CubとSRと

ただの日記

断捨離は遥か彼方

2022年09月21日 | 日々の暮らし
 9月5日(月)

 午前4時5分に家を出る。散歩から帰って来て、素振りもして家に入ったら5時前。

 間違いなく、これ以上はないという上天気になる予感。
 ただ、風は強い。
 
 というわけでSRに4日連続乗るというのも、もう一つ芸がない。
 だからと言って、こんな天気の日にコペン、というのも修行、それも全く目的のないただの荒行みたいになるだろうから、やめる。絶対茹で上がる。

 それなら、6ヶ月点検の時にサービスでしてもらうつもりだった洗車(それで先月は洗車をしていない)に、今から行こうかな、と思い始めた。
 今朝干した洗濯物は、この強い風と陽射しで既に乾いているだろうけれど、帰ってから取り込むことにしよう。

 さて、何を着て出よう。洗車をしたら拭き上げる。いつものようにTシャツで行くけれど、上に何か着なきゃ。洗車後、気分が高揚して「ちょっと買い物にでも」となった時、困る。

 裾のゴムのすっかり伸びてしまったジャンパー(今はブルゾンというのか?)を着て出ることにした。
 二十年近い昔、ゴムが伸びたので直してもらおうと修理の店に持って行ったら、直すのと新しく買うのと同じほど金がかかると言われた物だ。
 色違いの物を二枚持っていたのだが、両方とも伸びてしまっていた。流石に二枚とも買い替えるとなると、考えてしまう。
 確かに安いものではあるけれど襟回りがしっかりしているので、バイクに乗るとき具合が良く、重宝していた。それ以前に、既にこういったジャンパーは作ってないので手に入らない。つまり、いくら安物だって買い替えることはできない。

 しょうがない、懐と相談して、一枚だけ直してもらった。以降、今も夏場にバイクに乗るときはよく着ている。当然、直してもらってない方は箪笥の肥やしとなって不遇をかこつことになる。

 今日は車だから、と直してない方のジャンパーを引っ掛けて出た。
 「捨てなくてよかった」というより、とてもじゃないけど捨てる気にはなれない。
 これを着て色々なところを走ってきたのだから、これだって日記と同じで、バイクに乗ってきた記録そのものだ。
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「sorryと言ってはいけない」と教えられた理由

2022年09月20日 | 心の持ち様
 向こうが止めると言わないのだ
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        前田正晶

 プーチン大統領は「向こうが止めると言わないのだ」と言った:

 私はこのプーチン大統領がインドのモディ首相に向かって言ったと報じられた一言に興味を感じた。我々と欧米人(白人としても良いと思うが)との思考体系と物事の考え方の違いが非常によく現れていたからだ。

 プーチン大統領は「ウクライナとの戦争を止めなさい」と言われて「向こ うが止めると言わないのだ」と答えたと報道されたことを取り上げたのだ。
 我々の理解と認識では「侵攻を開始したのはロシア側」である。そのような状態で始まった戦争を、ウクライナが「止めない」と宣言することがあり得るとは思えないのだ。それでも、プーチン大統領は「ウクライナ側」の責任の如くに言うのだ。

 私はこの辺りに白人の世界というか、ヨーロッパやアメリカの人たちの我が国の思考体系にはあり得ない「自らの非を潔く認めずに、悪いのは先方である」と決めつける物の考え方が見えていると思って聞いた。拙著「アメリカ人は英語がうまい」の中でも「海の向こうの謝らない面々」と題して、この辺りの文化と思考体系の違いを表現した。

 即ち、プーチン大統領は事がここまでに及んでも「戦争を止めない非はウクライナ側にある」と平然としてインドの首相に言うのだ。私はこのことはプーチン大統領が途方もない鉄面皮であるのではなくて、彼らの世界では当たり前のことであり、彼らはそのように物事を考えているのだという思考体系の表れに過ぎない。マスコミもこの発言を取り上げるのならば、 この彼らの「自らの非を認めず、謝罪などしない文化の表れ」と解説しておいて欲しかったと思っている。

 ここで強調しておきたかったことは、「我が国のように常に潔く綺麗に対処して『自らの非を認める』のは、我が国の文化であり美徳であると思う。
 だが、この綺麗な姿勢は先ずヨーロッパやアメリカの人たちには「美しい」とは認識されず、「矢張り非を認めたか」と解釈されるのだと考えておくべきだろう。

