駄目押しに、それぞれの家は鏡に映したような同じ形で、総二階。以前にあった家以上に境界ギリギリまで建てられるので、東側の窓は朝日を遮断され、以前以上に玄関周辺が薄暗くなることは間違いない。
一日、建材同士を槌を使って組み上げる大きな音が続いて、一軒目の形が出来上がった。ということは、明日は向こう側の家が組み上げられるということで、今日と同じく日が暮れるまで「建設の槌音高く」、作業が続くことだろう。
明日は雨の心配はないみたいだから、できるだけ家に居ないようにした方が良いかもしれない。まあ一軒向こうなわけだから、今日よりは静かだろうけど。
敷地の崩壊から始まって、まだまだ色々あるだろうけど、家を建てるってのは他人に迷惑をかけることを目的としているわけじゃない。施主が一所懸命になって幸せを手に入れようとする目的の、より具体的な行動が「家を建てる」ということだ。
幸せ(家を持つ)を手に入れようとすることを、周囲は以前に自分がそうしてもらったように、今度は応援すべきだろう。それが世間だ。
ということで、自他の幸不幸は裏腹なんだから、迷惑に感じる者がある一方で、幸せを手に入れる者があって、と言うことはプラスマイナスゼロ。「世は全て事もなし」、ということになるか。
瀬戸内晴美が死んだらしい。99歳。あれだけ好き放題して、言いたい放題を貫き、ここまで寝たきりになるような大病もせず、元気一杯で生き抜いた。
まさに「憎まれっ子、世に憚る」だな、と思ったが、いやいや、氏の信者は氏を嫌う人の数倍、数十倍はいただろう。
ならば、氏にとっても世間(信者)にとっても素晴らしい一生だった、ということになるか。
繰り返すけど「迷惑に感じる者がある一方で、幸せを手に入れる者があって」、やっぱりこれもプラスマイナスゼロ?