死人に口なしでいいのか
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【阿比留瑠比の極言御免】
安倍晋三元首相がテロリストの凶弾に倒れてしばらくたち「死人に口な し」という言葉がよく頭をよぎるようになった。安倍氏がもう反論することはないことをいいことに、本人に面と向かって言えなかっただろうことを、堂々と口にしだした人を見るのは、気が滅入るものである。
時事通信によると、自民党の村上誠一郎元行政改革担当相は20日、安倍氏の国葬に出ない考えを表明し、安倍氏の政権運営を批判した上で「国賊だ」と断じた。
死者に鞭打つ良識を疑う言葉だが、これを報じた記事に立憲民主党の逢坂誠二代表代行がツイッターで「良く言った」とコメントするのだから、何をかいわんやである。今ほど、日本の政界や言論空間を恥ずかしいと感じたことはない。
[拉致巡り矛盾]
かと思うと、安倍氏が生前、最も心血を注いだテーマである拉致問題に関しても、安倍氏が存命していたらこんな証言が出ただろうかと耳を疑う話が飛び交っている。
共同通信は小泉純一郎元首相による北朝鮮初訪問から20年となった9月17日、「福田氏、拉致の政府内対立を否定『安倍氏反対しなかった』」という当時の福田康夫官房長官(後に首相)のインタビュー記事を配信した。それによると福田氏は、平成14年10月15日に帰国した拉致被害者5人を北朝鮮に戻すかどうかを巡る政府内でのやりとりについて、こう述べている。
「一時帰国の是非で政権内の意見が割れたと報じられたが、5人を北朝鮮に戻すなと私に訴えた官邸幹部は、安倍氏を含め、誰もいなかった」
だが、福田氏は24年9月の産経新聞のインタビューでは、5人の日本滞在期限の2週間の最後のころの状況について、このように語っていた。
「急に帰すべきではないという論が、ぱーっと出てきた。それで、もう今日決めるかみたいな話になったときに、僕ははっきり安倍官房副長官に言った。『それは帰さない方がいいかもしれないけれども、家族たちの同意を得ているのですか。話したんですか』と」
福田氏は安倍氏に「それは帰さない方がいいかもしれないけれど」と言ったということは、安倍氏が帰さないよう主張していたということになる。今回の共同通信に対する言葉と矛盾してはいないか。また、福田氏はその上で「家族を北朝鮮に残した5人の意向を考えずに、一時的な思いに任せて日本に縛る付けるなど人道的にあり得ないと疑問を持ち、安倍氏に5人の意思確認を指示し、その結果に基づいて5人の永住帰国を決めたと述べている。
[反対主張はふれず]
とはいえ、安倍氏はそれ以前の段階で、地村保志さんら帰国者が「日本に残りたい」と言っていることを知っていた。拉致被害者「救う会」の西岡力会長は14年10月18日の時点でその意思を伝えられ、安倍氏と中山恭子内閣官房参与(当時)には連絡していた。北朝鮮にいる家族に累が及ばないよう公開しなかっただけだった。
この間の政府内での議論に関しては、北朝鮮との交渉窓口だった外務省の田中均アジア大洋州局長(同)も今月、NHKのインタビューで「北朝鮮との約束どおり、いったんは向こうに戻すかという判断は、政治判断だと思っていました」と語り、拉致問題解決に尽力したと強調している。だが、NHKでは田中氏が5人を北朝鮮に戻すよう主張していたことには 全く言及していない。泉下の安倍氏は、どんな思いでいるだろうか。
(産経新聞論説委員兼政治部編集委員)
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松本市 久保田 康文
産経新聞令和4年9月22日号採録
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また、転載の転載ですが。
「一時帰国の約束だったんだから、とにかく(北朝鮮に)帰国させるべき」、というのが当時の主流。けど、「帰したら、もう二度と戻ってこれない」というおそれは多分にあった。
「誠意(?)を示されたんだから、誠意で応える」というのが日本の姿勢。
これまでのやり様を見る限り、北に誠意なんて存在しない。それがはっきりと分かるのは意外に早かった。
返却された遺骨のDNAを調べたら、全く違う骨を渡されていたりした。
が、問題はそこではなく、「間違っていた申し訳なかった」と言えばいいものを「日本は我々を疑うのか」と逆切れしてきたこと。都合が悪くなると怒って誤魔化すこと。これが平常(平壌?)運転であり、特に北とは限らないこと。北も南も大朝鮮も、
わたなべ りやうじらう のメイル・マガジン
頂門の一針 6269号
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2022(令和4年)年 9月24日(土)より