 “I am sorry.”と言うな:
 彼らの思考体系には「自分たちが悪う御座いました」と認めることは先ずないのだ。この思考体系が最もよく現れているのが“I am sorry.“という謝り方はない点だ。それは、ビジネスの場以外でもそう言ってしまう事は「私が悪かった。如何なる経済的な補償要求にも応じるから、お許しを」と認めたのと同じ事になるからだ、彼らはこのように考えているのだ。

 彼らの自分たちの過ちを認めない態度は、彼らが傲慢な訳でも、責任感が無いからでもなく、自分たちを防御するためにそう言い方しか出来ない頭脳構造になっているだけのことだと認識しておく必要があるのだ。

 私は別に「彼らはそういう人種だから認めてあげなさい」などと言うつもりはない。彼らの我が国とは正反対の思考体系を承知した上で交渉に臨まれれば、腹を立てること無く、彼らを説得して話し合いを進めることが出来ると言いたいのだ。私は彼らが“We regret such an accident happened.“と言ったならば、最大限自らの非を認めたと解釈して頂きたいと、我が国の取引先に申し上げてきた。

 だから、例えばアメリカにでも行って、何か事件にでも出会ってしまったときに、素直に自分から“I am sorry.”などと言ってはならないのである。

 こういう違いがある以上、プーチン大統領がインドの首相に勧められても 「では、戦争(侵略)を止めましょう」と言わないのは、ごく普通の現象であり、彼が傲慢である事にはならないとは思う。


 アナウンサーは“Gone!”と絶叫する:
 これは大谷翔平がホームランを打ったときに、アメリカのアナウンサーが叫ぶ台詞。即ち、我が国のアナウンサーが「打球が入りました」とホームランを形容するのに対して、アメリカでは「ボールが行っちゃった」と形容するのだ。この辺りは私が「逆さの文化」と表現してきた物の考え方の違いが出ていると思って聞いている。

 アメリカでは「観客席にボールが行ってしまった」と言うのに、我が国では「観客席に入りました」と正反対(誰が何時から「真逆」と言う事にしたのか)の見方をしているのが興味深いのだ。

 この一言だけで断じるのはどうかなとは思うが、ダルビッシュがMLBに行っ て2~3ヶ月経ってから「何か異種の競技をやっているのかと思った」と語ったように、彼はMLBではbaseballをやっているのに対して、NPBでは「野球」をやって来たことに衝撃を受けたのだった。






 わたなべ りやうじらう のメイル・マガジン
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   2022(令和4年)年 9月19日(月)より
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冷静なつもりでも、詐欺にはかかる

2022年09月19日 | 日々の暮らし
 うまい具合に目をそらそうとする。「完全犯罪」といってもいいか。
 その場しのぎでそれをやると大抵はすぐ破綻したり、馬脚を現したりするけど、それなりに計画を立てて、真に迫った演技をすると、大抵はすっかり騙される。
 小説や、映画などで「完全」犯罪は成立しないけれど(必ず見破られる)、あれは後からの理屈であって。第一、見破られないから「完全犯罪」。
 見破られていないのだから、「犯罪」と認識されていないということだ。
 そこに犯罪は存在しなかった、と。
 統一教会叩きの陰にある本当の目的は、共産主義思想に敵対する考えを持つ者(勝共連合)を潰すこと、だとしたら・・・?

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日台は“戦争孤児”の義兄弟だ/3
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       “シーチン”修一 2.0


【雀庵の「大戦序章」91/通算523 2022/9/16/金】体調不良で「もうダ メか?」と苦しんでいた1か月前、看護婦のカミサンの指導で元気を取り戻し、以来、小生はカミサンに逆らう「厄介者のクソヂヂイ」から只の「人畜無害のヂヂイ」になった。
 それは「成長」か、それとも「退化」か・・・分からないが、まあ加齢とともに「好々爺」になっていくという諦観とか悟りなのだろう。静かな晩年・・・結構なことだ。
           (略)
 
 米国GHQは原爆で日本を屈服させると早速、日本の核兵器研究所を破壊した。核兵器は凄まじい攻撃力があり、抑止力効果も抜群、しかも通常兵器に比べて低コストで済むから「貧者の武器」とも言われている。米国による統治=核の傘が今なお続いている。疑似占領下の日本は以来、米国の洗脳教育により「自前の核兵器=悪」「核なき世界=理想」という妄想のままだ。

 戦後は核兵器による抑止力があるから先進国間の戦争はなくなった。核なき世界になれば速攻で第3次世界大戦になる。ウクライナは核兵器を放棄したからプーチン・ロシアに対する抑止力が無くなり、侵略を受けた。プーチンは核恫喝をちらつかせている。非核3原則=平和などと洗脳され、お花畑妄想を抱いている国は中共やロシアにあっという間に併呑されるのである。

