CubとSRと

ただの日記

今日はコペンで

2019年02月08日 | バイク 車 ツーリング
 明日、朝食べるパンは、ある。
 しかし、明後日、食べるパンはない。
 そういうことなら「パンがなけりゃケーキを」、じゃなかった、明後日はご飯を食べればいい。
 だが、御飯もない。いや、炊けばいいだけの話なんだけど。
 炊くのはめんどくさい。
 やっぱりパンを買いに行かなけりゃならないな。
 パンを買いに行くのとご飯を炊くのとどっちがめんどくさい?
 世間は「そりゃ買いに行く方だろ」、と言うのだろうな、普通。
 違うんだよねぇ~それが。
 どっちもめんどくさい。これが正解。
 「ね、お父さんとお母さんとどっちが好き?」
 と言うのと同じ愚問。
 どっちも好きだしどっちも嫌い。その時々の条件による。
 つまり、ホントは「めんどくさい」んじゃなくて、ただ今のところは「朝はパンを食べたい」、だけのこと。
 「明後日も、パン食べたいから買いに行こう!」
 最初からそれだけ言やぁ良いのに。ひねくれもん。
 本当は、ただ何とかかんとか理由を作って外に出たいから、「パンがない~」から始めたってわけだ。
 さて、天気予報はどうだ。
 ん~。「明日は傘がお守り」?
 いかん。バイクでは出られない。出られるけど、出たくない。
 濡れる。凍結防止剤に攻撃される。
 そこまでしてパンを食べたいとは思わない。
 行列のできる店では買い物したくないし、美味い物だって並んでまで食べようとは思わない。
 だから、当然バイクを錆びさせてまでパンを買いに、なんて行かない。
 けど、「傘がお守り」、だから。
 おそらくは使わないだろう、ということだ。
 だったら、車で行こう。
 バイクでパン買いに行って降られたら悲惨だけど、車で行って降られたら屋根を閉じれば良いだけだ。

 と言うことで、今日は車で出掛けよう、と決めたのが昨晩。
 バイクでは絶対出たくない曇り空だが、クルマなら雨さえ降らなきゃ最高の天気。
 パンを買い、ビールグラスを買い、そのまま帰るのは勿体ないから、そこらをうろうろする。
 曇り空で日が射さない、ってのは、あてなく彷徨うにはいい雰囲気だ。
 晴れていれば冬の陽が射す。
 冬の日射しとは言え、同じ態勢でずっと当たっていれば結構日焼けする。
 手首と鼻の頭だけが薄黒くなって、ひりひりする。
 楽して乗っていた後だから、支払いを請求されているみたいな気分になる。
 だからそんな時は彷徨わない。
 その以前に天気が良ければバイクに乗る。手首も鼻の頭も日焼けしないし。

 うろうろしているとフロントガラスが汚れたような気がした。
 能く見ると、小さな雨粒だった。ちらついては消え、また雨粒が視界に霞を掛ける。
 もう少し雨粒が大きくなると、屋根を閉じなきゃならない。

 そう思うと、飽きて来た。いつも以上に我儘だな、と思う。
 車に乗ったから?

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菜の花を買いに

2019年02月07日 | バイク 車 ツーリング
 昼前にカブで出発。
 今日の天気では重装備過ぎるか、と思いながらも
 「寒いより(冬は)暑い方が安全」
 、と判断して出る。
 靴を履く時の腰の痛みも、だいぶおさまっている。
 出て1kmほどで、「服装、失敗したかも」と思う。胸が寒い。
 モコモコになってるのに、ちっとも重装備になってない。
 SRと違って、カブは上体が起きているから、風がまともに上半身に当たる。
 レッグシールド(レッグガード)を取っているから膝が冷えそうなものだが、前かごをつけているせいか、それとも速度が低いせいか、そちらは気にならない。
 今日は風はないものの気温は低いようで、安物のコートジャケットが風を通すらしく、じわじわと胸を中心に冷えてくるのが分かる。
 それでも
 「日に当たれば何とかなる」
 、と甘いことを考えて走り続けた。
 片道20キロ余り。その3分の1辺りで意を決してUターン。着替えに帰る。
 1キロほどで気が付いたんだから、その時やりゃあ良いことを、7、8キロも走ってからやるお粗末。
 随分無駄なことをしたようにも思うが、身体が冷えて反射能力がこれ以上低下したら元も子もない。「お粗末」、と笑ってられないことにもなりかねない。
 これはジイさんでなくても同じこと。
 大事なのは無理を通して通し切る体力、暴勇のできる体力があるかどうか、だ。
 立派な腰痛持ちになった奴が「無理を通し、道理を踏みつけにしても平然としていられる体力がある」、と思うのはバカ。
 バイクに乗ってるだけでもバカ、なのに。
 着替えて出直す。今度は大丈夫。
 チェーン調整もしてもらい、空気も足してもらったから、足回りがきびきびしている。別にスピードが出るようになったわけではないが、とにかく反応が良い。
 「もう少しパワーを」となれば、それに見合ったパーツに換えねばならない。
 「もう少しトルクが」となっても、それは同じ。
 物足りないと、その部分を強化する。でも、それをすれば他の部分が付いていけなくなる。必然的に周辺のパーツも換えなければならなくなる。
 バランスを取りながら性能を高めなければ危険度ばかりが増すことになる。
 そして一番の大問題。
 「乗るのは誰だ!」
 バイクの乗り方は人それぞれ。バイクに求めるものも人それぞれ。
 
