CubとSRと

ただの日記

確かに「まだ」です。

2023年09月25日 | 心の持ち様
 【変見自在】優子を見習え 
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         高山 正之

 忠犬ハチ公は帰らぬ主人を待ち続けた。対して朝日新聞はすぐ見切って別の主人に走るタイプだ。戦後はだから天皇を見切ってGHQに走った。京都は原爆投下候補地で、その威力を正確に測るために空爆も控えさせた。

 結果、無傷で残った。日本人がその僥倖を喜んでいるのをGHQは知った。で、尻尾を振る朝日に「ラングドン・ウォーナー教授の意見で空襲をやめた」と尤もらしい嘘を書かせた。細川護熙の父、護貞は記事を事実だと思って米国に感謝する碑を建てた。

 そのGHQが去ると、朝日は別の主人を探し、渡辺誠毅はソ連を、広岡知男は毛沢東を新主人とした。 編集局は以後、二人の主人に仕えるようになった。あるとき北京が「京都を空襲から守ったのは梁思成だ」と言ってきた。

 昔、日本が面倒を見てやった梁啓超の息子だが、彼にそんな影響力はなかった。全くの嘘だが、ご主人様のお言葉だ。朝日は「梁思成が京都を救った」と書いた。よく書いたものだ。

 ネタの真贋より、ご主人様の意向が大事。だから支那や露西亜が喜べばどんな嘘でも書いた。広岡はそれで真実の一片もない「中国の旅」を本多勝一に書かせた。渡辺誠毅も負けずに「教科書検定で侵略を進出に書き換えた」と言った。ガセだが、支那は喜んだ。

「南京大虐殺は都城連隊がやった」とも書き、さらに「これが中支での毒ガス作戦だ」と煙もくもくの写真も添えて掲載した。しかし南京ものは都城連隊関係者が誤りを指摘。毒ガスも産経新聞が写真の出所を割り出して、煙もくもくは煙幕だと証明した。

 渡辺は辞任し、世間は北京やモスクワの意向より真実の報道を朝日に求めた。しかし真実を書く癖がない記者に反省はなかった。 次の一柳東一郎時代にはカメラマンが西表の珊瑚に落書きをし、それをもとに「日本人は落書きして恥じない」(降幡賢一)と自虐ネタに仕立てた。一柳のクビが飛んだ。

 二代置いて箱島信一時代も記者たちは嘘をやめなかった。政治部デスク曾我豪が田中康夫と亀井静香の架空会談を捏造した。箱島が責任を取り、秋山耿太郎に代わると、前後して「安倍晋三がNHKの番組を改変させた」という本田雅和のネタが出た。

 NHKは朝日、共同とともに赤い三羽烏を自認する。自虐の趣味もいっしょなら安倍嫌いも共通した。てっきり口裏を合わせてくれると思っていた。ところが本田の記事がお粗末すぎたのか。NHKは「朝日の報道は虚偽」と秋山に公開質問状まで叩きつけてきた。

 政界のプリンスの政治生命を絶とうというネタがガセだったら秋山の首では収まらない。朝日の廃刊だってあり得る。秋山は考え、ここは「第三者委員会に総括させる」ことにした。

 ただまともな第三者だったら悪質な嘘を重ねる朝日は即廃刊にするだろう。それで秋山は身内同然の伊藤忠の丹羽宇一郎や憲法学者長谷部恭男、それに共同通信も入れた。
彼らは世間が忘れるまで待って「取材不足」と結論した。記事は正しいが取材が足りないとも読める。

 だから朝日には謝罪も訂正も求めなかった。第三者委員会に任せれば何でも無罪にしてくれる。うまい手法を見つけた朝日は30年間、日本人を愚弄してきた慰安婦問題も同じ処理をやった。結論はうやむや。お詫びも訂正もしなかった。

 自民の新選対委委員長、小渕優子に朝日が偉そうに9年前の電動ドリル事件を持ち出し、説明不足と責めた。
しかし彼女は朝日と違って公正な第三者委員会を立ち上げ、そこに委ねた。その結論が出ると記者会見もやって答えている。

 対して朝日は委員の人選もお手盛りなら結論もお手盛り。結論についての記者会見すらやっていない。
小渕優子に「説明不足」とはよく言えた。
朝日にはやはり廃刊が一番似合う。

  (以下略)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

  松本市 久保田 康文氏 
『週刊新潮』令和5年9月28日号採録




 わたなべ りやうじらう のメイル・マガジン
                 頂門の一針 6634号より


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「毒ガスは空気より軽ければ上空に拡散してしまって効果がない。従って地表を漂うように作られている」
 だから煙幕のような毒ガスなんて作られるはずがない。
 「実験体にされた捕虜」と言われる人に防護服を着た人が噴霧器を向けてガスを浴びせ、処分している、という写真だって、そんな雑な処分の仕方ってある?ガス室ならともかく、ただ表に出てやっている。ガス(?)の無駄遣い。
 どう見たって虱退治にDDTを頭が真っ白になるくらい噴霧されたという敗戦直後の子供の方が酷い目に合っているように見えるんだけど。
 (DDTは人体に有害だからと、後に禁止されたと聞いている)
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まだ夏は終わらない

