CubとSRと

ただの日記

「鬼の首でも取ったように!」と思ってるんだろうな~。

2022年08月24日 | 日々の暮らし
 国会前での「安倍元総理国葬反対デモ」で、参加者の一人が「国葬止めろ」と書いたつもりが「国葬上めろ」と書いてしまった。

 「きっと急いで書いて間違えてしまったんだろうに。いつまでも鬼の首でも取ったようにしつこく言い間違い(書き間違い)を囃し立てて。ネトウヨはガキか!」って思っている人、多いんだと思う。
 さらに「あんな簡単な字、慌ててなきゃ間違えるはずないじゃない。それを『日本人じゃないんだろ』って言い過ぎだよ!」とか何とか。

 テレビではほとんど見られなかったから知らない人が多いかもしれない。
 逆に「知ってる」という人は、又聞きで「ね、酷いよね。うっかり字も間違えられない」なんて。

 でも、ネット見てると面白いものが見えることがあるんですよね。
 あのプラカード、裏側が映った写真があって、裏側にも驚くじゃありませんか、「国葬上めろ」って・・・・。

 つまり、あれ、慌てて書き間違えたんじゃない。気が付かずに書いている。
 勿論日本人じゃない。曲がりなりにも漢字を使っている大陸の人でもない。
 その先は書きませんけど。

 とにかく「鬼の首でも取ったように!」というのは間違い。
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共産党とカルト宗教

2022年08月24日 | 日々の暮らし
 とても能く似ている・・・ように思う。
 トップである委員長と、トップである教祖。どちらも一度就任すると、まず辞める(やめさせられる)ことはない。
 共産主義社会を実現させるために、或いは心の中に幸福な世界を建設させるために委員長は、教祖は、命を投げ出しているのだから、それ以上の指導者は存在しない。・・・・と考える。
 
 何しろ、どちらも現在は「まだ、ない」のだ。
 それを造るために委員長は、教祖は身命を賭して我々(構成分子、信者)のために日夜働いている。文句の言えよう筈がない。かくして志位委員長は・・・・。


 基本はこの辺りだが、それに加えて、信者に原罪意識を持たせる場合もある。
「日本は我々の地を植民地にした。その原罪を考えれば献金は我々の倍以上はして当然である」というのが統一教会らしい。たっての希望で併合したにもかかわらず「植民地化された」と捏造、それによって「原罪がある」と誤認させる。キリスト教の「原罪」を太平天国の神札以上に曲解する。

 でも、これは決して特殊な例ではない。宗の教えが低次ならば旧来のものであろうと新興のものであろうと似たり寄ったりの愚劣なものになる。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2016.02/28 (Sun)

 前回の、共産党に関する文の転載で思ったことなんですが。
 日本共産党、シナ共産党の文章に何だか共通するようなものがあるような気がする・・・・。

 ・・・・なんてことを書くと「そりゃ、共産党だもの」と言われて、はい、終わり、となりそうなんですが。
 ロシアの共産党はロシア語で書く。日本共産党は日本語、シナ共産党はシナ語。共産党の考えを書いたり喋ったりするのに自国語を使うのは当たり前。ましてや漢字を使う国なんだから、日本とシナ、共通するものがあって当たり前・・・?
 いやいや、全く同じってことはないでしょう。
 日本で「自動車」はシナでは「汽車」、「蒸気機関車」は「火車」、「路線バス」は「公共汽車」。なるほど、車はエンジン内の爆発的燃焼で走るんだから「汽」の字を使うんだし、「蒸気機関車」は「火」を焚いて走るから「火車」。正しい。日本なんかより、よっぽど筋が通ってる。 


 「けど、この共産党の使っている言葉は何だ!日本語と全く同じじゃないか!」
 ・・・・なんてことを言うまでもなく、これは「日本がマネした」んじゃなくって、あちらがそのまま訳語を用いただけです。パクった、という言い方はしませんよ、優れたものを認め、学ぶのは当然の事ですから。日本だって語彙の半分は漢語なんですからね。和語は4割弱。後は外来語。

 シナは西欧の概念や学術用語は全て日本が訳したものを使うしかなかった。自分らで訳語をつくる時間的な余裕なんて全くなかったし、勿論、そのための基礎的な知識もなかったから、これはしょうがない。少なくとも、この件に関しては「自分の力だ。自分で翻訳したんだ」、なんて大嘘を言って顰蹙を買うようなことはしていない。
 「人民」、「共和国」、「民主主義」、「共産主義思想」、「労働」etc・・・。日本で作られた翻訳語を用いて共産主義思想を説こうとすれば、両国の共産党の文章が何となく似てたって、それはしょうがない。


