「西洋の植民地支配は良いのか」
教育、生活、経済面で善政を布いたとしても、植民地化は、植民者という一級市民と被植民者という二級市民を生み出すがゆえに、悪である。
しかしそうと認めない国もある。チベット支配を続ける中国は王道楽土を建設中と言い張る。サッチャー英国首相は一九八八年、「西洋人が世界の多くの土地を植民地化したのは、すばらしい勇気と才覚の物語でした」と肯定した。コータッツィ大使も「白人の責務」という発想を支持した。
世間には、西洋の植民地支配は肯定するが、日本のそれは非難する者がいる。偏した見方だ。ライシャワーはかつて広く読まれた東アジア歴史教科書で、日本の台湾統治を否定的に記述した。それは第二次世界大戦中の反日プロパガンダの名残の歴史観で、台湾の歴史的現実に必ずしもそぐわない。
そんな歴史教育を受けた米国人は、現地で「台湾人は日本が大好きだぜ」と驚く。
問題は日本が台湾統治に成功したことだ。実はそれが朝鮮における失敗となった。
化外の地の台湾と違って朝鮮は一つの文明の国である。その朝鮮全体を奪うことは朝鮮民族の誇りをも奪うことになったからである。歴史の真実はそんな相違を見分ける眼識にある。日本植民地支配は悪いという「始めに結論ありき」のイデオロギー的史観に合うよう材料を恣意的に並べただけのNHKのテレビ番組があったが、安直な制作で、史実を歪めた。受信料を払うに値しない。
「一比較研究者の自伝」
34回 二本足の学者
東大名誉教授 平川祐弘
「月刊Hanada7月号」より
34回 二本足の学者
東大名誉教授 平川祐弘
「月刊Hanada7月号」より
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>植民地化は、植民者という一級市民と被植民者という二級市民を生み出すがゆえに、悪である。
「植民地化というのは、まずは『文明開化』を目的にするのだけれど、植民者がどこまで努めても、一級と二級という差別は消えない。だから悪」、と言うのは至極尤もな考え方だけれど、サッチャー英国首相は「西洋人が世界の多くの土地を植民地化したのは、すばらしい勇気と才覚」からだ、と肯定した。「植民地化は『悪』」という発想は欠片もない。ただ「未開の土人を助けてやった」と思っているだけだ。そこで命懸けで取り組んだ(勇気)から少しくらいは金儲け(才覚)したってかまわない、という考えから一歩も進んでいない。
「すばらしい勇気と才覚」は一体何を目的としていたのか。言うまでもなく前回に書かれてあった「キリスト教化と文明開化」のために勇気と才覚は活きた。そして「植民地化することによって、争いのない安心のできる生活を『与え』、魂を『救う』ことができた」。
慈悲の手を伸ばして蓮池の底でうごめく亡者を救うお釈迦様になっている。お釈迦様だから、同じ人間として「一級、二級」などという見方は、ない。何とも傲慢だと思うのだけれど・・・。
これが白人優越思想だと断言して良いだろう。