2023年09月24日 | 日々の暮らし
 9月10日(日)

 5時5分から5時35分過ぎまで散歩。
 空模様は怪しい。出る気だったが、空を見るとその気が一遍に薄れる。
 何よりも天気予報が、どこを見ても「午後は雷雨の可能性が云々」みたいなことを繰り返している。
 
 それでも酒を飲める日だし、久し振りに西脇、できれば多可町まで行って、という気は捨てきれない。どちらも酒の肴を買いに。

 そうこうするうちに湿度はともかく急に気温が高くなり始め、気が付けばいつもの蒸し暑さに。
 33度とか34度というわけではないから、風が吹けば涼しいはずだが、こういう時に限って全くといって良いほど吹かない。
 そしてただ「暑い」「眠い」と繰り返し思っているうちに時間は過ぎていく。
 あとは近所のスーパーマーケットに行くのが妥当な線、となったのは当然夕方のこと。

 「酒を飲める日」だからこそ、それなりの行動をしたい。
 一歩でも外に出て「肴の用意」に時間を使うのと、気付けば酒の時間になっていて、あり合わせのものをそのまま食べるのと、では酒の味が(気分的に、だけど)全く違う。
 「無料(ただ)酒はうまい」かもしれないけど、自分で金を払って飲む酒はもっとうまい。肴を作って飲む酒は更に旨い。キャンプで飲む酒やカレーライスが美味いのも同じ理由だろう。

 そして何やら冷たい風が吹き始めた中、カブでスーパーマーケットへ。
 「あ~、あと10分早く出てたらなあ」と思いながら、先日と同じくカブと一緒に全身水玉模様になって帰る。
 さらにこれまた先日と同じく、帰り着いたら止む。

 しかしその後、大雨。
 日付が変わる頃まで、南の空の高いところでは切れかけの蛍光灯が瞬いているような雷が続いていた。
 落雷図を見ると四国の上空ばかりだったようだが、あまり距離が離れているので激しい放電現象はともかく、雷鳴は全くといって良いほど聞こえなかった。
 
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目が覚めたら

2023年09月23日 | 日々の暮らし
 9月10日(日)

 目が覚めたら、11時半だった。

 今朝、「零時過ぎ」に床に就いたことと「11時半」に目が覚めたことが、4時半に目覚ましを止めた記憶を媒体として、寝ぼけた頭で直結した。
 「4時半に目覚ましを止めて、また眠ってしまった。」
 「12時から11時半まで!?そんなに寝ていたのか!?半日無駄に過ごしてしまったな」と思う。

 寝るにも体力がいる。昔みたいに「10時間以上寝る」、なんて芸当はもうすぐ七十になろうとするこの身にとっては却って負担になる。起きたら顔は浮腫む、身体の節々は痛い、で、碌なことはない。
 なのに、そういう不都合は今回出てはいない。
 
 「それにしても、そんなに長時間寝た時みたいな疲れはないが・・・」
 そう思いながら、じっくり振り返ってみる。

 気が付いた。今日は「酒を飲んでも良い日」だ。
 雨の日以外、散歩に出なきゃ酒を飲んじゃいけないのがマイルール。掟。
 ということは朝、目覚ましを止めて散歩に出なかった、なんてことはあり得ない。だって酒飲みだから。
 何かを成し遂げて、その御褒美にということになったら、大威張りで酒を飲む。逆に掟を破れば恥ずかしくて酒が不味い。悪酔いする(大威張りで飲んでも悪酔いすることも・・・多々ある?)

 そしてほぼ数秒後、「5時55分に散歩に出て、5時35分に帰って来て~」といった辺りのことを思い出す。
 「朝食は8時半頃、と遅くなったけど、その前に習字も済ませシャワーも浴びて・・・・」
 PCの前に座って、睡魔に勝てずベッドに横になったのは10時過ぎだった。1時間半近く眠てしまっていた、ということになる。
 それで目が覚めたら
 「11時半!?半日眠っていたのか!?」

 そのため「午後からは降水確率50パーセント」ということがどうしても信じられないまま出遅れてしまっていた。

 4時頃になって、空模様が怪しくなってきた中、近くのスーパーマーケットまでカブで行く。
 昨日の心積もりでは10時頃にSRで出て多可町まで、としていたのだが、大幅に縮小、ということになる。

 買い物を済ませ、道に出たら大粒の雨が当たり出した。家に帰りついた時にはカブ共々、全身大きめの水玉模様になってしまったが、何とか本降りに襲われることは回避できたらしい。

 カブを拭き終え、やれやれと思いながら玄関の鍵を開けたら雨は止んだ。
 数時間後、ちょっとした土砂降り。多可町まで行っていたら、えらい目に遭っていたかも。

 さらに数時間後の今、9時15分。
 「雨なんて降ったか?」
 と言った感じだが、風は確かに涼しくなった。
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夜明けが遅くなってきた

2023年09月22日 | 日々の暮らし
 9月6日(水)