 ・・・・そうか、そういうことか。全く、と言っていいほど同じ語句を使っているんだから似ているのは当たり前ですよね、考えてみれば。
 でも、まだ引っ掛かる。まだ似通っているものがある。それももっと重要なことで。
 そうです、文調、語調です、テレビでよく見るシナ共産党の報道官の物言いです。あの男女の報道官の語調と、日本共産党のこの文調が基本的にそっくりなんです。
(だから、共産党なんだから、当たり前だろ!?)
 で、「何故『共産党だから当たり前』、なんだろう?」、と思ったわけです。
 共産党はどこの国でもあんな「激烈」な物言いをするのだろうか。

 余談ですが前回掲げた日本共産党の文章、或いは野坂参三氏の文章と、これまでに目にしてきたシナ共産党の文章、現在の報道官の文章等を見るとシナの方が明らかに荒々しく、ぎすぎすしています。厚み、深みはない上に虚仮脅しと言いたくなるくらい、(流石に漢字の国だからか)語句の選択は大仰だけれど、芯が感じられない。
 対する日本共産党の方は国民に説明しようという姿勢が見える分、荒々しさや威丈高に徹することができずにいる(ここまで余談です)。

 さて、荒々しさとか深み、は置いといて。
 「共産党だから似ている」ということの理由はこういうことじゃないか。
 共産党の文には共産党の「考え方」が示されているわけで、「共産党の考え方」自体は全く同じである筈です。それも実に分かり易い、言ってみれば「考え方」とも言えないくらい初歩的で単純な、公式のようなものでしかないんじゃないか。だから同じようになるしかないのではないか。

 マルクス主義では、今ある社会は「少数の搾取する側」と「大多数の搾取される側」とで成り立っていると考えます。
 だから、「大多数の搾取される側」が、「少数の搾取する側」を打倒することによって社会を破壊し、新しい社会をつくらねばならない。そして、「打倒する側から生まれた指導者」が新しい社会をつくる指導、運営するための指導をし続けなければならない。
 近代弁証法の「対立物の相対的独立」という法則を「批判的に」学び、「対立」の形を「憎しみの面(打倒すべきもの)」だけ、拡大して捉えた結果、対立する相手(=少数の搾取する側)は叩き潰すのみ、とした。
 本来なら対立物は相互に浸透して然るべきところを、相互に浸透することを拒否し、抹殺しようとする。対立物=悪、とした。

 ということになると、口を極めて罵倒し、全力で叩き潰そうとするのが正しい、ということになります。今ある社会を否定せねばならないのに、対立物として存在する「少数の搾取する側」はそれを邪魔する。
 そんな全否定するしかない相手とは、議論なんか成立しない。一方的に否定するしかない。

 そう思ってもう一度あの文章を見ると、長い文章ではあっても相手の立場を思いやって、
 「~と思っているのかもしれないが」というような部分は一切なく、
 「~は ~だから、打倒しなければならない」という定型の形になっていて、「~だから」の部分はただの修飾に過ぎない、なくてもいいようなものである、ということが見えてきます。初めに結論ありきというやつで、社会主義革命達成のために、とにかく何でもかんでも「打倒しなければならない」だけなのですから。

 結論は決まってるんだから、論理の展開などしなくても良い、ということですね、つまるところは。
 どうせ打倒すべき相手なんだから、説明したって意味はない。「易しく説き聞かせて理解させなければ」なんて、使命感も義務感もない、相手は「革命の成就を邪魔する存在」でしかないんだから。
 とにかく全否定です。「邪魔する奴は打倒する」のみ。単純明快、論理なんかない。そんな小難しいこと、「大多数の搾取される側」の者が分かる筈もない、だから指導者が常に「指導」する。「指導」し続ける。
 難解な翻訳語を多用するから聞いている方は何だか圧倒されて、でも、論理はなくいつも最後は「打倒!」、と結論は決まっているから分かりやすい(?)。自信に満ちたその物言いに若者は一発で心酔してしまう。

 これ、以前に書いた「『科学は宗教の如く』、『宗教は科学の如く』」と重なりそうです。そうか、共産主義は、やっぱり宗教だったんだ!!
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