            (略)
 
 「次の戦争も負ければ、今度こそ日本は共産主義国になれる、中共ガンバレ!」という日本人は20%ほどいる。これは立憲共産党の得票率である。彼らは北海道と沖縄でかなりの影響力を持っている。「一度アカ、一生アカ」で、労組などアカの人脈で20代から飯を食っており、相変わらずマルクス・レーニン・毛沢東を敬い、自民党や経済界など自由民主・資本主義経済・政治を良しとする人々を憎み、日本での共産主義革命を願っている。

  1960年代の初め、経済をぼろぼろにした毛沢東は責任を取らされてお飾りになっていた。経済推進派の劉少奇や鄧小平が権力を握ったが、毛沢東は復活のために政敵を叩き始めた。経済発展を進める劉少奇らを資本主義に走る「走資派」とレッテルを貼り、無知蒙昧な若者を煽って「プロレタリア文化大革命」と称する内戦を煽ったのだ。

この時期に毛沢東は国際的孤立を避け、共産主義国を増やすために対外プロパガンダを盛んにする。「孤立を恐れて連帯を求め」たのだ。日本からも多くの人を呼び寄せて毛沢東・中共は「貧しいながらもこの世の天国」をアピールした。

 その招聘を受けて欧米や日本からも多くの識者や若者が訪中した。大江健三郎もその一人で、多分、日本ペンクラブあたりの一員として訪中したのだろう、大いに感動して著書「厳粛な綱渡り」にこう書いている。

 <北京の青年は明るい目をしている、ほんとうに明るい目だ。広州から長い汽車の旅の最後の夜、ぼくはやはり明るい目の鉄道従業員の青年と話していた・・・

 北京にはなんと多くの明るい目があふれていることだったか。歴史博物館で、中国の歴史を説明してくれた案内係の少女も、この明るい目の種族の一人だった>

 大江は戦争末期、小学校に派遣されていた軍人教官に「お前はお国のために戦うか」と聞かれ、「はい、戦います」と速攻で答えるのがルールの場面で躊躇っていたらビンタをくらい、それ以来、日本が大嫌いになった。当時、つまり戦時の少国民はどこの国でも勝利を信じる「明るい目」でなければ異端者で、それでないと家族全体が白い目で見られ、まずいことになった。

 良いか悪いかという平時の次元ではなく、国難という戦争の火事場では心を一つにして戦うのがルールなのである。火に向かってバケツリレーで水を撒かなければいけないときに速攻で協力しなければ「非国民」になってしまう。それはどこの国でも一緒、ウクライナでも「親露派国民は敵だ」と叩いているはずだ。「思想信条の自由」は殺すか殺されるかの戦時には停止される当たり前だ。

 北京の青年は明るい目をしている・・・当時訪中した外国人旅行者はすべて団体旅行で、国営旅行会社の国際旅行社や国家旅游局のエリート中国人がガイドをする。ガイドは監視役であり、同時に旅行者を中共ファンにするための工作任務を負っている。「中国は素晴らしい、今は貧しいけれど皆が明るい目をしている、中国万歳、日中友好万歳!」と旅行者を感激させ洗脳するためにあれこれシナリオを創り、舞台を用意し、役者に演じさせるのである。例えば──

 日本人が観光船を降りて川伝いの道を街へ向かう、そこに釣りをしている爺さんを配し、日本人と話をするようにする。最初は当り障りのない話、少しづつ暮らしの話、革命で生活が楽になったこと、毛沢東主席への 敬愛、日本への称賛・・・

 こうした演出、ヤラセは実に効果があり、疑うことを知らない善男善女は「中国には明るい未来がある、中国万歳、毛沢東主席万歳、日中友好万歳!」となるのである。

「これ、ヤラセみたい・・・どう見ても怪しい・・・中共の工作だ!」と喝破したのは、皮肉にも戦後に日共に乗っ取られた岩波書店の女性社員だった。それを彼女が本にしたのは、岩波が毛沢東文革派と走資派に分かれてゴタゴタし始めた頃だったと記憶している。

 当時、こういう懐疑派はごく少数で、圧倒的多数は大江健三郎のようにまんまと中共の宣伝工作に騙されたのである。彼らの多くは死ぬまで騙されたままで、まさにズブズブの「一度アカ、一生アカ」。たとえ共産主義への疑義が生じてもメシ=生活がかかっているから、それを口に出すことはない、追放され村八分にされるからだ。

