CubとSRと

ただの日記

怪しいのはこっち、か。

2022年09月26日 | 日々の暮らし
 9月11日(日)

 4時25分から散歩。帰って素振り。
 先日、往復ともに遭った女の人がいる。歳は分からないが、中年以上。
 姿勢が良く、バッグをたすき掛けにしている。やって来る姿が視界に入ったので挨拶したのだが、聞こえなかったのか返答はなかった。
 ラジオでも聞いている?それなら片耳は空いてるだろう。
 両耳に、となれば聞こえないよな。単純に耳が悪いのか?
 情報が少なすぎるから、判断のしようがない。反応そのものがないのだから。

 聞こえなかったのだろうと思いながら擦れ違うが、復路でまた遭った。
 互いが反対の方角から散歩を始め、帰ってくるのだから当たり前と言えば当たり前の話。
 で、また挨拶をする。やっぱり返事はない。反応自体、往路と同じく、なかった。

 「名建築で昼食を」の田口トモロヲ演じる植草千明氏ほど積極的に話しかけたわけではないけれど、二度とも全く反応も返事もなかった。「返事をしない男」ならぬ「返事をしない女性」だが、やはりこれは「聞こえない」のではなく、「話しかけられたくない人」のようだ。
 それが証拠に、今日は三度目か四度目。全く知らん顔をして会釈するでもなく擦れ違う。

 まあ、一日目の往復二回の挨拶で懲りて以降、こちらからその人に声をかけるのは止めたのだけれど。
 山歩きだったら声をかけるけど、朝の散歩で見ず知らずの人に声をかけるのは怪しい?
 でも、きっと同じ町内に住んでいるんだから、山歩きで出会う以上に、挨拶をするのは自然じゃないのかな。
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判断基準(物差し) 歴史に鑑みる

2022年09月25日 | 心の持ち様
死人に口なしでいいのか
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   【阿比留瑠比の極言御免】 


安倍晋三元首相がテロリストの凶弾に倒れてしばらくたち「死人に口な し」という言葉がよく頭をよぎるようになった。安倍氏がもう反論することはないことをいいことに、本人に面と向かって言えなかっただろうことを、堂々と口にしだした人を見るのは、気が滅入るものである。

 時事通信によると、自民党の村上誠一郎元行政改革担当相は20日、安倍氏の国葬に出ない考えを表明し、安倍氏の政権運営を批判した上で「国賊だ」と断じた。

 死者に鞭打つ良識を疑う言葉だが、これを報じた記事に立憲民主党の逢坂誠二代表代行がツイッターで「良く言った」とコメントするのだから、何をかいわんやである。今ほど、日本の政界や言論空間を恥ずかしいと感じたことはない。

 [拉致巡り矛盾]

 かと思うと、安倍氏が生前、最も心血を注いだテーマである拉致問題に関しても、安倍氏が存命していたらこんな証言が出ただろうかと耳を疑う話が飛び交っている。

 共同通信は小泉純一郎元首相による北朝鮮初訪問から20年となった9月17日、「福田氏、拉致の政府内対立を否定『安倍氏反対しなかった』」という当時の福田康夫官房長官(後に首相)のインタビュー記事を配信した。それによると福田氏は、平成14年10月15日に帰国した拉致被害者5人を北朝鮮に戻すかどうかを巡る政府内でのやりとりについて、こう述べている。

 「一時帰国の是非で政権内の意見が割れたと報じられたが、5人を北朝鮮に戻すなと私に訴えた官邸幹部は、安倍氏を含め、誰もいなかった」

 だが、福田氏は24年9月の産経新聞のインタビューでは、5人の日本滞在期限の2週間の最後のころの状況について、このように語っていた。

「急に帰すべきではないという論が、ぱーっと出てきた。それで、もう今日決めるかみたいな話になったときに、僕ははっきり安倍官房副長官に言った。『それは帰さない方がいいかもしれないけれども、家族たちの同意を得ているのですか。話したんですか』と」

 福田氏は安倍氏に「それは帰さない方がいいかもしれないけれど」と言ったということは、安倍氏が帰さないよう主張していたということになる。今回の共同通信に対する言葉と矛盾してはいないか。また、福田氏はその上で「家族を北朝鮮に残した5人の意向を考えずに、一時的な思いに任せて日本に縛る付けるなど人道的にあり得ないと疑問を持ち、安倍氏に5人の意思確認を指示し、その結果に基づいて5人の永住帰国を決めたと述べている。

 [反対主張はふれず]

