5月9日(火)
5時前、目が覚める。寝たのが1時半近かったので3時間余りしか寝てないことになるのだが、しょうがない。身から出た錆だ。
二度寝するときっと7時を回る。
5時40分までにストレッチ等、済ませ、出る。帰ってきたのは、ちょうど30分後の6時10分。
炊飯を仕掛け、ブログを書いて朝食。ほうとう由来の味噌汁が終わる。
「イエローハット」に行き、なければ「サイクルワールド」。でなければ「2りんかん」。ついでに「バイクワールド」にも行ってみる。帰りには珈琲店へ。
・・・という予定だったが、大幅に変更。
イエローハットには「花咲かG」は置いてないだろうし、何しろ家に近い。
あったとしても、それじゃあすぐ用事が終わって面白くない。
というわけで、いきなりサイクルワールドへ行く。
・・・・「火曜日は定休日」の立て札と、当然バイクが一台も停まってない駐車場が眼前を支配する。
で、2りんかんへ行く。「花咲かG」はなかったが、ゴムの劣化防止剤があったので、車に使えるかどうか聞いて買う。
ついでにヘルメットシールドの曇り止めスプレー。
走っていたら、また目がおかしくなる。左目が上下二つに像を結ぶため、カーブでの遠近感が信用できない。
「疲れ目」という奴だろうが、いっそ度の入ったサングラスを止めたらおさまるかも、と思ったりする。
思っても実際にやることは、路上を走行中だから出来ない。
止まってからやれば?
止まったら何もなかったかのように(悪ふざけだったみたいに)その症状は消えてしまう。
そんなわけで珈琲店には寄らずに帰る。
別件。「今日の老人」
昨朝、散歩に出て折り返し点前の坂まで差し掛かった時、左股関節から左脚全体に一瞬、1メートルほどもある中国針(巨鍼と言う、のだそうだ)を打たれたかのような痛みと脱力感があった。(打たれたことはない。そんな気がするだけ。巨針は写真で見たことがある。そして打たれても実際は痛くないらしい。)
この脱力感、もう少し強ければその場にへたり込んでしまっていた筈だ。
その寸前だったらしく、痛みに「あっ」と思いながらも二、三歩進むことができて、その間に痛みに耐え、脱力を全集中で止めることができた。
さらに「良かったぁ~」と思って気が緩みかけた十数歩後、今度は右脚が痛む。
こっちは明らかに腰痛から。
こういう突然のことで、急に歩けなくなるのか。
覚束ない足取りで歩くようになってからでは遅い、と一念発起して運動を始めたとする。結果、相当数の人が、散歩からジョギング、ジョギングからランニングと体を鍛え直し、「だいぶマシになった」と思った辺りでもっと大きな故障を起こすのだろう、知らんけど。でも、理屈から言えば、そうなる。
対立物はせめぎ合い(対立しているわけだから)ながら相互浸透を起こし、質を向上させる。「ダメなものは駄目」と絶対否定をする(硬直化する)のではなく、否定をさらに否定するというやり方で昇華を目指し、上昇を続ける。
常に小さなせめぎ合いが繰り返されるのであって、その都度小さな不都合が起きる。大きな(良質とみられる)変化があれば同じく大きな不都合がある筈で、そこから目を背けると「大きな故障(不都合)」は手の付けられないような故障に・・・・。
日本式に言えば「好事、魔多し」。
消極的にやっていれば一瞬の思い切りがないから、「魔境」は過程に存在しない。反対に積極的に取り組めば思い切ることの連続だから、上昇する間(かん)は魔境だらけで、でもだからこそ向上できる。