 彼らは大阪弁で言う「クズ」、それも最低の「私は正義病」の赤いクズだ。夏彦翁曰く「私は真面目な人、正義の人ほど始末に負えないものはないと思っている。人は困れば何を売っても許されるが、正義だけは売ってはならない。正義は人を汚す」。

 邪悪な“正義”を売ってメシを食っている立民共産党!この手の輩は世界中に溢れている。第3次世界大戦は世界革命を目指す共産主義を絶滅する最終戦争になるだろう。蛇足ながら小生の正義は非売品、畏れ多くも天の声だからいいのである。ただのビョーキという見方もあるが・・・



  


わたなべ りやうじらう のメイル・マガジン
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 2022(令和4年)年 9月18日(日)より
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どこに目を付ける(今、注目すべきは)後半

2022年09月18日 | 日々の暮らし
 月刊「Hanada」10月号を買った。
 その中の名物対談「蒟蒻問答」の中から一部転載。

 (続き)

堤 かつて岸信介を御殿場の別荘に訪ねて、五時間を超えるインタビューをやった。北村サヨの話も聞いたよ。終戦直後、岸は地元・長州の田布施に帰っていた。そこへマッカーサーから逮捕令が出て、特高に付き添われて出頭することになった。
 「なにしろ勝者による報復裁判だからねえ。絞首刑を覚悟して、家族と水杯を交わして家を出た。ところが近くにいた北村サヨ婆さん(踊る宗教の教祖として一世を風靡)が、『この岸という男は三年で帰って来る。日本再建に必要な男だから』というお告げだ。有り難いお告げだけど、まさかと思ったね」
 取り調べは執拗だったが、けっきょく、岸は無罪放免だ。中央に復帰して九年で首相になった。
 「サヨ婆さんのお告げは信じていなかったけど、当たったわけだ。もっとも三年ではなく三ヵ月のおまけが付いたけどね(笑)」

久保 「宗教と金」でいえば、違法に集めるのはむろん取り締まるべきだけれど、宗教に「喜捨」は必ずあるもの。仏教だって、金を集めなければ大仏一つできやしないでしょう。
 アメリカでは、統一教会は数あるキリスト教分派の一つくらいの認識だそうですが、たとえば『新約聖書』のなかの「マルコによる福音書」には次のようなイエスの言葉があります。
 「金持ちが神の王国に入るよりは、らくだが針の穴を通り抜ける方がまだやさしい」
 「自分の持っているものを売り払って、貧しい者たちに与えなさい。そうすればあなたは、天に宝を持とう」
 たとえばアッシジのフランチェスコは、このイエスの教えに従って全財産を放棄し、修道士となって貧民に仕えたといいます。
 しかし、仮にその間に邪な下心のある教会などが介在して、貧者の救済のために還元されるべきはずの財産を横取りしてしまったとしたらどうでしょう。旧統一教会の問題は、明らかにそういう疑いが濃厚です。

 ところで、中世以来築かれた豪華絢爛な教会などの建築物は、はたしてイエスの教えに忠実に従ったものなのか。旧統一教会の被害者やその擁護者は、あたかも政治家がその教会と関係していたことで、被害者が信用したかのような世論誘導や印象操作をしている。この問題はもっと「信仰」という宗教の本質に根ざした事柄のように僕は思えるんですがね。
 

 堤 堯(つつみ ぎょう)
 久保 絋之(くぼ こうし)

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 「喜捨」・・・。そういえば「貧者の一灯」なんて言葉もありました。
 これこそが誠心誠意の真心だ、と。富貴者の万灯は足元にも及ばない。
 けれど、実は現世に在って出家者を支える「在家」があってこそ、全てを捨てて出家した者も求道修行を続けられる、という事実。

 「仮にその間に邪な下心のある教会などが介在して、貧者の救済のために還元されるべきはずの財産を横取りしてしまったとしたら~」
 原始共産制と違ってこれまでにも書いてきた通り、「近代共産主義」の仕組みはほとんど宗教団体ですから。書記長と言いながら、紛うことないただ一人のリーダー(教祖)であり、彼の下にいる者は還元されるべき財産を・・・。
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どこに目を付ける(今、注目すべきは)