 道の駅で、地元の菜の花を買おうと思っていた。行ってみると値札だけあって、肝腎の菜の花はない。
 店の人に聞くと「さっきまで一つ残ってたんですけど」。
 もうそろそろ終わりらしいし、でも、二日続けては来られないし・・・。
 と言うより、明日は雨らしいから。
 思いついて帰りに生協で買った。道の駅に置いてある筈だった菜の花とは比べ物にならない、きれいな菜の花の束。徳島産。
 
 食べてみた。見た目も味も、間違いなく徳島産の方が良い。
 けど、もう一度食べたくなるのは、と聞かれたら間違いなく道の駅の方の菜の花を取る。
 食の評論家ではない自分が、「飽きない味」、だから。
 これはバイクと同じ。

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事に臨む

2019年02月06日 | 日々の暮らし
 題は大袈裟過ぎ。
 
 起き掛け。
 昨日と同じく温かなせいか、ひどい痛みはないが股関節から太腿の裏側辺りまでが硬く、曲げよう(伸ばそう)とすると鈍く重い痛みがある。
 それでもストレッチをしてから起きるのと、ストレッチをしないで起きるのとでは後々の動きが違う。
 直面する痛みを恐れて(と言うより嫌がって)、ストレッチをせず「用心」「慎重」だけで行動しようとすると、思いがけないところで痛みが襲ってくる。
 ストレッチをしておくと、その時点での可動範囲(痛くない範囲)を身体が分かっているためか、想定外の箇所の痛み、というのが少ない。ストレッチをした時に身体がセンサーを設定している、ということだろう。 
 
 昨朝より今朝の方が、そういう意味では少し進歩。
 旧式の使い込んだ道具を、切れ味が鈍ったなりに手入れをしていつでも使えるようにしておく。
 そうではなくって「伝家の宝刀」を新古品で購入し、安心する。
 購入した時点で「伝家」じゃないんだけれど、更に「新古品だ、実質、新品だ」と安心してたんじゃ意味がない。
 以前に書いた軍学者の床の間の大太刀の如くに。
 世間では軍学者のこのやり方を「虚仮脅し」の一言で簡単に片付けるけど、これはもっと切実な問題。笑って済ませるようなことじゃない。
 「軍学者の床の間の大太刀」を嗤うのは、「九条があるから戦争は起きない」と同じ考え方だ。「購入した『伝家の宝刀』があるから大丈夫」、と。
 「日本国発行の『戦争禁止令』は世界に通用する!」・・・・?
 勿論、諭吉は軍学者を嗤ってはいない。反対に苦言を呈している。
 だから、数度、その大太刀を抜き差しして見せた。
 その上で、驚いている軍学者に、
 「この程度(自分の腕前)では、実際の時には遣えない。却って、危険だ」
 と説き、「虚仮脅し」も「丸投げ」もダメだ、
 「そういう考え方は危険だ」
 、と。
 
 「虚仮脅し」も「丸投げ」もダメ。まずは自身の覚悟。

 手入れをしてないから、「伝家の宝刀」と言う割に大事にしない。
 手入れをしてないから、その実力を知らない。
 だから「使えなきゃ意味がない」と気軽に抜いて、取り敢えずそこらの物を切ってみる。哨戒機に火器管制レーダーを当ててみる、みたいに。
 この身体は、65年使い込んできたものだから。ちゃんと手入れしなきゃならないし、無茶な遣い方をすれば簡単にガタが来る。

 ・・・というわけで、朝食後、風呂に入ろうかと思ったが、出発する前に温まって、すぐ湯冷めをして身体が硬くなる、なんてことは避けよう、とカイロを貼るだけにした。これは転ばぬ先の杖。
 準備は整った。
 さあ、買い物に行くぞ!!