 とはいえ、安倍氏はそれ以前の段階で、地村保志さんら帰国者が「日本に残りたい」と言っていることを知っていた。拉致被害者「救う会」の西岡力会長は14年10月18日の時点でその意思を伝えられ、安倍氏と中山恭子内閣官房参与(当時)には連絡していた。北朝鮮にいる家族に累が及ばないよう公開しなかっただけだった。

 この間の政府内での議論に関しては、北朝鮮との交渉窓口だった外務省の田中均アジア大洋州局長(同)も今月、NHKのインタビューで「北朝鮮との約束どおり、いったんは向こうに戻すかという判断は、政治判断だと思っていました」と語り、拉致問題解決に尽力したと強調している。だが、NHKでは田中氏が5人を北朝鮮に戻すよう主張していたことには 全く言及していない。泉下の安倍氏は、どんな思いでいるだろうか。

(産経新聞論説委員兼政治部編集委員)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
  松本市 久保田 康文 
産経新聞令和4年9月22日号採録

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・
 また、転載の転載ですが。

 「一時帰国の約束だったんだから、とにかく(北朝鮮に)帰国させるべき」、というのが当時の主流。けど、「帰したら、もう二度と戻ってこれない」というおそれは多分にあった。
 「誠意(?)を示されたんだから、誠意で応える」というのが日本の姿勢。
 これまでのやり様を見る限り、北に誠意なんて存在しない。それがはっきりと分かるのは意外に早かった。
 返却された遺骨のDNAを調べたら、全く違う骨を渡されていたりした。
 が、問題はそこではなく、「間違っていた申し訳なかった」と言えばいいものを「日本は我々を疑うのか」と逆切れしてきたこと。都合が悪くなると怒って誤魔化すこと。これが平常(平壌?)運転であり、特に北とは限らないこと。北も南も大朝鮮も、

 わたなべ りやうじらう のメイル・マガジン
               頂門の一針 6269号
□■■□──────────────────────────□■■□
       
     2022(令和4年)年 9月24日(土)より
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服務宣誓

2022年09月24日 | 心の持ち様
【安倍晋三元首相国葬儀を前に~憲法改正】

 今月27日に安倍晋三元首相の国葬儀が行われます。
 残念ながら、参院選の遊説の最中に凶弾に斃れた元首相を偲ぶよりも、旧統一教会との関係ばかりに焦点が集まっています。
 安倍元首相が何を考え、何を行い、何を遺そうとしたのかが忘れ去られています。
   (略)
 今回は安倍氏が首相時代の平成30年8月12日に長州「正論」懇話会で、憲法改正について発言した一部を紹介します。

         ◇

 毎年、防衛大学校の卒業式に出席し、服務宣誓を受けますが、最高指揮官、内閣総理大臣として、真新しい制服に袖を通したばかりの自衛官から
 「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託に応える」
 との重い宣誓を受けます。そうです。まさに彼らは国民を守るために、その命を懸けるんです。
 しかし、近年でも「自衛隊を合憲」と言い切れる憲法学者はわずか2割で、違憲論争が存在しています。その結果、多くの教科書に自衛隊の合憲性に議論があるとの記述があり、自衛官の子供たちも、その教科書で勉強しなければなりません。
 ある自衛官は息子さんから「お父さん、憲法違反なの?」と尋ねられたそうです。そのとき、息子さんは、目に涙を浮かべていたと言います。
 皆さん、このままでいいんでしょうか。こんな状況に終止符を打つ。全ての自衛官が誇りを持って任務を全うできる環境を整えることは、今を生きる私たち政治家の責任であります。
 憲法の中にわが国の独立と平和を守ること、そして自衛隊をしっかりと明記することで、私はその責任を果たしていく決意であります。

 こうした思いの下に昨年の総選挙でわが自民党は初めて、選挙公約の柱、主要項目の1つとして憲法改正を位置づけ、自衛隊の明記など4項目を具体的に掲げました。
 教育の無償化もその1つです。明治の近代化、さらには戦後の焼け野原からの復興。日本はこれまで数々の困難に直面しながらも、そのたびにそれらを見事に乗り越えてきた。すべては日本人の力であります。人づくりこそ、国づくりです。

