CubとSRと

ただの日記

補修

2023年05月14日 | 日々の暮らし
 5月9日(火)

 5時前、目が覚める。寝たのが1時半近かったので3時間余りしか寝てないことになるのだが、しょうがない。身から出た錆だ。
 二度寝するときっと7時を回る。

 5時40分までにストレッチ等、済ませ、出る。帰ってきたのは、ちょうど30分後の6時10分。
 炊飯を仕掛け、ブログを書いて朝食。ほうとう由来の味噌汁が終わる。

 「イエローハット」に行き、なければ「サイクルワールド」。でなければ「2りんかん」。ついでに「バイクワールド」にも行ってみる。帰りには珈琲店へ。
 ・・・という予定だったが、大幅に変更。

 イエローハットには「花咲かG」は置いてないだろうし、何しろ家に近い。
 あったとしても、それじゃあすぐ用事が終わって面白くない。
 というわけで、いきなりサイクルワールドへ行く。

 ・・・・「火曜日は定休日」の立て札と、当然バイクが一台も停まってない駐車場が眼前を支配する。
 で、2りんかんへ行く。「花咲かG」はなかったが、ゴムの劣化防止剤があったので、車に使えるかどうか聞いて買う。
 ついでにヘルメットシールドの曇り止めスプレー。

 
 走っていたら、また目がおかしくなる。左目が上下二つに像を結ぶため、カーブでの遠近感が信用できない。
 「疲れ目」という奴だろうが、いっそ度の入ったサングラスを止めたらおさまるかも、と思ったりする。
 思っても実際にやることは、路上を走行中だから出来ない。
 止まってからやれば?
 止まったら何もなかったかのように(悪ふざけだったみたいに)その症状は消えてしまう。


 そんなわけで珈琲店には寄らずに帰る。


 別件。「今日の老人」
 昨朝、散歩に出て折り返し点前の坂まで差し掛かった時、左股関節から左脚全体に一瞬、1メートルほどもある中国針(巨鍼と言う、のだそうだ)を打たれたかのような痛みと脱力感があった。(打たれたことはない。そんな気がするだけ。巨針は写真で見たことがある。そして打たれても実際は痛くないらしい。)
 この脱力感、もう少し強ければその場にへたり込んでしまっていた筈だ。
 その寸前だったらしく、痛みに「あっ」と思いながらも二、三歩進むことができて、その間に痛みに耐え、脱力を全集中で止めることができた。

 さらに「良かったぁ~」と思って気が緩みかけた十数歩後、今度は右脚が痛む。
 こっちは明らかに腰痛から。
 こういう突然のことで、急に歩けなくなるのか。

 覚束ない足取りで歩くようになってからでは遅い、と一念発起して運動を始めたとする。結果、相当数の人が、散歩からジョギング、ジョギングからランニングと体を鍛え直し、「だいぶマシになった」と思った辺りでもっと大きな故障を起こすのだろう、知らんけど。でも、理屈から言えば、そうなる。

 対立物はせめぎ合い(対立しているわけだから)ながら相互浸透を起こし、質を向上させる。「ダメなものは駄目」と絶対否定をする(硬直化する)のではなく、否定をさらに否定するというやり方で昇華を目指し、上昇を続ける。
 常に小さなせめぎ合いが繰り返されるのであって、その都度小さな不都合が起きる。大きな(良質とみられる)変化があれば同じく大きな不都合がある筈で、そこから目を背けると「大きな故障(不都合)」は手の付けられないような故障に・・・・。

 日本式に言えば「好事、魔多し」。
 消極的にやっていれば一瞬の思い切りがないから、「魔境」は過程に存在しない。反対に積極的に取り組めば思い切ることの連続だから、上昇する間(かん)は魔境だらけで、でもだからこそ向上できる。
コメント
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