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もう五日

2019年02月05日 | 日々の暮らし
 元旦から昨日4日まで、毎日、散歩と称して神社参拝。
 で、腰の痛いのはなかなか治まらない、と。
 今日は、もう五日。
 去年は確か6日辺りまで餅を食べていた。御神酒と称して酒を飲みながら。
 後はゴロゴロしているうちに夕方になり、腹が減って、ちゃんと肴を作ってまた酒を飲み、で一日が終わる。そんな「いつもの」正月だった。
 去年もそれを約一週間続けたら、「いつもの」正月の結果、我ながら例年通り膨らんだと思った。
 ブヨブヨ、までは行かないけど、プニプニ、なんて可愛らしいものじゃない。
 何しろ60半ば近いじいさんなんだから、可愛いは求められてない。

 それが「今年は、ゴロゴロして夕方を迎えるほどの体力がない」、というのが分かった。体力がなければ長時間眠ることはできない。「絶対安静」ほど身体に無理を強いる処方はない。
 腰が痛くて夕方までゴロゴロしてられない。
 余裕がなければゴロゴロなんてしてられない。
 痛みを胡麻化す、痛みから目をそらすためには「何か」をやらなければ。
 ゴロゴロしてる(無策)こと自体が苦痛(精神的な痛み)にもなる。
 「痛みを胡麻化す」「痛みから目をそらす」
 痛みと対決するのではなく逃れる方法。
 ・医者に行く。
 ・鍼灸院を探す。
 ・良さそうな薬を見つける。
 ・腰を温める(風呂とかカイロとか)。
 
 そういうわけで、生れてはじめて「使い捨てカイロ」を買いに行った。
 風呂とは別の処方。
 勿論、カブで。
 ・・・・・・・・・
 ~血沸き肉躍る冒険譚も熱血スポ根ストーリーも、バイクに乗っていれば向こうからやってくる。今もクエストゲームか何かのように、工具の山を前にどこから攻略すべきか悩んでいる。バイクに乗る限り、作り物のテレビドラマなど不要。~
    トネ・コーケン 「スーパーカブ4」より
               角川スニーカー文庫
 ・・・・・・・・・・
 カイロを買いに行くのだって「血沸き肉躍る冒険譚」。
 神社参拝にかこつけての早朝散歩だって「熱血スポ根ストーリー」。
 ・・・・だよね?

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お出掛け

2019年02月05日 | 日々の暮らし
 31日は天気が悪くて出掛けられず。
 1日は雪が降ったので、散歩だけ。
 2日はカブのオイル交換とバルブクリアランスチェック。それからSRの給油後、そこらをウロウロ。
 3日は雨が意外に早く降り始めて出られず。
 そして4日は午前中、それも早いうちに雨は上がる、との予報だったのに昼頃まで路面は乾かず。
 それどころか「昼からは降らない」と言ってたのに、しっかり通り雨。
 ちょっとの日射しに、惑わされて慌てて出なくて良かった。
 いずれにせよ、この五日ほどはまともに出てないということだ。
 (2日のSRでの「ウロウロ」は別格とする)
 今日は「立春」だったんだ。春風が吹くべきだ!
 「春立てる霞の空に白河の関越えんと~」だ。
 そぞろ神は憑きっ放しだろうし、道祖神は飽きもせず手招きを続けている。
 なのに!天気が悪いとはどういうことだ。
 天気だけじゃない、思い出したように陽が射しても凍結防止剤が、敵か味方か分からんような活躍をする。
 今日こそ出掛けられる、と思っていたのだが。
 というわけで、カブの調子を本格的に見るための「お出掛け」は、5日、火曜日。
 湯治は、その後、考える。
 じっとしてたら固まって石になる。水は流れなければ腐る。

 
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