さっきネットで見た動画に
「今の若者は、中華民国と中華人民共和国の違いを知らない者が多くなったんじゃないか。学校ではほとんど教えなくなったみたいだし」
とのコメントが流れて、そういえば確かに「日本史」となってからは、近代史は大正どまり、第一次大戦までさらっとやった程度、なんて聞いたような気もするな、と。
70年安保のことも知らないものが、朝鮮戦争前後の日本の悪戦苦闘振り、岸信介がA級戦犯とされたところから総理大臣として云々、なんて知るわけもない。
前に書いた日記の一部です。
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2022年07月23日
なぜ「国際勝共連合」の方向から説明しようとしないのか。
朝鮮戦争で米軍はchina共産党や、ソ連の教育を受けた北朝鮮軍と戦った。日本を占領統治中のGHQは、早い話が直接初めて「共産党軍」と戦うことになった。
そこで米国は、共産党軍がこれまであった既成の軍隊とは異質のものだと痛感することになる。考え方が全く違うからだ。
軍隊というのは国益を守り、追究するためにある。しかし共産党軍は「共産主義を実現する」ためにある。まずは「既成社会を破壊する」のが仕事、だから、戦い方にタブーは一切ない。守るべき「国」の概念がなく、実現されるべき共産主義社会は、まだない。存在しないものを創出するためにそこを「更地」にする。
国の「誇り」も「自負」もないから、「名誉心」なんてないし「共産主義思想のために死ぬ」、という考えも、実はない。まだ「理想である共産主義社会」は現実にはない、のだから。
あったとしたらそれは「共産主義のために~」ではなく「共産主義社会を実現させようとしている(現実の)指導者のために~」と解釈(統括)される。
そんな恐ろしい連中を、今後、実質の勝者である米国が御していかねばならない。
「敗戦国日本と、日本の統治下にあった(併合されていた)朝鮮半島に、米国と同じく、反共団体を作って活動させよう」。
というわけで、アメリカの肝煎りで、李承晩を大統領にしたのと同じように、文鮮明に「(国際)勝共連合」を作らせた。同じく岸信介に同様の団体を日本にも作らせるため、文鮮明の活動に便宜を図ってやるよう指示してくる。
だから、「国際」勝共連合は米・日・韓の「連合」ということだ。米国の指示で作られた共産主義思想の蔓延を防ぐことを目的に作られた団体だ。
岸信介が「アメリカのエージェント」となるのは当然のことで、でもそれは敗戦国の指導者として当然採るべき国復興の次善の策だった。
ところが「勝共連合」として「共産主義に勝利する」ための活動はまともに行われたとは言い難い。
李承晩が「アメリカの後ろ盾を得て、日本に対して何をしたか」、を思い出せば文鮮明が「アメリカの後ろ盾を得て、日本に対して何をしたか」、は容易に想像できる。
それでも書いておきたいのは、1970年、「70年安保(自動継続)」の前。
大阪万博や三島由紀夫の事件であまり人々の口の端に上らなくなったが、学生運動は続いており、共産主義革命にシンパシーを感じる日本人は今とは比較にならないほど多かった。
その時は、まだ「勝共連合」の名前は革命阻止の旗印の一つとして見られていたという事実だ。
朝鮮戦争で米軍はchina共産党や、ソ連の教育を受けた北朝鮮軍と戦った。日本を占領統治中のGHQは、早い話が直接初めて「共産党軍」と戦うことになった。
そこで米国は、共産党軍がこれまであった既成の軍隊とは異質のものだと痛感することになる。考え方が全く違うからだ。
軍隊というのは国益を守り、追究するためにある。しかし共産党軍は「共産主義を実現する」ためにある。まずは「既成社会を破壊する」のが仕事、だから、戦い方にタブーは一切ない。守るべき「国」の概念がなく、実現されるべき共産主義社会は、まだない。存在しないものを創出するためにそこを「更地」にする。
国の「誇り」も「自負」もないから、「名誉心」なんてないし「共産主義思想のために死ぬ」、という考えも、実はない。まだ「理想である共産主義社会」は現実にはない、のだから。
あったとしたらそれは「共産主義のために~」ではなく「共産主義社会を実現させようとしている(現実の)指導者のために~」と解釈(統括)される。
そんな恐ろしい連中を、今後、実質の勝者である米国が御していかねばならない。
「敗戦国日本と、日本の統治下にあった(併合されていた)朝鮮半島に、米国と同じく、反共団体を作って活動させよう」。
というわけで、アメリカの肝煎りで、李承晩を大統領にしたのと同じように、文鮮明に「(国際)勝共連合」を作らせた。同じく岸信介に同様の団体を日本にも作らせるため、文鮮明の活動に便宜を図ってやるよう指示してくる。
だから、「国際」勝共連合は米・日・韓の「連合」ということだ。米国の指示で作られた共産主義思想の蔓延を防ぐことを目的に作られた団体だ。
岸信介が「アメリカのエージェント」となるのは当然のことで、でもそれは敗戦国の指導者として当然採るべき国復興の次善の策だった。
ところが「勝共連合」として「共産主義に勝利する」ための活動はまともに行われたとは言い難い。
李承晩が「アメリカの後ろ盾を得て、日本に対して何をしたか」、を思い出せば文鮮明が「アメリカの後ろ盾を得て、日本に対して何をしたか」、は容易に想像できる。
それでも書いておきたいのは、1970年、「70年安保(自動継続)」の前。
大阪万博や三島由紀夫の事件であまり人々の口の端に上らなくなったが、学生運動は続いており、共産主義革命にシンパシーを感じる日本人は今とは比較にならないほど多かった。
その時は、まだ「勝共連合」の名前は革命阻止の旗印の一つとして見られていたという事実だ。
(「国際勝共連合」=「共産主義に勝利する連合」、の意味。「連合」とは、日・米・韓の三国を指す。)