 3時半を回って目が覚める。4時半まではウトウトしている。
 
 そろそろ起きなきゃ、となったのは4時40分過ぎ。
 ストレッチなどをして玄関を出たのは5時5分。まだ薄暗い。
 薄暗いというより「まだ、暗い」、か。

 散歩から帰ってきた時、まだ辺りは景色の隅に暗さが残っていた。
 湿度は高い。気温だけはそれなりの「盛夏」を過ぎた「夏」の朝。

 7時過ぎに習字、8時前に鮭の切り身(数年ぶりの切れ端でない「切り身」)を焼き、御飯を温めて朝食。
 
 今日も散歩以外は外に出ていない。
 雨が降りそうだったこともあるが、何より予報の「午前中は雨」に左右された。
 実際は例の「天気予報は、ずれる」の名言通り、降るには降った。
 降るには降ったが霧雨程度。それも夕方になって、だった。
 出ていても降られることは全くなかったということになる。

 まあ、そうは言ってもずれて昼頃だったりすると、それも霧雨じゃなく小雨程度だったとしても、バイクだったらそれはもう惨憺たることになる。
 悲惨なことになると分かっていても、夏の暑さをその時だけ過信してしまう。「まあ、ちょっと濡れるくらいなら」、と。
 日帰りのショートツーリングだってそうだけど、普通「ちょっと買い物に行こうか。雨具用意しなきゃ」なんて気にはならない。

 バイクに乗り始めた時だって、雨模様の空の下「雨具を用意していきゃいいや」と、いそいそとツーリング準備、なんて気にはならなかった。
 一日中バイクに乗る。「宿泊先が決まっているから」「他に休みが取れないから」等、覚悟を決めて、グローブからレインシューズまで完全武装で走り出す。確かにそれはそれで楽しいものがある。
 小説「スーパーカブ」で夏の夕立対策にレインウェアを手に入れた主人公小熊が、雨に濡れずに走り切った後、まだ降り続いている空に「ざまーみろ」と悪態をついた時も、おそらく頬が緩んでいただろう。しかし、それ(雨に降られること)は全く望んでいたことではなかったわけで。
 降雨を楽しみにしているバイク乗りなんて、まずいない(と思う)。

 
 ここ数日、朝と同じく気温はやや低くなってきた。
 しかし台風の影響で湿度は随分高いから、あまり気持ちはよくない。

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シャンパンの瓶は何処へ (後)

2023年09月21日 | 日々の暮らし
 続き

 9月3日(日) 朝

 台所内。
 まずは流し台下の収納。次に食器棚の下の収納。トースターを置いている下の収納。・・・・ない。
 もしかして洗面台の下の収納?酔っ払ってたんだから常識は計算に入れないようにしよう。何気なしに何をしているか、分かったもんじゃない。
 「片付ける」、という意識だけが働いているんだから、「どこに」は想定外の場所、ということも十分に有り得る。

 階段下の収納。トイレの中の備品置き場。
 まさかこんなところに、と思うような場所に「ここなら大丈夫」、と確信をもって片付ける。その人なりのボケ方で、その時はその人なりのベスト、となる結論を元に実行している。
 そう考えると「まさか!そんなところに?」と思うようなところにこそ遺失物は鎮座しているに違いない。例えば神棚とか仏壇とか。玄関の下駄箱の中も怪しいぞ。

 認知能力が低下している時は誰だってやってしまう。全く違って見えることだがパニックになった時の行動と同じだ。
 問題は認知能力が低下した場合は、「次の瞬間、やったことを忘れてしまう」ということ。
 火事騒ぎで大慌てで命からがら逃げだした。「とにかく一番大事なものを」、と何かをひっつかんで建物から逃げ出した。ふと気が付いて、何持ってるんだと自分の手を見たら、歯ブラシ一本持ってたとか。枕を抱えていた、とか。
 箪笥を一人で運び出して、翌日は身体が痛くて起き上がれなかった、なんて話も昔はよく聞いた。まさか、と思ったけれど、まんざら嘘でもないらしい。
 「火事場の馬鹿力」は突発的な認知能力の欠如によって引き起こされる。

 色々な場所を探してみたが、ない。
 シャンパンの瓶って意外に背が高いから、そんなに狭いところにはないだろう。結局見つからなかった。

 では、と初めに戻って二巡目の捜索活動に入る。
 今度はちゃんと灯りを点けて本気でやる。
 まず、一巡目のトップ、ペットボトルや酒瓶、空き缶などを入れている袋をもう一度探す。

 「シャンパンの瓶って意外に背が高いから、そんなに狭いところにはないだろう。」
 一目見ただけで、背の高いシャンパンのボトルはない、と分かる。
 念のために、横倒しになっている全ての瓶を立ててみた。
 ・・・・・・その中にあった。

 「ここに入れた筈」だから、一番初めに探した。
 瓶が空になったから、いつも通りに洗ってから捨てるべきか。それともこのまま袋に入れてしまうか。
 ちょっと考えたこと、などがうっすらと思い出され始めた。

 
 記憶をつなぐ糸を見つける。そのためには「なくなった!」と慌てて捜査を開始をするのではなく、ちゃんと手順を踏めるよう文字化し、順にしかも丁寧に探してみることが何より大事なんじゃないか。
 
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