書評 BOOKREVIEW
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『美徳も度を超せば、悪徳に転化する』
外国がでっちあげたデララメ史観に日本はいつまで踊らされているのか
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藤岡信勝『国難の日本史(新装版)』(ビジネス社)
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自虐史観からの克服が、本書の基調にある。
国史ゆえに物語は伊弉諾伊弉冉から肇まるのは当然だが、紙幅の関係で、この稿では現代史最大の争点のひとつ、日支事変に絞る。
戦後の左翼史観の猖獗はまだ歴史学界にべっとりとした残滓がのこり、事変を『日中戦争』と呼ばせているが、宣戦布告を日本軍はしていない。あくまでも「事変」である。
そもそも盧溝橋に日本軍が居たのは義和団の乱以後の治安維持のためのPKOだった。事件当夜、日本軍は実弾を装備していなかった。
アメリカは戦後「太平洋戦争史観」を押しつけた。日本が命名した戦争は「大東亜戦争」であり、敵は英米だった。
ならば、と左翼は『アジア太平洋戦争』と呼ぼうと言った。松本健一は「大東亜・太平洋戦争」ならどうかと真顔で言っていた。「十五年戦争」と言い方もあるが、戦争は十四年でおわるから矛盾する。言葉の遊びでしかない。
あくまでも大東亜戦争と呼びたいが、それが論壇で受け入れられないのなら最後まで「第二次世界大戦」で通したのは上山春平だった。
「戦争の呼称には、その國の国民のアイデンティティがかかわってくる」(210p)と本書では大事な指摘がある。
GHQが「太平洋戦争」と呼び変え、それを押しつけた。何しろ「憲法」も押しつけたのだから、日本の歴史の抹殺を狙っていたのは明らかである。
これらをいかに克服するか、それが「あたらしい歴史教科書をつくる会」の運動となった。
1935年にコミンテルンの第七回世界大会が開催され、アジアにおける国際共産主義の謀略が開始される。翌36年には西安事件がおこり、蒋介石は抗日戦争に力点を注ぐように路線転換、つまり中国共産党は壊滅寸前だったのに張学良の短慮の所為で生き残った。
蒋介石の抗日への転換は、コミンテルンにしかけられた謀略の結果であり、そして翌年に盧溝橋事件。日本を戦争に巻き込むのである。
「コミンテルンは日本軍と国民党軍を戦わせ、両者をともに疲弊させ、弱体化させることによって、中国共産党に漁夫の利を得させようと考えたからです。そうしてアジア全域を共産化しようという遠大な基本戦略を描いていた」(226p)。
日本は懸命な和平努力を積み重ね、戦争を回避する方向にあったが、共産党はなんとしても日本を戦争にひきづりこみたい。残虐きわまりない通州事件をひきおこし、日本人居留民二百数十名を虐殺し、日本国民を激昂させた。しかしなお日本は和平への道を探っていた。
まさしく「美徳も度を超せば、悪徳に転化する」のである。
本格的に日支事変が始まるのは、1937年8月13日、上海での出来事だった。海軍陸戦隊わずか2200名、ここに五万の国民党軍が襲いかかった。しかも国民党は「日本軍が攻撃を仕掛けてきた」と外国人記者に説明したが、すぐにデマとバレた。外国人租界にも蒋介石軍は爆撃をしかけ三千六百を死傷させたが、その犠牲者の中にはライシャワーの実兄も居た。
応援隊を含めても日本軍は少数。それが10倍の敵戦力と闘い、二ヶ月にわたった戦闘で蒋介石は日本軍に勝てないことを知り、以後、宣伝戦争を仕掛けるのである。外国人記者やスパイを駆使し、南京大虐殺などをでっちあげ、英米の支援をまんまと獲得した。
このパターンを、ロシアとウクライナ戦争に掛け合わせていくと、宣伝戦争でロシアをはるかにしのぐゼレンスキー大統領側に、欧米から250社もの戦争広告代理店の活躍があること、いずれ「虐殺」「学校、病院爆撃」などの真相は明らかになるだろうが、現在のロシアウクライナの背後で英米欧がいかなる謀略を仕掛けているのかも、日支事変におけるコミンテルン、蒋介石と外国人記者団、宣伝戦争のパターンを考慮に入れて再評価しておくべきだろう。
「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和四年(2022)8月2日(火曜日)
通巻第7420号 より
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味方が多くなれば勝つ。味方は見方で変わる。
情報戦はそのために使われる。「嘘も百回吐けば真実に」はその最たるものだろう。ウクライナの全てが正しいわけではないし、ロシアの全てが間違っているわけでもない。それでも社会と社会のぶつかり合いである以上、戦争はどっちが正しいか決めなければ終わらない。そして、鵺のような「情報戦」がそのカギとなる。
つまり、負けた国=悪い国というのはナンセンス。でなければ、日本は未来永劫悪い国ということになる。