2022年09月17日 | 日々の暮らし
 月刊「Hanada」10月号を買った。
 その中の名物対談「蒟蒻問答」の中から一部転載。

 岸信介と「踊る宗教」

堤 「清濁併せ呑む」という言葉があるけど、そうでなければ政治家は務まらない、政治目的は達成できない、と政界ではよくいわれる。
 旧統一教会と安倍一族の関係がどうのというが、そもそもは岸信介と「勝共連合」の関連が始まりだ。かつて猛威を振るった共産主義に対抗するために手を組んだ。
 他の政治家に先駆けて拉致問題に取り組んだのは、安倍晋太郎・晋三の親子だ。二人が旧統一教会と祝電を送るなどの関連を続けたのは、拉致問題に関する情報を得るためでもある。協会のボス・文鮮明は北朝鮮に乗り込み、金正日と会ったりしている関係だからね。

久保 ウェーバーはこう続けます。
 「多くの場合、〈善き目的〉を実現するにはいかがわしい手段や、少なくとも倫理的に危険な手段を利用せざるを得ないし、こうした手段のために悪しき副産物が生まれる可能性が高いことを考慮に入れざるを得ない」
 しかも、「どのような倫理的な〈善き目的〉であれば、いかなるときにいかなる程度までの倫理的に危険な手段と思しき副産物を〈聖なるもの〉として認めることができるのかを、この世のいかなる倫理も示すことはできない」。
 いま野党や朝日をはじめ一部メディアは、安倍の成し遂げた偉業と元統一教会をめぐる悪しき手段とを何とか関係づけて、安倍の功績を貶めようと躍起になっていますが、結局、その是非は歴史の審判を待つ以外にはないんじゃないですかね。
 それにしても、安倍一族は宗教に関係があるなぁ。岸なんて、あの踊る宗教、北村サヨが占ったところが始まりみたいなものでしょう。

 (後半へ続く)

 堤 堯(つつみ ぎょう)
 久保 絋之(くぼ こうし)


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 以前に書いた日記を三度、掲載します。
 2022年07月23日 

 なぜ「国際勝共連合」の方向から説明しようとしないのか。
 
 朝鮮戦争で米軍はchina共産党や、ソ連の教育を受けた北朝鮮軍と戦った。日本を占領統治中のGHQは、早い話が直接初めて「共産党軍」と戦うことになった。
 そこで米国は、共産党軍がこれまであった既成の軍隊とは異質のものだと痛感することになる。考え方が全く違うからだ。
 軍隊というのは国益を守り、追究するためにある。しかし共産党軍は「共産主義を実現する」ためにある。まずは「既成社会を破壊する」のが仕事、だから、戦い方にタブーは一切ない。守るべき「国」の概念がなく、実現されるべき共産主義社会は、まだない。存在しないものを創出するためにそこを「更地」にする。
 国の「誇り」も「自負」もないから、「名誉心」なんてないし「共産主義思想のために死ぬ」、という考えも、実はない。まだ「理想である共産主義社会」は現実にはない、のだから。
 あったとしたらそれは「共産主義のために~」ではなく「共産主義社会を実現させようとしている(現実の)指導者のために~」と解釈(統括)される。


 そんな恐ろしい連中を、今後、実質の勝者である米国が御していかねばならない。
 「敗戦国日本と、日本の統治下にあった(併合されていた)朝鮮半島に、米国と同じく、反共団体を作って活動させよう」。
 というわけで、アメリカの肝煎りで、李承晩を大統領にしたのと同じように、文鮮明に「(国際)勝共連合」を作らせた。同じく岸信介に同様の団体を日本にも作らせるため、文鮮明の活動に便宜を図ってやるよう指示してくる。


 だから、「国際」勝共連合は米・日・韓の「連合」ということだ。米国の指示で作られた共産主義思想の蔓延を防ぐことを目的に作られた団体だ。
 岸信介が「アメリカのエージェント」となるのは当然のことで、でもそれは敗戦国の指導者として当然採るべき国復興の次善の策だった。
 
 ところが「勝共連合」として「共産主義に勝利する」ための活動はまともに行われたとは言い難い。
 李承晩が「アメリカの後ろ盾を得て、日本に対して何をしたか」、を思い出せば文鮮明が「アメリカの後ろ盾を得て、日本に対して何をしたか」、は容易に想像できる。


 それでも書いておきたいのは、1970年、「70年安保(自動継続)」の前。
 大阪万博や三島由紀夫の事件であまり人々の口の端に上らなくなったが、学生運動は続いており、共産主義革命にシンパシーを感じる日本人は今とは比較にならないほど多かった。
 その時は、まだ「勝共連合」の名前は革命阻止の旗印の一つとして見られていたという事実だ。

 (「国際勝共連合」=「共産主義に勝利する連合」、の意味。「連合」とは、日・米・韓の三国を指す。)

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