 戦後憲法に普通教育の無償化が明記され、そこから小中学校9年間、義務教育制度がスタートした。しかし、70年以上が経過し、経済も社会も大きく変化しています。子供たちがそれぞれの未来を、それぞれの夢を追いかけるためには、高等教育もまた、全ての国民に真に開かれたものでなければなりません。
 そうした思いの下に昨年の総選挙で、大半を借金返しに使うことになっていた消費税の使い道を大きく見直すことを訴え、幼児教育の無償化と合わせ、真に必要な子供たちの高等教育の無償化に踏み出すこととしました。
 これは未来を見据えた、まさに国家百年の計であります。だからこそ、国の形、理想の姿を示す。憲法の中にしっかりと書き込んでいくべきであると、私はそう考えています。
 約束したことは必ず守る。実行に移すのが自民党であります。

  (以下略 転載了)


メルマガ「週刊正論」令和4年9月23日号より
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店仕舞い

2022年09月23日 | 日々の暮らし
 9月8日(木)

 午前4時25分、散歩に出る。
 ここ数日間で、昼夜の気温差が大きくなったようで、夜、肌寒さを感じることもある。
 散歩時、往路の途中で汗をかき始めていたのだが、今朝などは帰り半分近く歩くまで、手拭いに触れることはなかった。

 早めに朝食を終え、昨日に続いてコペンで出たのは、9時半頃だったか。
 勤めていた時なら、「早めの朝食」どころか欠勤の電話を入れて「やれやれこれで一安心」と思いながら、嘘を吐いた後ろめたさと今日一日何をしようかなという期待感が、ない交ぜになっているところ。
 でも、今は胸張って好き勝手のできる無職の老人。一週間余りで髭もだいぶ伸びた。関係ないか。

 農協倉庫前のテントが見えた。見えたと思ったら店じまいが始まった。
 「店じまい」と言っても、テントの周りにロープを張るだけだが、とにかくそこのテーブルに、ブドウの入った箱やビニール袋の姿はなかった。
 その光景は今日の予定分は売り尽くしてしまったということを雄弁に物語っている!(大袈裟)
 
 ということは、昨日昼過ぎに来た時はとっくの昔に店じまいをしていたということか。

 ロープを張るだけの店じまいをしている姐さん方に聞いてみた。
 開店は通常8時。けど、開店とほぼ同時に売り切れる。何しろ朝の5時から並んで待っているらしい。そういう人が三つ四つとまとめ買いをする。
 ということは、これはもうとてもじゃないけど今年は、いや来年も買えそうにない、ということになるか。

 諦めきれないから道の駅に行ってみた。こちらはテーブルの上に箱入りの高級ブドウが積み上げられていて、隣には運搬用のトレイボックス(?)がいくつも重ねられている。けど、いつも買っている安いブドウの姿は見えない。

 聞くだけ聞いてみる。「箱詰めでないのはありませんか」。
 ありますよ、と視線を送った先には、袋に入ったブドウの房が見えた。
 1000円と書いてあるところを見ると、いつものベリーAか。

 今年はもう手に入らないかもと思っていたが、何でも彼岸過ぎまではあるそうで、それならあと一、二回は買いに来られるかも、とちょっと安心する。
 まあ、買えなくてもその時はアメリカ産の皮ごと食べられるやつを買って来て、ヨーグルトと一緒にパンに載せて、という手もある。

 家を出てすぐ、小さな雨粒がフロントガラスに当たり、弾け散った。降るかもしれないということではあったが、市境を越えたらマシな空模様になった。
 帰り、道の駅を出て市境を越えたら又、雨粒が。

 何とかまともに降られることなく帰宅。
 予報通り、夜になってからは小雨が降り続いている。
 気分がいいから一杯やりたいところではあるけれど、我慢、がまん。

 
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急場しのぎ

2022年09月22日 | 日々の暮らし
 9月7日(水)

 昨日は雨の心配はあったものの、まあ降るのは夕方だから出られるだろう、と高を括っていた。
 だが、とにかくひどい強風で、車で出るのもちょっとためらわれるような天気。
 SRで少し離れたところにあるスーパーマーケット程度ならと思ったが、この強い横風、油断はできない。
 車で出たとしても、突然の雨なんてことになったら、せっかく月曜日に洗車したばかりなのに翌日は元の木阿弥、ということになる。

 ・・・なんてことを思って、それでも昼からは少し風がマシになる筈だから、と、そこに期待というより望みをかけていた。

 昼過ぎ、強風とともに大粒の雨が窓を叩き始めた。全く予報と違う。
 これでもう出るのは絶望的となる。
 
 肴の材料の買い出しのつもりだったから、これで外出は無理。
 ありあわせのもので、ということで、ポテトサラダを作る。牛皿を作る。洗車の帰りに買ったオイルサーディンに、カイワレを載せ、これで三品。

 ま、色々あっていい。

 

 
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